「悦びの檻」シナリオ

ほう 此処で 躯体を 失くされたのですか それはそれは

ほんとうに稀有ですな このような場所に迷い込むとは

をかしな方ですな 私も目隠しをしながら言えたことではありませんが

かまいませんよ どうぞお好きにお探しなさい 私が此処の看守です

むげに断る理由も有りませんので ただ 檻には無暗に近づかんことですな

ちかく寄らない方がよろしい やられますぞ 痛いのは嫌でしょう

のぞくのも大概にしておきなさい 好奇心は猫をも ですぞ

あまり冷やかしなさるな 何の為に奴等を閉じ込めたとお思いか

じつに聞き分けのない方ですな 止めなさい まるで子供のようですぞ

ねつが出た時のようだ と思った 無い心臓が強く打ち始めた

つい先ほどまで 檻の中は暗闇に沈んでいた筈だった

が 開いているのである 何時の間にか錠が落ちていてる

できる限り息をひそめ 私は檻の中に入り 進んだ

るり色が 闇の中で一点 光った 緊縛された男の 瞳の光だった

へえ 旦那か この右足の持ち主様は 枕にしてて悪いね

いっぽん余ってて不思議だったんだよ なるほどなあ でも生憎この通り

ね 俺の縄を解かなくちゃ旦那の足も取れない 嗚呼でも返せって 仕方ないな

つながれた男二人に聞いてみなよ 鍵は既に開いてる じゃあね おやすみ

ちいさな寝息を立てて 縄で緊縛された青年が 横になって眠っている

いい加減お止めなさい 中にいる男は碌な奴では御座いません 放っておきなさい

さいわい看守は目隠しをしている 私が忠告を破り檻に入っても何も言わない

なにも見えない闇の檻 檻の扉には錠がある

やすやすと錠は外れてしまう 私は恐怖を感じながら中へ進む

また看守の忠告を破った しかし些細な事である 此処が何処かも解らない今

いちばんに重要なことは体を取り戻すこと 自分を確固たるものにする事である

そっと闇の中に足を踏み入れると 暗い中に四の金色が光る 目である

れいきを背に感じる 太い八の字の首輪で繋がれた二人の男が腰を下ろし私を見る

にやりと 片方の男が笑う するともう片方の男も 鏡のようににやりと笑う

とまどってる この人 こんな首輪見た事無いんだろうね 兄貴 左の男が言う

もちろん これは俺達だけの為の首輪だろう お前 右の男が応える

なにか話している しかし一点に目を奪われた私の耳に入らない 奇妙な首輪の為ではない

いっぽんの右手が、二人の男の膝の間に立てられ こちらを手招いていたからである

おっと そっかあ 若しかしてこの手 この人のだね 兄貴 弟が言う

もう返してやろうか 好い加減遊びにも飽きただろう お前 兄が応える

いやに二人の唇は近い 声が粘つく 私に眉があれば顰めていただろう

だめだよ 兄貴 弟が言うと 兄は首を傾げた 首を繋げられた弟も首を傾げた

すぐに笑えたよ 兄貴と居るとどんなに辛くても そういう所に助けられたし ずっと恨んでた

もう終わりなんだよ 笑う必要なんてない 今度は俺が行くよ この手が首輪を外してくれる

のどが跳ねる 兄の喉に 二人の足の間から這い出た 右手が 襲い掛かり

かすかに残った記憶は そこ迄である 私は右手になっていた

らくめいの男の喉に爪を立て 必死に絞めていた私を 弟が拾い上げる

だいじょうぶだよ もう止めな あんた 弟であった男が言う 私の爪に入った血を拭いとる

とうに死んでる 本当はずっと昔に死んでんだ でも生きてるふりしてた

こたえを知っていたように 弟であった男は裸足で首輪を軽く蹴った

これで良いんだ 後は俺がやるよ あんたもそれで良いだろう

ろうを出る男がそう呟いた 私は男に抱かれたまま 人の喉の柔さを思い出す

おお

