2019年8月発行
映画のイコノロジー飛行新聞 Die ikonologische Flugzeitung des Kinos Vol.5-1
「フランケンシュタイン」をめぐる物語
クリーチャー(映画では怪物と訳される)とは何か。
Creature 被造物、作られたもの
Creator 創造主
13 世紀 シチリア・パレルモの神聖ローマ皇帝 フリードリヒII世の宮廷に 招かれたスコトゥス・エリウゲナ『自然区分論』
クリエイト、作る行為で本性を区分する。
作るが 作られぬ本性 神
作られ かつ 作る本性 人
作られるが 作らぬ本性 世界
作られず かつ 作らぬ本性
日本語「自然」は Nature=本性では なく、「自ら然り」 「無為自然(むい じねん」何も為さず そのままという 道教観に依る。
エリウゲナは東方神学 ディオニュシオス・ アレオパギタに依拠する。
ディオニュシオス・アレオパギタ 『天使位階論 Hierarchia』
「神は人による定義(例.全智全能 至高善 etc.)を越えた存在」、
「神は無くはない」と二重否定でしかとらえられない。「否定神学」
イスラム神秘主義スーフィズムの「アラーの他に神なし」の連祷
「ラーイラーフ、イッラッラーフ(神無し、無し神)」と同一の神観。
Creator 創造主は「知られざる本性」
人間はクリーチャーで且つクリエイター、「神の猿」として Art「術」を弄ぶ。
キリスト教(イスラム教も?)圏で科学は本性 Nature を知り、 それを支配する人間の Art「術」とされる。
神と競う傲慢、神と等しくなる→バベル(混乱)が生じる。
18、19世紀の電気学は「不可視のエネルギー」の術。
18世紀前半、ライデン瓶、フランクリンの凧による雷実験、ガルヴァーニの カエルの脚の実験など。ガルヴァーニ、フランクリンは、「電気」を流体存在としたが、ヴォルタ が実験に使った 2 種の金属の間で起こる現象とし論争した。
F・A・メスマーの動物磁気療術、そのサロンで使われたグラス・ハーモニカと 静電気発生器(どちらもガラス球などを回転させて摩擦する)の類似。
「メスマーの桶」は磁石粉 や水を入れ、銅の棒で星の磁気流体を溜めて身体に誘導。
フランス革命直後ロベールソンが修道院跡で容器に磁石くずや硝酸を注ぎ、煙の中に幻燈投影を した(ファンタスマゴリア)。この幻燈術とトリック術はシネマトグラフへと継承されていく。
「ゴーレム」板書
ラビ・レーヴがゴーレムからその生命を奪おうと開く魔術書には、ドイツ語で 「もし魔術により この生命に死を与えるなら、この生命に気をつけよ。天王星ウラヌスが諸惑星 の部屋 Haus に入る時、アスタロトは彼の道具(英語字幕では Creature 被造物)に帰還を命ずる だろう。生命なき粘土がその主人を拒む時、主人及び出会う全てを破壊する」と書かれている。
天王星 Uranus は 1781 年に天文学者ハーシェルにより発見されたので、同時期のアメリカ独立 戦争やフランス革命に因んで革命と電撃を司るとされた。この魔術書の警告の意味するところは、 天王星が表す革命と電撃が生じるからである。しかしゴーレムの伝説は天王星発見より遥か昔で あるのに何故ここに登場するのか。パウル・ヴェゲナーの『ゴーレム』は 1920 年の作品であり、 第一次世界大戦の敗北から 2 年、ドイツ帝国は崩壊し各地に騒乱が起きており、共産主義革命も 現実味を帯びていた時代である。
勿論この作品全体を時代の隠喩とみて分析することも可能だが、「天王星」という細部をイコノロ ジカルな眼でみるとき、その言わんとするところは明白である。『フランケンシュタイン』の怪物 も『メトロポリス』のロボットも、その創造の源には魔術的に脚色された「電気」が存在する。 『フランケンシュタイン』ではご丁寧にもフランクリンの雷実験の凧までもが上げられる。人造 人間の主題にこの魔術的「電気」が不可欠である理由は、天王星の表す電撃という意味と、『映画 のイコノロジー飛行新聞 3 号』の電磁気学史年表と心霊術史年表を参照することで明らかとなる だろう。