2020年3月発行
映画のイコノロジー飛行新聞 Die ikonologische Flugzeitung des Kinos Vol.11-1
(飛行新聞 Die Flugzeitung とは、グーテンベルクの活版印刷によって宗教改革時代以降、カトリックとプロテスタント両派が宣伝合戦を繰り広げたビラに由来する。つまり現在のフライヤーのこと)
「映画のアルケオロジー」其の2
【メリエスの「月世界旅行」の復元過程】
手彩色というのは大変、こんな小さいフィルムに描いていく訳ですから。
でもこの後くらいからステンシルになる。映画の中の1シーンがあって1カット、そこを切り抜く。
プリントは何十本も作らなければならないから、同じカットがある、同じコマが60ある、そのポジフィルムを全部ばらして切り抜く。例えば女のスカートがピンクだったら、その部分だけ抜いて、ステンシルのフィルムの型紙を当てて着色する。手彩色に比べれば速いが、当時のフィルムだと1秒間で16コマです。1920年代のサイレントのアメリカ映画の80%は着色されていた。カラー映画です。
彩色と同時期ですが、モノクロフィルムにフィルターをかけるという方法が出てきます。赤・青・緑それぞれの色のフィルターをかけて撮影されたものを上映する時に合成する。光の三原色が合成されるから疑似的にカラーとなるが、ものすごくハレーションは強い。
京橋の国立映画アーカイブの最上階、パーマネント展示に荻野さんという人が作った9.5ミリ、同じ形式で作られたものがデジタル映像になってモニターでずっと流れています。
9.5ミリで撮影する時にカメラの中でフィルムに赤、緑、赤、緑と交互に塗り分けられたループ状のフィルムフィルターを使います。それを映写する時に、エンドレスで赤と緑のフィルターのループフィルムをかける、そうすると、それが連動して赤と緑が繰り返される、つまり1秒間の分で飛び飛びに7コマは赤、間に飛び飛びで7コマは緑が合成される。目の中で合成されます。
日本は明治45年、日本活動寫眞株式会社(日活)が出来てすぐ分裂する。それが天然色活動写真株式会社です。その天然色というのは今言ったイギリスでできたモノクロフィルムにフィルターをかけて撮影している。ところが、それだと特殊な映写機がいる、フィルムが2本乃至3本いるわけです。それを各々画面の中で合成する映写機が必要になる。だから日本で作られたが普及しない。なぜならそういう映写機を備えた映画館を作らなきゃならない、それは無理です。天活は2本ぐらい作ったか輸入するかしただけで終わりにしました。更に天活自身が分裂します。で国活というのができる。面白いのは日活から始まって天活、そして国活まで全部1人の人が関わっている。小林喜三郎という人が全部喧嘩別れして作る。初期映画史で小林は悪役みたいに言われるけれど、その彼が作ったのが「なまくら刀」です。
プロデューサーというか興行師で、元は弁士だった。日本では染色映画、フィルム自体を染めてしまう方法もありました。
【メリエスの月世界旅行】復元版を視聴後、ネケスの映像へ
メディアと言っても映像メディアですが、メディア・マギカ、魔術的メディアという概念で括っています。ネケスは発展史としてメディアを捉えるのではなく並列にしています。
初めてカメラ・オブスクラについて書かれた本や16世紀のチェザリアーノという人の本。
建築を含む様々な技法について描写しています。
この後はデューラーが透視画法、イタリアからの技法を解説する書を出しています。
ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタという自然学者の秘密のグループがナポリにあり「自然魔術」というポルタの著書。これはドイツ語版です。
キルヒャーの弟子カスパール・ショットの本。
これはキルヒャーのカメラ・オブスクラです。
レンズと鏡を通してカメラ・オブスクラを発展させたものですが、媒介が擦りガラスです。ディフューザを入れたら映りますからそれをトレースする。
カメラ・オブスクラの鏡の角度を変えています。
特殊なレンズ球形の集光レンズです。
顕微鏡の原理を使っています。