もうろうとする意識が戻ったのは、咆哮が突如耳を劈いた一瞬後である

いくつもりなの 私を持つ男が 看守に聞こえないよう小さく私に聞いた

でしょう もう少しこうしていよう あいつはどうせ何でも喰う 男はそう呟いた

をや 首輪の奴の声がしたような 気の所為ですかな 看守の言葉に男は顔を顰めた

うつくしいよ 此奴は 脆いけどね 男は呟き檻に絡まる紛い物の茨を指で粉々に崩した

かかわらない方が良い この中のは狂ってる ま 全員そうか 男はひっそりと笑った

べつに興味無いな こいつには あっちも俺に興味無いだろうね 男は 無表情に言った

るすのふりか 男が言うと暗闇の中からくすりと笑う声がした 悪戯な息の響きであった

まなかに八の字の首輪が落ちている 誰も居ない

たのしかったよ あんたと話すの 男はそう言うと 檻の錠を握り 潰した

かんぱつ入れず男は檻に体を滑り込ませ 私を高く投げた 次の瞬間 怪物の姿を見た

えんじ色 理性を無くした瞳 犬のような口輪 垂れ流した唾液 抱えた 胸部

すばやく男は怪物の口輪を両手で握り 潰した そして 怪物の 大きな 口が

ふたたび目を覚ました 誰も居ない 血だまりの餌皿が残されている

るいせきの痛みに耐え起き上がる 私の体には 咬傷だらけの胸部があった

さつりくの痕跡が床をぬるつかせる 片腕をつき体を引きずる 檻の扉へ進む

とほうにくれた 男も怪物も 血を残して消えた

そそうでもしたのですかな 看守の言葉に緊張する しかし看守は黙っている

らんとうの音を聞きましたが 何かご存知ですかな 私は看守に何も応えなかった

しらぬふりをしているのか 本当に気付いていないのか 看守は 飄々としている

ただ檻の中には血に濡れた餌皿と床だけがある 咽せ返るような血の匂いがする

ひきずる体でその檻に近づいた 鉄の茨が幾重に絡みつく檻である

とつぜん 体に痛みが走った

みると床から生えていた茨で腹に切り傷をつけていた

はて と思う 首輪の男は指先で簡単に崩していた茨であるが

いま見れば刃物のような鉄の茨であった

たちはだかる檻の扉には茨が巻き付いている 開くことは困難である

あしのない体で這いずり 口輪の怪物がいた檻に入る 血の餌皿に右手を浸す

わすれていくようだと思った 不思議なことに感じた

つい先ほどまで生きていた筈の男も怪物も もう姿や声が朧だった

ばかばかしいと思った 何が消えたとしても檻は消えない 何故か解っていた

するりと茨の棘を撫でると 血濡れた私の手の中で 鉄の茨は脆く崩れた

りかいした この茨は私を傷つけるが 男の血に脆く崩れる

きずの痛みを抑え 茨を血の手で崩しながら 扉を開いた

ずいぶん様子の異なる檻だった 茨に覆われた通路の向こうに白い人影がある

のうが痺れるような沈黙 光るような人影はやがてその姿を明確にする

すらりと美しく立ち尽くす体 花を持つ娘のように左手を抱いた 藍色の目の男

なのに その体は鉄の茨に幾重にも巻かれ 動きを封じられていた

とうに手に纏った血は流れ落ちていた 少ない血を茨に擦り付ける

おもむろにその男は瞼を開き 私を見るなり 表情を 絶望に染めた

くるな

きこえる声は 嘘でもあり真でもある 何故か解っていた

くるな

こたえを示す 血の乾いた肌を茨で切った 私から流れ出た血が床に落ちた

えいりな茨の中で 自分を傷つけながら 汚い血から守っていたのは 私も同じだ

ぼうっとする 体を起こす 茨の切り傷だらけの左手が付いていた

くるしい呼吸の中 思い出せることは 茨が私の血により一斉に枯れ

はんきょうする男の悲鳴とこの体を 床もろとも 深い闇に葬った所までだった

おそ咲きの白い茨が一輪 私の足元に咲いている

