2019年5月発行

映画のイコノロジー飛行新聞 Die ikonologische Flugzeitung des Kinos Vol.2-1

「もののけ姫」の師匠連と火薬術

本作品については、宮崎駿自身が網野善彦との対談をはじめとして、網野史学による非常在民からみた日本中世史を軸としていることを明らかにしているし、多くの評論でも取りあげられている。特に叶精二の「もののけ姫を読み解く」(URL: http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/miyazaki/m_yomitoku.html)は、シシ神のいる先史時代の照葉樹林帯、大和朝廷に敗れた蝦夷の東北ナラ林文化、地侍が割拠し朝廷の力が衰えつつある里、異国の技術を操る集団や鑪(たたら)師や狩人などの山の民らの姿が、それぞれ参考文献を挙げながら精緻に分析され、この作品の奥深さを実感させてくれる。

そこで屋上屋を重ねる要もないので、ここでは叶の分析も参照しながら、ジコ坊の背後にいる師匠連と、石火矢衆の操る火薬術についてを見ていくことにする。ジコ坊やその配下の唐笠連・石火矢衆のいでたちは網野の言う中世の「異形・異類」、遊行民の姿である。石火矢は明から渡来したハンドガンであることは、劇中の烏帽子御前の台詞でも述べられ、石火矢の表面には「虎」の文字や龍の形が鋳込まれている。では師匠連が烏帽子御前に貸し与えたとされる石火矢衆とその武器は、どのような出自を持つのか?

一般的な日本史では、1543年種子島に漂着したポルトガル船の船員によって2丁の火縄銃が初めて我が国にもたらされ、この火薬を使用する新兵器を特に重用した信長により、従来の戰が瞬く間に激変して天下統一がなされたとする。これは如何にも杜撰かつ史実に反した作り話ではある。発射機器による爆裂弾は元寇で使用され、その存在はすでに日本で知られていた。また元・高麗連合軍による占領から、対馬を中心とする困窮民による朝鮮沿岸の襲撃略奪すなわち和寇が起こるが、14世紀末に高麗は滅亡、15世紀半ばにはその構成員は日本人2割に対し李王朝下の賤民8割とする李朝正史の記述がある(『朝鮮王朝実録』1446年)。国際情勢の変化を受けて、和冦はもはや日本人の海賊ではなく、東アジア全域での私貿易や掠取による人と物資流通の要となる。1543年種子島に来たのは和冦の頭目であった明人の王直(別名は五峰)のジャンク船であった。王直の意図は硝石、中国やインドでは産出するが日本には全くない火薬の原料の商売であった。砂鉄が採れ製鉄が盛んな種子島なら鉄砲はすぐ模造できるが、黒色火薬成分の約75%は硝石(15%は木炭、10%は硫黄)で、この新兵器には不可欠であった。そこで王直は同船していたポルトガル人を隠れ蓑に鉄砲を売り込んだのである。 この少し前にアレクサンデル6世の勅書により地球は東西半分ずつに分割され、各々の非キリスト教圏はスペインとポルトガルの占有に帰するものとされて、極東の権益についてはポルトガルに有利な裁定となっていた。明は鎖国政策をとるがポルトガルはインドに進出して東方貿易の機会を窺った。私貿易の王直は、明に対し表面上は日本人の海賊和冦を名乗り、ポルトガルの追及を避ける意味でもポルトガル人を同船させたのだろう。全ては当時の国際関係によっていたのである。(続)


松本夏樹

左図:「異形・異類」の遊行民たち、右図:『倭寇図巻』(16世紀)に描かれたジャンク船の倭寇の様子。