投稿日: 2018/08/17 9:43:23
先月末、ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」を観た(三上智恵・大矢英代監督、114分、ポレポレ東中野)。二人の監督はジャーナリストであり、三上氏は沖縄を取材対象とした映画「標的の村」「標的の島 風かたか」で知られている。映画の冊子は言う、沖縄戦の「裏の戦争」「最も深い闇」「少年ゲリラ兵」「戦争マラリア」「スパイ虐殺」、そしてその背景にある陸軍中野学校の「秘密戦」。
私たちの知っている「沖縄戦」は1945年6月23日に牛島満司令官の自決と第38軍司令部の崩壊で終わった「表の戦争」である。陸軍中野学校の青年諜報将校を隊長とする「護郷隊」という名の16歳程度の沖縄現地少年兵を動員・組織したゲリラ戦=「裏の沖縄戦」は6・23「沖縄終戦」の後も山地を拠点に続き、各部隊としての投降でやっと終わった。「表の沖縄戦」の裏側の闇で行われた少年兵を使った米軍戦車自爆攻撃、沖縄「民衆」(陸軍の作戦用語)の相互監視と密告、スパイを理由とした虐殺や八重山・波照間島からのマラリア猖獗地・西表島への強制移住と多数のマラリア病死の事実は、個別的・断片的には知られているが、それらは実は1942年晩夏に大本営が下した命令により沖縄に渡った42名の中野学校青年諜報将校による「秘密戦」計画によって系統的に進められた遊撃隊(「護郷隊」と称した)作戦の結果であることが判明する。軍は住民を守らない、国家(「国体」)と軍自身を守るのである。監督はアメリカ公文書館の米軍撮影沖縄戦フィルム(「沖縄戦1フィート運動」収集)をインタビュー映像のあいだにはさみ・つなげて、証言のリアリティを裏付ける。
映画は70年後の元少年兵生存者(大宜味村、東村、国頭村、恩納村など)へのインタビュー取材を丹念に積み重ねて、知られざる沖縄戦史の「裏」「闇」を初めて映像によって証明して見せた。この「秘密作戦」は本土決戦時の事前作戦類型としてだけでなく、実は現在の陸上自衛隊の南西諸島防衛計画・「民衆」協力調達作戦に深くつながっていることが明らかにされる。
中野学校青年諜報将校として映像写真に出てくるのは、「第一護郷隊」隊長・村上治夫中尉(1944年着任時22歳)と「第二護郷隊」隊長・岩波壽中尉(22歳)。さらに偽名の「山下虎雄」(本名は酒井清と判明、年齢・階級は不明)は1944年の暮れ頃、青年指導員として波照間国民学校に赴任したが、米軍がフィリピンに上陸して沖縄戦が迫ると「山下」は突如隠し持っていた軍刀を抜いて島民に(悪性マラリア有病地帯として島民に知られた)西表島への強制移住を命令した(島民の3分の1に当たる約500名、子どもも含む)。これは島民保護目的ではなく島民が捕虜となり米軍への情報提供者(スパイ)となるのを阻止するためだった。石垣島でも島内のマラリア猖獗地への強制移住が行われ、八重山諸島全体では3万6000人余の命が奪われた。
中野学校の「國内遊撃戰ノ参考 極秘」には「できる限り地元の人を活用すること」「絶えず民心の動向をつまびらかにし……」「住民と遊撃隊を一心同体にして協力させるよう」にして「民衆」を常に管理すること、住民を「偵謀・謀略的宣伝」=情報戦に使えと指示されていた(漢字・カナは現代文に直した)。現在の陸上自衛隊「野外令」(旧陸軍の「作戦要務令」に相当)は国内戦における「国民の協力」を重視する方針を打ち出している。映画は最後に言う、「軍隊が駐留すれば、必ず秘密戦が始まる。『護郷隊』と『スパイ虐殺』と『戦争マラリア』を結ぶ一本の線。このシステムにメスを入れない限り、沖縄戦の地獄は再来する」と。陸上自衛隊は対中国・尖閣諸島防衛をにらみ南西諸島(奄美諸島~沖縄諸島~宮古島~八重山諸島)での防衛態勢作りを重視し、与那国島にレーダー基地建設、宮古島にミサイル基地予定、石垣島にミサイル基地構想などを進めている。軍隊は島も住民も守らないのである。(運営委員 古川純)