2019年5月発行

映画のイコノロジー飛行新聞 Die ikonologische Flugzeitung des Kinos Vol.2-3

(承前)硝石の使用は火器と共に宋から元、イスラム圏を経て欧州に伝わるが、全て自然硝石の採取によっている。火縄銃の伝来以降、日本国内生産の銃の総量は欧州全体の数倍であったとされるが、では火薬の4分の3を占める硝石は全て輸入品であったのだろうか?石山本願寺は長く信長に抵抗したが、これを支えたのが真宗門徒の五箇山や白川郷で行われたバクテリア培養法による硝石製造であり(当地では塩硝・焔硝と表記した)、塩硝の路と呼ばれるルートで本願寺に供給された。豪雪地帯ゆえの合掌造りは養蚕に利用され、そこで大量に出る蚕の糞と干し草を囲炉裏横の竪穴に交互に敷いて、バクテリアの作用で硝石を含む「塩硝土」とし、これを幾度も煮詰めて硝石の結晶を製造するのである。

「もののけ姫」では、烏帽子御前が助け庇護するハンセン病患者たちが新式銃を開発製造しているが、硝石については買い付けているのか自給しているのかも描かれてはいない。しかし烏帽子御前が買い取った女たちが働く鑪場で、砂鉄から玉鋼(たまはがね)を作ってこれを牛飼いが運び、帰路ではその代金で買った米を牛に積んで帰る。つまり大量の牛糞と人間の糞尿が火熱の絶えることのない鑪場にあるのだから、バクテリア培養法で硝石製造をしていたとしても不思議はない。五箇山・白川郷は本願寺から硝石製造法を教えられたとする説があり、おそらく大陸から伝わったと考えられる。納豆など発酵食品伝播の道はブータンに始まり日本に至る、かつての照葉樹林帯に重なることもその証左となる。硝石は山から運ばれたが、水運による本願寺への支援は瀬戸内の海賊村上水軍が担った。信長は水軍の高速小型船による火攻めに手を焼き、大砲3門を搭載し鉄板で覆った大型軍船2隻を造り水軍を撃退して瀬戸内の水運を掌握、以降海の遊行民は東シナ海の密貿易者に限られていく。

烏帽子御前は新式の石火矢を「国崩し」と呼ぶが、この語はキリシタン大名大友宗麟(豊後の大友氏は以前から明、朝鮮、カンボジア、ポルトガルと交易していた)が大砲をそう呼んだことに由来するという。宝暦7(1757)年大坂豊竹座初演の浄瑠璃『祇園祭礼信仰記』では、足利将軍の母慶寿院を金閣寺楼上に拉致した謀叛人松永大膳が「国崩し」と呼ばれる。大膳は絵師狩野雪村を殺しその娘雪姫に懸想して迫るが、雪姫は縛られた桜の樹の下に散った花びらで爪先を使って鼠を描き、この鼠が縄を食いちぎって難を逃れる。その後慶寿院も救い出され、それを味方に知らせる狼煙「火龍砲」が金閣寺楼上から打ち上げられる。大膳は「国崩し」つまり謀叛人であると共に、大砲のような巨根の持ち主でもあることを暗示し、文字通り雪姫の落花狼藉となるやも知れぬ危うさを観客は楽しんだのである。この芝居は座敷で写す木製幻燈の題目にもなっている。

松本夏樹

図1:島根県で現在もおこなわれている「日刀保たたら」、図2:永田式こしき炉の出銑、図3:江戸期の木製幻燈種板に描かれた『祇園祭礼信仰記』