とらわれた鉄茨の男も 私を傷つけた茨の通路も消えていた

なかに数輪の 鉄の茨が咲いている

だいじょうぶでしたか 随分揺れましたな 看守が鉄茨の檻を見 呟いた

たしかに看守は目隠しをしている しかし気配で気づいている気がしてならない

べつになった私の下半身は おそらく残りの檻の中にあるのだろう

この檻の中にも恐らく そう考えながら檻の扉を見る 縄で何重にも縛られている

ぼうばくとした暗闇の底から くすくすと子供が笑うような息の音が聞こえた

しろい茨を まだ左手に滲む私の血でこすり手折る 鋭利な刃物の棘が鈍く光った

てに入れた茨の鋭利な棘を 扉を縛り付ける縄に宛がう 縄ははらりと切れた

るろうの旅人のような ぬるい風に導かれるような足取りで檻に入る

その暗闇の奥に 子供らしさを感じる含み笑いを聞く ふつふつ くすくすと

つめたい床 重い体を引きずりながら 声に導かれ闇に呑まれていくと 姿が見えた

なまめかしく白く光る腕 赤い縄で縛られ釣りあげられた両手 妖しい紫色の瞳

くずした女座りの腿に乗っているのは 白い布に包まれた 腰部

いろ気の中に狡猾さを感じさせる笑みを浮かべながら 美しい男は口を開いた

きれいな腰でしょ 僕 これ 大好きなの 僕の玩具なのよ

たのしそうに言う唇に引かれた紅 背筋にぞわりと悪寒が走った

うつくしいものは傷つけたくなる 解るでしょ 貴方なら

その布が落ちる 私の腰が露わになる 幾つもの痣 否 唇の 形の 火傷跡

はき気のような嫌悪感に襲われ 衝動に身を任せ男に襲い掛かった

つる縄を切り 体の上に乗る すると男の手の縄がするりと解け 私の体を捕まえた

いつまでも 一緒 よ

てつの茨の刃をその胸に突き立てる一瞬前に 首を噛まれる

るいせんを緩ませ 男は力の限り私を抱き 娘のように熱く首を吸う

いやだ そう思う 熱い 皮膚が焦げる匂いがする

まとわりつく肌に 異常な熱を持つ唇に 泣きそうになる

だきしめられる力に 気が遠くなる 身が焦げ付いていくような こんな

こんな

どれくらいそうしていたのか 覚えはない 目を覚ますと

もう男の姿はなく 私の体には 小さな火傷だらけの腰がついていた

だきしめられた後の体が軋むように感じた 焦げた匂いを感じながら這う

なにか小さな筒が落ちている 拾い上げる 口紅 おそらく消えた男のもの

らたいに布を巻き 熱を持つ口紅を手に 私は檻の外へ這い出た

ばくぜんたる感情が闇の中に溶ける 男の手を吊っていた赤い綱が垂れている

あなたは どうするおつもりか 看守は独言を呟く 私は答えない 言葉では答えない

るり色の瞳の男は眠ったまま 相変わらず小さな寝息を立てている

けっ おい さっきからうろちょろしてる あんた そうだあんただ

よるのような深い闇の中から 男の声がした 鎖の音 鉄球が砂を潰す響き

いいからさっさとこいよ ほら お前の考えは分かってんだ

じゃけんな態度 格子の側まで両足の足枷を引きずり近づいてきた 灰色の目の男は

でいすいした者のように深く不気味な呼吸 肩に掛けているのは 左足

ああ 持ってんじゃねえか おい よこせよ早く 死にたいんだろ

るり色が 目の端に光った 何も無い 気の所為か

けり壊してやるよ この檻全部 ここに居る男も全員 悪かねえだろ

ばかばかしい話を空で聞くような そんな気分でいた 死ぬのか

どうに巻いた布に しまっていた口紅を取り出すと 男は目を光らせた

これだよこれ ほら 早くやってくれ もうじっとしてられねえ

かねて待ち侘びていたのだろう 男は格子の隙間から両足首を出し汚く笑う

ついに ここから出られるのか 私は 死ぬのか 朦朧としながら 男の足に

くちべにを押し付けた