ヨハネス・ツァーンが書いている本です。
人体の骨格を巨大なカメラ・オブスクラで逆さに映してトレースしています。それで正確なプロポーション、サイズが分かる。
ブラックミラーを使った装置で画家のためのもので風景の色彩を捉える。プリズムを通して白色光が7色に分解される。
これは覗き式の幻燈器、煙突がついていますから中で蝋燭をたいている。
これはパースペクティヴといって鏡を45度に設置してレンズを通して絵を立体的に見せるものです。18世紀に日本に入って来ています。
円山応挙は最初「浮き絵」というのですが、この透視画を描くことで絵師としてデビューしました。
これはアナモルフォース(綺形画)といって特にパリのミニム会修道士ニセロンによって研究されていました。
長い側面に描かれた壁画なのですが、ある一点から見た時にだけ、絵として見えてくる、そういう仕掛けです。
これはアナモルフォースを描くための装置です。
これは16世紀以来の一点透視法の絵に穴を開けておいて光源を変えることによって夜景に変化する。昼間の町並みの絵が光源の位置を変えると提灯に灯がつく。
これはカメオ、貝殻を彫る深さによって光をあてた時に陰影が出る。
次は紙を張り重ねて薄さを変え濃淡を出す方法で、これは透かしです。インドやタイの影絵劇、魔術や宗教との関係でできました。
中国の西安の伝統的な影絵だそうですが操る糸とか棒が光の当て方とか操作で全然見えないようにしている。
今、中国の本土にはない指使いの人形が台湾にあります。一人で何体もの人形を同時に操る、空中に飛ばしたりする。台湾の人間国宝です。本土では滅びてしまった。これはバリの影絵、一人で操っています。ガムランは楽団ですが操りは一人。
これはトルコのカラギョースという間抜けな男が出てくる影絵。
ギリシャではオスマントルコの支配時代に、このカラギョースの影響で影絵ができ、さらにイタリアに入り、アルレッキーノ(いたずら者)のような喜劇の人物像ができる。
中国の影燈篭。
これは日本の魔鏡、表面を磨いたことで厚みの差によって絵が現れる。
これは18世紀、後ろに渦巻き状のモアレを動かすことで光が動いて見える玩具。回り灯篭です。
影を正確にトレースする、スイスの医師J.K.ラファーター性格と人相の関係を研究する為に使用した。フランスではシルエットという人の考案で流行します。
日本でも18世紀に全く同じような仕掛け絵本が作られています。花魁の影が動くと狐になるといったもの。
メリエスもウーダン劇場で奇術をしていて、固定画面のトリック映画を作りましたが、これは家庭用の影絵シアターで、そのまま継承されている。
ネケスは、映画は他のさまざまな視覚玩具とは別だという見方をしない。
これは大正期の大型映写機、箱と一体型、リワインダーがついている。
19世紀のレンズ筒がのびる幻燈器、近いところに映す時に延ばす。
ニッポノフォンという喇叭内蔵型蓄音機。
パテベビーの真似で作った日本のポニーという9,5ミリの映写機、ケース入りです。
これはアセトンのビンで、ほぼ新品です。
こんなものを持っているのは金持ちですから2,3回映すと飽きるので、100年前でも新品で残っていた。
特に1930年代後半になると、カメラを持って外を歩けなくなる。スパイを疑われて特高警察に捕まる。
文化映画を作る場合は内務省の許可が必要だった。
日本の発明品、レフシーの紙フィルム映写機です。
これはループフィルムを映すための映写機。アームを伸ばして長いループフィルムを映す。
明治の幻燈器でブルズアイといって細部にゆがみが出ないようにレンズの外縁を狭めてある。
絵葉書幻燈。
これはフィルム用幻燈器。
エルンスト・プランクのごく初期の手回し映写機。
取っ手が丸い初期のパテベビー。パテ家は肉屋をやっていたので雄鶏の商標で、パテベビーのシルエットを、この雄鶏の様な形に拘りました。
電気幻燈器です。子供が描いたガラススライドが付いていました。
ステレオ写真を見るもの、上が擦りガラスになっていて自然光を取り入れる。
ドイツの折り畳み式のステレオビュアー。
これは分子構造を立体で見るステレオビュアー。
これはカメラ・オブスクラである小学生用の「写生機」で持ち歩けます。