目次
【寄稿】葬られた福島第一原子力発電所事故の教訓
【寄稿】改正国民投票法-CM規制問題に潜む改憲動向
【寄稿】大村愛知県知事リコール署名偽造の何が問題か
【寄稿】「女性天皇」という幻
【寄稿】『現代の理論』フクシマ特集を取材して
【書評】青木栄一著『文部科学省 揺らぐ日本の教育と学術』
素朴な保守派を装う新自由主義者
「国民のために働く内閣」を掲げて菅義偉政権が誕生した。菅首相は、国会冒頭の施政方針演説で「一日も早く感染を収束させ、安心して暮らせる日常を取り戻す」と語った。しかし、感染の拡大は止められず、発足当時65%だった内閣支持率も33%にまで落ちてきている。(朝日新聞世論調査)
菅内閣の支持率を左右するのは新型コロナウイルスへの対応である。しかし、コロナ禍への対応の迷走によって、これが必ずしもうまくいっていない。なぜ、対応が迷走するのか、その原因は菅首相の政治理念(イデオロギー)にありそうだ。それゆえ、ここでは、菅政権が目指す政治とは何か。
菅首相は自らの政治理念として「自助・共助・公助」を国の基本とした社会像を掲げている。菅首相は、出馬表明の記者会見で「自分でできることはまず自分でやってみる。次に地域や自治体が助け合う。その上で政府が責任を持って対応する」と言ったことを引き合いに出して、さらにこんなことも付け加えている。「大きな政府を志向するのではなく、行政や大企業の既得権益を打破し、競争原理を持ち込むことで国民の生活水準を高める」と。
コロナ危機のこの時期、失業者の急増や雇用不安を受けて、バイデン政権が大規模な財政支出に踏み切ったように、世界の趨勢はそうした方向にある。しかし、日本の菅政権は、時代錯誤の「自助の精神」でこの危機を乗り切ろうとする。
森功は『菅義偉の正体』(小学館新書)の中で「菅本人の政策からは素朴な田舎気質を感じない。むしろ政策の根っこは新自由主義と称される市場原理にある。それは特定の企業や富裕層への利益誘導型政治と言い換えてもいい。菅には格差社会を生んだアベノミクスへの反省はない」と言う。
また、奥田知志NPO法人「抱僕」理事長も、菅首相の最大の過ちは、「助ける」ということに序列と順番を持ち込んだ点だと言う。つまり菅首相が言っているのは「自助」→「共助」→「公助」の順。これは言わば「ダム決壊論」と言える。「まずは自分でなんとかしてください、それで『自助』のダムが決壊したら、次は『共助』のダム、すなわち周囲で支えます。『共助』のダムも決壊したならば、最後は『公助』(国)のダムが助けましょう」と。こうした論理は、困窮者支援の現場から見れば机上の空論でしかない。「公助」に支えてもらう前に、「自分」も「周り」もボロボロに傷ついてしまう。例えば、お金に困っている人がいたとする。今の時代、地域住民でお金を貸そうとはならない。しかし公的な制度がしっかりしていれば、周囲の人々が「あの制度を使うといいよ」と「公助」につなげることができる。「公助」がしっかりしていれば、周囲も関わりやすいから、困っている人を一人にさせなくて済む。
6月28日の朝日新聞に「借りない 返せないから 特例貸し付け ためらう困窮者」という見出しで次のような記事が掲載されている。
コロナ禍で生活が苦しくなった人への政府の特例貸し付け制度の利用額が1兆円を超えた。しかし、その一方で、借金である貸し付けの利用をためらう世帯も少なくない。貸し付け業務を担う現場からは、困窮者支援の中心に貸し付けを位置づける政府の姿勢に疑問の声が出ていると言う。「奨学金と一緒。貸す時は支援。返す時は借金」と言い切る。
菅政権の「自助」政治は、困窮者への有効な政策として機能せず、アベノミクスを継承して、日本社会の格差拡大を推し進め、健全な中間層を掘り崩している現実を直視しなければならない。
豊田正樹(運営委員)