だいぜっきょうが鼓膜を劈く 見る見るうちに男の足が焦げる 臭い

ろしゅつする肉 血管 骨 口紅は足を焼き切っていく 枷のついた右足首が落ちる

きみょうなことだろう 異常なことだろう そう思う しかし私は足を焼く

りょしゅうの左足を灼熱の口紅で焼き切りながら 私は無心でいた

みないふりをして 逃げていたのだ この行為 この男達 この檻の空間から

ちに塗れ 床を這い 噛まれ 焼かれ そのような醜さ 痛みから

たおる骨 気色の悪い手ごたえ 次の瞬間

みしりと 肋骨がしなる 男の足に蹴り込まれた 体が水袋のように 潰れる

ちしぶきが宙に彼岸花を咲かせ 歪んだ鉄格子が飛ぶのを 見た

ときが止まっていた 歪められた檻 血濡れた床 血を流し倒れ動かない看守

もう何も感じない 息をするのも面倒な体に 痣だらけの左足がついている

にくしみ 悲しみ 絶望 そんな感情さえも今の自分には 色鮮やかな過去だった

あす あさって というものが 今 死んでいる 私の目の端に

るり色が 光るのも 気づかないふりを して いたい

くうきょな檻 破壊された鉄格子が飛び散り 鮮血の飛沫が床に落ちている

さみしいのかい 旦那 男は眠そうに呟き 私を見上げた

ああ そうさ 胸の中で答えた 口が無かった

ずっと虐げられ続けてきた 未完成な体くらいしか持ち合わせていない

けれどさあ 一人になりたいんだろう 旦那

ああ そうでもある また胸の中で答えた 口が無かった

うん そうだろ 俺もそうだよ 旦那 生きたいんだ 誰かの側で 一人でさ

だって 旦那 俺は 俺達はさ 皆 同じ 旦那だっただろ

ろくでもねえ 一人芝居だよな 拍手の一つくらい欲しいが それも贅沢だな

ぼうえんきょうの向こうにしか こんな色は見たことが無い 男の瑠璃色の瞳を見る

くびに右手をやる 背に左手をやる 腰を下ろし この胸に強く男を抱きしめる

じぶん自身を強く縛る赤縄は 男を強く抱きしめるほど解けてゆく

しめつける体も 熱も 絞められ跳ねる喉も 生きている事実の淵をなぞる

ともしびの命が ともしびの意識が 小さな声と共に 風に消えた

ささいな死の中に沈む感覚 夜の海に泳ぎだす温度と似ていた

いつのまにか 私は立っていた 縄の絞め痕の残る右足と 痣だらけの左足で

つめ襟の看守が 私の前に立っていた 制帽を目深に被り 血に汚れた制服で

かねが鳴ります 看守はそう言い 白手袋を脱ぐ 上着から腕を抜き 脱いでいく

かんぜんに同じ 同じ位置 同じ形の 切り傷 痣 火傷痕

むりも無い この看守もまた私自身 知っていた 思い出した

くびを 看守が 両手で取った 血の滴る頭を 私の首に乗せた

ちかくまた会いましょう 首なしの看守はもう喋らない そう呟いたのは私 目隠しの暗闇で

びどうだにしない看守の体がぐらりと揺れ 倒れる 人形のように 体が散らばる 気配がした

るり色が また 目の端に光った 気がした 鐘の音が 耳を塞いだ

ありがちな終わり方の夢だ 寝床の中でそう思う 朝日に透かす手に傷は無い

また見る夢だろう あの檻は 男達は 確かに自分の中に存在するから

いつかまた忘れた時に呼び出し呼び出されるのだ 着替え 傘を持ち 玄関を出る

きたない自分の本性を それと向き合うことを 忘れたその時にまた

ずさんな舞台で 不格好な精神で あの血なまぐさい一人芝居をする そうやって 生きてゆく

よんさろで立ち止まる 歩道橋の下で信号を待つ 垂れる雨粒が傘を叩く

ろうのように白い肌の美しい女と目が合う 横断歩道の向こうで 赤い傘をさしている

しらずと目を閉じ傘で顔を隠していた 目の奥を 見透かされるような恐怖だった

くろい目隠しをあの看守がしていた理由を 私はようやく思い出した