投稿日: 2021/03/27 10:12:57
2月13日午後11時過ぎ、激しい揺れに目が覚めた。蒲団に入ったまましばらく横になっていたが、あまりにも長い揺れに立ち上がった。10年前の震災が頭をよぎる。
あの日、私はNPOの事務所にいた。東京都心は震度5強、部屋のロッカーは倒れ、本や書類が舞う。必死でロッカーを押さえた。理事の一人が事務所に入ってきて、「外に出よう」と促され、2度目の大きな揺れで屋外に一緒に出た。3度目の大きな揺れ、地面が動いているように見えた。近くの避難公園に急ぐ人、ヘルメットをかぶった人もいた。
今年2月13日の地震、震源地は福島沖だが、私の記憶には残らないだろう。大きな被害や犠牲者も少なく、津波もほとんどなし、自宅の被害も、本棚の本が床に落ちたくらいだ。
毎年3月になると、メディアは東日本大震災の「特集」を組む。東日本大震災の16年前1995年1月、阪神・淡路大震災が起きた。東日本大震災の衝撃の大きさで阪神・淡路の方はうっかりすると記憶からはみ出してしまう。人間の脳だから「記憶が薄れる」ことはあって当たり前だ。しかし、「忘れている」わけではない。
東日本大震災も阪神・淡路大震災も忘れてはいない。震災が起こったときは非日常の経験だ。私たちは今、日常のなかに非日常を抱きこみながら生きている。そこで「忘れる」という現象が起きる。でも、それは記憶が消えたことを意味していないと思う。むしろ、意識の表層から、もっと深いところへと移っている。大きい悲しみも小さな悲しみも、わざわざ思い出されなくても…記憶とともに生きている。忘れられない戦争の記憶と同じだろう。
今日も、メディアが流す3・11の特集を読み、映像を見ている。この5年、10年で何が変わったのだろうか。確かに鉄道が動き、道路が走った。しかし地域の自立は進んだのだろうか。福島では増え続ける汚染水、行き場の見えぬ汚染度、終わりの見えない廃炉作業…。
この震災で、私たちは誰かや何かに任せておけば、うまくいくわけではないことを嫌というほど知った。そして、既存の仕組みに対するかなり深い疑念を抱えるようになり、自分なりに考えていかなければならないという、大変なことに気づいた。今のコロナ禍でそれは一層強まった。
『現代の理論』21春号で、冬号に引き続き「福島原発事故から10年目の検証」を特集している。、「故郷(ふるさと)なき被災地復興でいいのか」の論考と共に被災地の方々の声を聞いている。復興とは何だろうと考えると同時に「ふるさと」とは何だろう、と考えさせられる。彼らの話しを聞くと「集う」という言葉を思い出す。「群れる」ではなく「集う」である。個は集い、大衆は群れるのだ。個が集うのは、ふるさとしかないのかもしれない。
被災地では、個の自覚を深めることで他者との理解を深めていく作業・話し合いが行われている。それでなくとも、大きな仕組みに取り込まれそうな現代、余計に大切だと感じる。「文明災害」3・11を私たちは忘れずに、次の社会を生み出していく。(運営委員 寺嶋紘)