クレープ



牛乳半分と、卵の賞味期限が迫っている。


私が冷蔵庫を覗いて指をぱちんと鳴らすと、

岸田君は黙って頷いた。


こんな調子だが私達は付き合っている。

無口同士なのに、急に恋に落ちてしまったのだ。


小麦粉15g、砂糖50gをはかる。

そこへ牛乳200ml、卵1個を混ぜる。

私はそれをレンジに入れた。これはカスタードになる。

岸田くんは横で計量道具を洗っている。


もう一度、小麦粉100g、砂糖10gをはかる。

牛乳100ml、卵1個、牛乳をもう100ml混ぜる。

油をひいたフライパンで薄く焼く。これはクレープになる。

岸田くんは生クリームを泡立てている。


ご覧、クレープはみるみるうちに出来上がる。

艶めいた淡い黄色の生地は、雨上がりのように乾いていく。

柔らかな生地の端を、箸先で優しく、素早くめくり続ける。

焼き続ける。

その間余計なことを考える暇はない。

クレープを焼く。

クレープを焼き続ける。

この緩い液体の生地が尽きるまで。


写経でもする気分で5枚目を焼き終えると、

岸田くんが黙って後ろから抱きしめてきた。

岸田くんは泡立てに疲れたらしかった。


選手交替。

こちらもまた緩い液体の生クリームを泡立てる。

白い液には、まだ少しばかりしか泡が含まれていない。

左右に揺らす気だるい手の感覚に、中々変化がない。

泡立て続ける。

疑い無く泡立て続けなければならない。

クリームを泡立てる。

クリームを泡立て続ける。

すると、右手が悟る瞬間がある。

脳裏で六等星が瞬くみたいに。


宇宙空間で生クリームを泡立てていると、

岸田くんが黙って後ろから抱きしめてきた。

クレープを焼き終わったということらしい。


どれ、何枚きれいに焼けたかと見てみると、

見事に全て穴が開いている悲しい出来だった。

悪びれもせず私の首の匂いを嗅ぐ岸田くんに、

泡立て器を握らせた。


もうすぐ手応えがくる。

それは瞬間なんだ。手で覚えるといい。

一気に手応えが増してくんだ。


その瞬間を託された岸田くんは、懸命に泡立てた。

やがて小さく、嬉しそうな声をあげた。

宝物を拾った子供のような目で私を見る。

私は黙って頷いた。


そして私達は、黙々と好きなものを巻いて食べた。

私は生クリーム多めで、バナナとチョコ。

岸田くんは温かいカスタードにバニラアイス。

とろとろに甘い。今は何の我慢もいらない。

皮が破れていても舌に乗せれば同じように美味しい。

この量なら贅沢に食べても、しばらく食べ続けられる。


冬眠前にきっちり支度を終えた熊のカップルのように、

私達は安心してクレープをたらふく食べ、横になった。


今後も卵と牛乳の賞味期限が迫れば、こうしていくつもりだ。

無口同士なのに、急に恋に落ちてしまった私達は、

実に勤勉にクレープを作り続けると思う。


何故なら、私達はもう知っているからである。

あんなに緩い生地、心もとない緩いクリームでも、

そうしているうちに、急に素晴らしい御馳走になることを。