投稿日: 2016/08/17 16:27:23
海外継承日本語部会の2016年度の例会が、MHB研究大会に合わせて開催された。今年の例会は、研究大会のテーマである「継承語教育における超多様性(Super-diversity)」と歩調を合わせ、近年の国際情勢を受けて学習者が多様化する各地の継承日本語教育の実態を検討する地域紹介パネルを行った。その後、時間の許す範囲で、参加者全体によるディスカッションを行った。部会の参加者数は、アジア、ヨーロッパ、北米などの各地から来られた先生や学校関係者を中心に60名を超え、終了後も会場で交流する部員の輪が見られた。
第5回年次例会
日時:2016年8月8日(月)午後4時10分—6時20分
場所:お茶の水女子大学(共通講義棟2号館102号室)
(司会:カルダー淑子 記録:服部美貴 進行/録画:根津誠)
プログラム
I.部会の現状紹介
部員総数:219人(2016年7月現在)
北米(カナダ、米国)69名・日本を除くアジア61名・欧州49名
大洋州11名・中南米2名・日本国内27名
主な活動:年次例会・オンラインサイトによる交流
企画委員:
鈴木庸子・加納なおみ・服部美貴
根津誠・伊与田律子・カルダー淑子(部会代表)
II.地域紹介パネル
主旨説明(司会者):
近年の国際情勢の変化の中で、継承日本語の子どもたちをめぐる環境にも変化が見られる。特にヨーロッパでは、ソビエト連邦の崩壊から、EUの拡大、そして近年の中東からの移民/難民の流入と続く情勢変化の中で、多言語多文化社会の様相が一段と進んだ。こうした中で、日本語を継承語・出自語とする子どもたちの生活環境や学習環境にも多様化が進んでいる。本パネルの最初の発表では、EUの言語教育の共通理念である複言語複文化の概念とその背景を説明し、日本語を継承語・出自語とする現地在住の子どもたちにこれを拡げる試みを紹介するものである。
また、パネルの二部の発表では、中国語を基盤とする漢字圏における継承日本語教育の立ち位置を探る。1997年の香港返還の結果、香港では中国語(北京語)の影響力が増したが、同時に中国経済のグローバル化を受けて英語圏に留学を目指す人々が増え、中国語圏全体を通して英語熱が高まっている。一方、台湾では日本統治時代の日本語教育の歴史の上に、戦後の大陸からの国民党の移動による北京語の強制があり、現地の台湾語などは圧迫される傾向にあった。一般に漢字圏の場合には、言語的、文化的な距離が日本に近く、継承日本語教育には有利だと考えられがちだが、実際には現地の教育熱は非常に強く、進学競争は激しく、日本語を継承語とする子どもの将来をめぐっては、現地永住、日本帰国、英語圏への進学と、選択肢が多いために迷いを持つ親子も少なくない。パネルの報告では、このような情勢における台湾、香港の補習校の現状と課題を紹介し、北京を中心とする中国の継承日本語事情を概観する。それぞれのタイトルと発表者は以下の通り。
1. ドイツを中心とする欧米語圏からの報告 (発表資料はこちらから)
「継承語・出自語教育に関するヨーロッパの動きと現場の試み−ドイツの取り組みを中心に」
奥村三菜子(元・環太平洋大学短期大学部/チームもっとつなぐ)
札谷緑(マールブルク市民講座/チームもっとつなぐ)
松尾馨(デュイスブルク市シュタインバート・ギムナジウム/こども日本語クラブでんでんむし)
三輪聖(ハンブルク大学/AJE-Global Networkプロジェクト)
2. 漢字圏からの報告
「継承日本語——北京報告 超多様性の中での選択」(発表資料はこちらから)
柳瀬千惠美(九州大学大学院地球社会統合科学府博士課程/日本学術振興会特別研究員DC)
「台湾の継承語教育-日本語継承の現状と課題」 (発表資料はこちらから)
服部美貴(国立台湾大学/台湾継承日本語ネットワーク/台北日本語授業校)
「多言語多文化社会―香港における補習授業校の挑戦と課題」(発表資料はこちらから)
望月貴子 (Hong Kong Baptist University/香港日本人補習授業校)
浄法寺元子(Delia School of Canada/香港日本人補習授業校)
西村友紀(香港日本人補習授業校)
III.全体のディスカッション
上記のパネル発表に続いて、限られた時間ではあったが、会場全体によるディスカッションを行った。
