風邪薬





いつも一人で風邪を治してる。治すには風邪薬が必要だ。

この感じだとまもなく動けなくなるから、早めに。


薬局に行くと黒いマスクをした高校生くらいの男の子が、

最後のひとつになった瓶の風邪薬に手を伸ばしていた。


「あ」

「あ」


声をあげるの同時。


「……」

「……」


どうぞって手を出すのも。


「どうも」

「じゃあ……」


って、またとろうとするのも同時か……。


「そしたら、これ俺買いますから、半分あげますよ」


「あ」

くそ、買われた。

いつもあの風邪薬なんだけどな。まあいいや、別の買えば。


と思って選んでたけど、いつものんでない風邪薬を選ぶというのは非常に難しくて、

頭を悩ませている間に男の子はすぐとんできた。


「お姉さんしんどそうだから、今飲んじゃいましょう」

「それ食後だよ」

「食っちゃいましょう」


男の子はうどん屋を指差した。


「ああっくしょん!」

「声がでかい。オッサンか」

割り箸を渡す。

「すいません」


男の子は色白で、くしゃみか鼻をこすったかで顔があかくなってた。

髪が若く、まつげが長くて、海外モデルのような見た目をしてる。


「熱あるんじゃないの……?

こんなとこで食べてないで帰れば良かったのに」

「でも、お姉さんを放っておけなかったですから」

「なんでよ、引きとめられなければ普通に他の風邪薬買って帰ってたよ」

「お姉さんがみてたとこ、胃薬でしたよ。ぼーっと見てました」

「……」


黙ってうどんをすすってると、小皿のネギがそっと私のお盆におかれる。


「どうぞ」

「ちゃんと食べな」

「苦手なんです」

「私が君くらいだったころは好き嫌いしなかったな」

「生憎あなたより何百年も生きてますから」


……うん?


「君は……誰なの?」

映画みたいな台詞をいってしまう。


「誰って?仕事なら……キューピッドですけど」

すすったうどんの汁が首もとにはねたのを気にしながら答える男の子。


「キューピッド……」

頭のなかで裸の天使がおもちゃの弓矢をもってぱたぱた飛び回る。

「何を想像してるかわかりますけど、まあいいですよそれで」

「裸で仕事してたの? ああだから風邪引いたのか……」

「んなわけないでしょ! 現代キューピッドは服着ます、ご覧の通り」

まーそうか、オシャレなニット帽までかぶってますもんね。


……あー、私とうとう幻覚見るまで高熱でてんのかな。

出汁がしみる……。おいしいな……。


深くため息をつくと、男の子は私の顔をのぞきこんでくる。


「……本当にしんどそうですけど、付き合わせて大丈夫でした?」

「いいよ。イケメンの幻覚も見れたし」

「人を幻覚扱いしないでくれますか」


私は笑った。イケメン否定しないんだな。

本物でも幻覚でもどっちでもいいや。


でも恋のキューピッドって、いざ会ってみると、こんなに他人なんだな。

こうして隣にいるのに、弓矢の一本も私に向けないで、鼻すすりながうどん食って。


私も息をついて、おつゆをのむ。指先をどんぶりであたためる。

一人で風邪を治すために、大事に食べる。


「お姉さん。鉛の矢うってあげましょうか」


私は鼻をすするふりで、涙を拭いた。

「なに、それ」


「キューピッドって、矢を二つ持ってるんです。

金の矢は人を恋に落とすけど、

鉛の矢に射たれると恋を必要としなくなるんです」


男の子はティッシュで鼻をかんで、はあ、とため息をつく。

「もう、そんなに人恋しくならないように」


「なんで金の矢で彼氏作る方向に行かないの?」

「お姉さん、べつに恋したいわけじゃないでしょ。

無理に恋させられるのとか嫌じゃないの」

かきあげをモグモグしながら言うけど、ご名答。なにこのテレパシー。


……本当は、嫌がる人間にも無理やり恋をさせるのが仕事なんだろうな。

って、私もテレパシーでわかった。


「あってる。……ねえ、一応聞いとく。

金の矢とか鉛の矢とかって、麻薬的ななにかの別名じゃないよね」

「んあっはっはっ、違いますけど」


うわあ、顔は綺麗なのに、またオッサンみたいに笑うな……。


「でも仕事仲間でよく使う言い回しですよ、それ。

『恋は嗜好品、愛情は煙草、中毒にたかる僕らは売人』」


リズムがいい。それがなんだか、古くさい。

天使みたいな横顔が、爪楊枝を噛みながらひっそりと笑った。


「俺らの居場所がないんですよ、今って。

恋愛に代わるものが、世の中にいっぱいあるから」


冷たい水が、腫れた喉に嫌な感じだった。

「……鉛の矢だっけ」


「はい。要ります?」

「いい、いらないよ」

そういうと男の子は、目じりを下げて笑いながらマスクをつける。

「ですよね」


太古の昔から人間の心にろくでもない悪戯してるくせに、

男の子は黒いマスクの下でどこかほっとしてるみたいだった。


「……あ、薬のまなきゃ」

「あっ、忘れるとこだった」


私たちは小さな風邪薬の錠剤を三粒のんだ。


本当は何が治るわけもないのに、絶対必要なわけでもないのに、

買おうとしてしまうのってなんでだろう。