戸建に住む知人から柿を5つ貰いました。

今年は小ぶりのわりに、たくさん成る年なのだそうです。

成りすぎて困っているというので、もらってきました。


しかし私のような男にとって皮のある果物を剥いて食べることは一仕事になります。

4日ほど籠に置いておいたら、2つはすっかり熟していました。

指で押すと、まるで厚い革袋に入れた水のようでした。

これはいけない、早く剥いて食べなければならないと思っていたのです。


しかし日常というものはなかなか手強く、また一日、また一日と過ぎていました。

柿を剥かねばなりません。籠の中、あんなに可哀そうなほど熟れているのですから。


にも関わらず私は柿を剥かないまま、また一日、また一日と過ぎていくのです。

柿が熟れるという事実はどの一日も変わらず、兎に角私は目下、柿を剥かなければならんのです。


肌寒い帰路の夜景を眺めながら、私は大変不思議だとさえ思いました。

私が柿を剥かない理由を考えていました。


背負う数々の仕事は、一日で熟しすぎてしまうことはありません。

周囲の人間との関係は、一日で熟しすぎてしまうことなどありません。

しかし柿からすれば一日は千秋であり、私の口に入るまで驚くべき速さで熟れ続けるのです。

不意にそら恐ろしくなり、自分に言い聞かせました。

私は目下、柿を剥かなければならんのです。


革靴と背広を脱いだ私は手を洗うと、柿を手に取り、洗い、包丁と硝子の器を出しました。

乾いた蔕のくびれを分かつように刃を入れると、まるで赤い海月ように熟れた実が溢れ、

まな板と私の手を汚し、蛍光灯の光に照りました。

それは器に盛るのも無駄のように思えて、私は掌から柿をすすりました。

熟れすぎてぼやけた甘みと、柿の懐かしい匂いを、鼻と舌が持てあましているようでした。


嗚呼、主よ。私はとうとう柿を剥きました。

私は何故か、碌に信じてもいない神に懺悔するように、しみじみと残りの柿を剥きました。