まず会場の参加者から、ドイツの発表にあるCEFRの概念に共鳴すること、特にその中の平和共存の理念に賛同するという意見が出された。そしてこれを実際の継承日本語のカリキュラムに適用した例はあるかとの質問が出された。これに対して、発表者側からは、多様な言語を内包するEUであるため、これは共通の理念として紹介されているものであるとの回答があった。続いて会場から、たとえばドイツ国内における補習校や継承語の学校においてこのような理念をカリキュラムに適用することも可能ではないかという意見が出された。
また、ドイツの発表にある「市民性教育」について、それはどのようなものを目指しているのか、という質問があった。教師が答えを持っていない授業では、教師は教えるのではなく声を拾っていく役割を持つということも多く、例として「18歳から選挙権があること」についての議論を挙げた。ドイツの参加者によると、ドイツの公教育は第二次世界大戦への反省から、最後の一人になっても自分の意見が言えることを目指している。平和教育以外にも民主的な教育を実践しており、「公民として意見を言う」「発表する」という訓練を受けているので、補習校の授業にも取り入れることが出来ると考えている。
さらに、平和教育に関しては、子どもの祖父母も戦争を体験していない世代になってきているので、日本の戦争体験に限らず、「国境なき医師団」のメンバーに戦争体験を語ってもらっている、との紹介もあった。
さらに、北京の発表者に対して、歴史問題が継承日本語の学習者に影を落とすことはないかとの質問が出された。これに対しては、現地校の授業にいわゆる「愛国教育」があり、抗日戦争の記述は避けられないため、これを懸念して現地校を避ける保護者もあるとの回答があった。また会場からは、そのような授業の際のある保護者の体験として、現地校の先生から日本人としての経験談を求められ、悩んだ末に率直に経験を語り、思いを伝えたところ、現地校の先生や生徒の賛同を得られたという例も紹介された。さらに、現地校の先生の配慮があり、日本人の出自を持つ子どもがターゲットになるようなことはなかったという意見も出された。また、日本では学校で現代史をあまり教えていないので、韓国では少人数のグループで日本人の母親たちが自治体から予算をもらって歴史の勉強をしているという。
継承語教育とは、このCEFRの概念にあるように、本来、平和共存の思想と結びつくはずのものであって、国際児等、複数の言語環境にある子どもたちは、出自の言葉も自分をとりまく社会の言葉も、そのどれかを否定することなく、どれをも大切にしなくてはいけないという意見が出された。残念ながらどこの国においても、特定の国に対する否定的な言説は社会の課題である。しかし少なくとも子どもたちは自分のルーツを否定することなく生きていってほしい、という発言に大きな拍手が起こり、閉会となった。
終了後のアンケートには、全体に発表された地域の継承語の状況について深く知ることが出来たという意見が多く、これを機会に他地域の先生との交流を深め、情報交換を行いたいという意見も多く出された。 (了)
<追加資料>
ドイツからの発表者の発言の中で言及された、同国の「生徒の政治参加を促すための授業」の背景には、「ボイテルスバッハ・コンセンサス」と呼ばれる次の3つの原則がある。この3原則について、日本国内で紹介された例を発表者の奥村三菜子先生および部会企画委員の鈴木庸子先生から提供されたので、参考資料として付記する。
「ボイテルスバッハ・コンセンサス」3原則
「圧倒の禁止の原則」
(教師の意見が生徒の判断を圧倒してはならない)
「論争性の原則」
(政治的論争がある話題は論争があるものとして扱う)
「生徒主体の原則」
(生徒自身の関心・利害に基づいた政治参加能力を獲得させる)
「ボイテルスバッハ・コンセンサス」に関する最近の日本国内の報道
ドイツの教育の背景も含めて紹介した「Yahoo」の記事
視点・論点「ドイツの政治教育と中立性」(2016年5月20日 早稲田大学教授近藤孝弘 NHK解説委員室・解説アーカイブスより)
具体的な授業の様子がわかる「ハフィントンポスト」の記事
http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/24/democracy-education-in-germany_n_10654094.html
日本の高校生の様子も併せて報道した「NHKニュース」の記事
(文責:カルダー淑子・服部美貴)