2019年4月発行

映画のイコノロジー飛行新聞 Die ikonologische Flugzeitung des Kinos Vol.1-1

(飛行新聞 Die Flugzeitung とは、グーテンベルクの活版印刷によって宗教改革時代以降、カトリックとプロテスタント両派が宣伝合戦を繰り広げたビラに由来する。つまり現在のフライヤーのこと)

「映画のイコノロジー、宮崎駿と『空想科学』の世界」第1回は『風の谷のナウシカ』、『風立ちぬ』、そしてカレル・ゼマンの『悪魔の発明』の様々な細部を「空想科学」の視点から検討した。なぜSFでなく空想科学なのか?前者は科学に基づいたフィクションだが、後者は空想(イマジネーション、ファンタジー)に基づいた科学、つまり魔術や錬金術の観点に近いともいえる。

『風の谷のナウシカ』は人類の高度文明破滅後のはるか未来のディストピアが舞台だが、ナウシカたちの衣装や持っている銃は、カスピ海と黒海に挟まれた一帯の人々(グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、トゥルクメニスタン、カザフスタンなど)、特にカザフ人(コザック)のそれを思わせる。この地域は東西交通の要所であり、昔から南のペルシャ、シリア、バビロニアから、また北のロシアや西のオスマン・トルコ帝国からの干渉を受けていた。だから「大国トルメキアの辺境の地」風の谷がこの地域をモデルとするのは当然だろう。「トルメキア辺境派遣軍司令官クシャナ殿下」の名前も、前1世紀にイラン系のクシャン族が現在のアフガニスタンからインド北西部に至る地域を支配したクシャン王朝に由来するのかも知れない。王朝最盛期のカニシカ王は仏教を奉じ、その首都ガンダーラに発したギリシャ様式の仏像は東漸変容して日本にまで到る。

ユーラシア中央の大国間の軋轢の中で翻弄され続けた少数民族や非定住民の姿が、風の谷の背景にはあるのだろう。風の谷の神話と歴史を描いたオープニングタイトルのタピスリーは、1066年のノルマンディー公ウィリアム1世によるイングランド征服を70メートルに及ぶ刺繍で活写したバイユータピスリーに酷似している。そこには同年3月に見られたハレー彗星が不吉な「火の星」として描かれている。こうした地域と歴史モデルの上に『悪魔の発明』に登場するような空想的な発明品や飛行機械が次々と出現するのが、ナウシカたちの世界である。空想に基づく科学は、ファンタジーから生じるリアリティーとも、また未来に「回帰」する歴史とも言い得るかも知れない(続)。

松本夏樹

図:現存するバイユータピスリーの一部、図の中央に「火の星」が描かれている。