チェックアウト





冷房のにおいと朝日の色に覚えがなかった。

横たえた体が鉛のようだった。

壁に意味不明な小さな絵が飾ってあった。

若い芸術家からこういう絵を沢山買い集めて、自分のホテルの一部屋ずつにかけてまわる自分を想像した。

それもいい。


右手が掴んだ携帯は死んだように冷たい。

wifiが不調なだけなのに、世界の隅にいるみたいに感じた。

私はベッドからでないまま音楽をかけた。

アルバムアートを滑らせた。

好きなアーティストであっても、アルバムのなかにはよく聞いた曲とあまり聞かない曲がある。

あまり聞かない曲をかけた。

これもいい。


二度寝から起き上がると、左足の先が痛む。

親指の横にタコができていた。

今回の出張は長時間の立ち仕事だった。

ふかふかのスリッパで足を包んだ。


髪を結んだ。洗った顔を大きな窓に向けた。

昨晩の夜景は綺麗だったのに、今朝の町は白い粉を被ったようにねぼけていた。

この世の全てが寝起きだ。

私もだった。それでよかった。


にっくきパンプスとスーツ、化粧品とブラウスを小さなスーツケースに詰め込んだ。

スニーカーを履くと足が大層喜んだ。

早すぎる出発だった。それでよかった。


チェックアウトする。

見慣れた景色は少ない。

歩けばすぐ知らない土地になる。

スニーカーの足はふわふわした。


駅へ行く。座席は窓際が残っていた。

少しだけ土産を買う。駅弁を買う。

ホームで新幹線を待つ。

晴れていた。


暴力的な速さで流れていく景色。

駅弁のおかずを一品ずつ口に運ぶ。

出張中は絶っていたコーヒーを飲む。

メールを見る。スニーカーの足を組む。

シャッフルされたアルバムは、いつのまにかよく聞いた曲を流していた。

私は次第にもとに戻っていく。


ちぐはぐでそらぞらしく緊張していた私は、

あの世界の隅でもうすぐ消えてしまう。


それでいいと、あまり思えない。

早く出てきてしまった理由が、わからない。

仕事で手を抜いたわけでもない。

名物も食べたし土産も買ったのに。


もう二度と取りに戻れない、

誰にも見えない忘れ物がある。