巻頭言「ミュンヘン会談」と「ヨーロッパ共通の家」
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「ミュンヘン会談」と「ヨーロッパ共通の家」
2月24日に、プーチン大統領の命令でロシア軍が一斉にウクライナの国境を越えて攻め込んだ。その可能性を論じていた者も含めて全世界の人々が予知していなかった暴挙であり、この出来事を境にウクライナとロシアの対立をめぐる議論は一変したといっていい。現在は議論の構図が、圧倒的戦力をバックにほとんど無防備な隣国に攻め込む悪逆無道なプーチンのロシアと、勝ち目のない戦いにもかかわらず自国の独立を守ろうと多くの市民が立ち上がり抵抗する被害国ウクライナ、になっている。昨今ではまず、無条件にプーチンを非難・弾劾しない限り議論からさえ排除されかねない気運である。
こうした風潮に対し姜尚中東大名誉教授は6日のテレビ番組で、プーチンがなぜこんなことをしたのかを理解しようとすることは、プーチンを支持することとは違うのであるが、現在の日本ではそれだけで非難の対象となっている、こうした雰囲気は問題である、といった趣旨を述べていた。また5日の毎日新聞では、国連メンバーなどとして世界各地で民兵の武装解除などを進めてきた国際法と紛争解決のプロという伊勢崎賢治東京外語大教授が、インタビューに答えて「私たちはついつい善と悪の役割をいずれかに当てはめて物事を見がちですが、戦争はそういうものではありません」と述べ、きちんと経緯を吟味する重要性を説いている。
ウクライナの問題が表面化した時に、私が真っ先に思い浮かべたのは第二次世界大戦直前の「ミュンへン会談」前後の情況だった。当時、チェコスロバキアのドイツ系住民が多数を占めるズデーデン地方をドイツに帰属させろ、というヒトラーの要求に対応すべく英仏独伊の首脳がミュンヘンに集まって協議した。戦争をチラつかせて強気に迫るヒトラーに、戦争だけは回避したかったチェンバレン、ダラディエ英仏両首相は、これ以上の領土要求を行わないことを条件に、ヒトラーの要求を全面的に認めた。チェンバレンは平和を守った指導者として帰国時には大歓迎されたが、戦後はチャーチルなどから弱気な妥協がヒトラーの野望に火をつけ、世界大戦を招来させたと厳しく批判された。ではヒトラーの要求に対して、どういう選択肢があったのか?
ただ戦後には、再び西ヨーロッパで戦争を起こさないという共通の認識で、独仏の石炭鉄鋼産業を超国家機関の管理のもとに置き、これに他の欧州諸国も参加するという枠組みの石炭鉄鋼共同体を設立し、これがEECを経てEUになった。少なくともEU内部国同士の戦争はなくなった。
東西冷戦が収束に向かっていた1987年、EUとロシアとの「ヨーロッパ共通の家」構想が、当時のソ連書記長ゴルバチョフから打ち出された。すべてのヨーロッパの国が政治的・経済的・軍事的な歴史的分断状態を克服し,一つの共同体として「共通の家」をつくるべきだとする考え方である。しかし冷戦に勝利し唯一の超大国となった米国は、軍事同盟であるNATOを一方的に拡大してきたし、社会主義を放棄し自由になったはずのロシアもいつのまにか独裁化してしまった。
ウクライナの情勢は今後どこに行き着くかは予測しがたいが、国際平和を目指す反戦平和運動としては、こうした「共通の家」的なヨーロッパを、はるか先であっても目標とすべきだろう。
牧梶郎(運営委員)