04 当麻残丘列

当麻残丘列(ボレアロ=プー original)

鍾乳洞がある当麻町の山間部への入口辺りに,小山(丘)が並んでいる風景が見られます.写真は比布のスキー場のリフト降り口付近から写したもの.

近いほうから,「親子山」,「将軍山」,「当麻山」と呼ばれています.これらの丘は,それらのふもとにある崖に近寄ってみるとわかりますが,崖のほとんどは赤色チャートからできています.

比布町~当麻町付近の地質図(道立地質研究所,2009編より編図)

この地質図では「青」で塗色してありますが,(赤色)チャートが大部分を占める地層を示しています.チャートといえば,石の中でも固いほうで有名.つまり,固いので風化侵食に耐え,周囲が平地になったにもかかわらず,丘として残ったわけですね.

これはモナドノック(monadnock)と呼ばれています.

日本語では「残丘」と意訳されています.モナドノックとは北米はニューハンプシャー州にある山の名で,やはり周囲よりしっかりした岩盤のために,山(丘)として残ったものです.

ところで,モナドノックという言葉は,「山頂が平らな山」あるいは「孤立した山」を意味する北米原住民の言葉からつくられた用語だそうです.上川盆地には,こうした残丘がいくつもあり,先住民であるアイヌは,これらの上に砦(チャシ)をいくつもつくっています.北米原住民も,アイヌと同じように「砦」をつくっていたのでしょうかね.「孤立した山頂が平らな山」を意味する言葉があるということは,北米原住民も注目していたということで,その可能性は高いと思います.

さて,「親子山-将軍山-当麻山」はきれいに三つ並んでいますが,その北の延長には同様の「棚瀬山」,南には「黒岩山」があります.地質図の方で見ていただくと,黒岩山付近で連続する“青い地層”が規模を小さくしながら点々と北の方に延びている様子がわかると思います.

そうすると,これは「固い地層が残った」ということなんでしょうかね.どうもそうらしいですが,じゃ,逆になぜ途切れ途切れに残丘となっているのでしょうか? 立てた板みたいな山脈として残ってもいいはずですよね.

実際,この残丘列の西側にカタクリ自生地として有名な「突哨山」がありますが,こちらは立てた板みたいに,しかも「棚瀬山-親子山-将軍山-当麻山-黒岩山」の並びと同じ方向に延びています(当麻残丘列の写真を見直してください).

突哨山(ボレアロ=プー original)

さて,この方向はなに?

なぜ,連続していたり,(孤立した)残丘になっていたりするのでしょう.それは,この地層が今のカタチに至るまでの長~い歴史を表しているのですが,その説明は別の機会に…

おまけ:

さて,この残丘とおなじメカニズムでできた岩塊が石狩川の中,および忠和の底なし沼跡付近にあります.その話はいずれまた….