ゆうれいの色




春先とはいえ凍えるような海風。朝方の公園にいる人は少なかった。

そこは広く整備された公園で、海の向こうにはスカイツリーや観覧車が白く霞んで見えた。


白っぽいビル群にはいくつもいくつもの暮らしがまどろんでいて、

でもちっとも生きているように見えない。


私は東京駅土産のクッキー缶のような景色を見ながら

子供の頃の絵本の一節を思い出していた。


――みんないなくなっちゃえ、と思うことがあるだろう。

でも想像してみよう、誰もいなくなったせかいを。

いえのなかに、お母さんがいない。家族がいない。ペットもいない。なーんのおともしない。

おうちのそとに出てみても、ともだちもいない。だいすきな人は、みーんないない。

おうちも、おにわも、まちも、そらも、白っぽくて冷たくなって。

せかいがまるごと、ゆうれいの色になる。


子供をそう諭す絵本を読みながら、小さな頃の私は、こわいと思った。

こわいけれど、こわいと思ったらいけないんじゃないかとも思った。

だって一度は、みんないなくなっちゃえ、と思ったのだから。

そう思ったのは私なのだから。


5才の私は、後悔しても筋は通さなくてはならないと、絵本を読みながら思っていた。

我ながら心配になる思考を持つ子供だ。今だって変わらない。


「霞始靆 (かすみはじめてたなびく)ですね」

優しい声の恋人が、海の向こうを凝視する私に言った。

「霞始靆は、季節の名前です。四季が有名ですが、一年を七十二に分けるとこんな名前の季節があるのですよ」

教職であるその男性は、まるで草花の名前を教えるように、ゆったりと優しく説明した。


この人の妻があの虚ろな景色の中に生きているなんて、全く信じられない。

ドラマのように殺したいわけではないけれど、ただただ、そんな実感がない。


「霞は、春の女神のまとう薄衣にもたとえられました。こうして見ると神々しいですね」

こちらを見てほしいというように恋人の指が私の頬に触れても、私はその虚ろな景色をじっと見ていた。


「神様というより、ゆうれいの色に見える」

恋人は以前、私が例の絵本の話をしたのを思い出したようだった。

私の言うことは何も否定しない、という一人遊びが好きな恋人は、優しく微笑んだ。

「確かに、ゆうれいの色ですね」


恋人の体温だって笑顔だって声だって、同じ色をしてる。

高層ビルもマンションもスカイツリーも観覧車も。動物の唸りのような音を立てて、テトラポットに打ち付ける波も。

冷えてすっかり血の気のなくなった私の肌も、それに触れる優しくて甘い爪も。


せかいはまるごと、ゆうれいの色をしている。