投稿日: 2016/09/24 6:40:28
8月23日の朝(日本時間)、安倍晋三首相がスーパーマリオの扮装をしてリオ五輪の閉会式に登場した姿を見て、ある場面に思い当たったり、薄ら寒さを感じた人も多いだろう。ヒットラーまがいのここまでのパフォーマンスが安倍首相にとって必要だったのだろう。もし必要なら、リオ・パラリンピックの閉会式に行くのか、それが問われるはずだ。彼が「希少性」や新しい価値に魅力や価値をおくならば、行くのだろうが…
閉会式での安倍首相のパフォーマンスは、オリンピック憲章に違反することだけは確か。登場する必然性もないし、こんな非常識なことをするトップなど今はいない。厳しく糾弾すべきであろう。しかし新聞、テレビなどのマスメディアは批判もしない。もはや国威昂揚をあおる側に回ったメディアにそれを期待するのは無理なのか。
「パンとサーカス」という言葉がある。2世紀前半、古代ローマ時代に活躍した風刺詩人のニウェナリスが使った言葉だ。住民に(食糧)を与え、サーカスに熱中させれば政治的関心は低くなり、統治しやすくなると、当時の権力者たちを揶揄したものだ。この「サーカス」は馬車による戦車競走が行われた競馬場であり、円形闘技場などだ。サーカスは見せ物とも言う。
この警句は愚民政策の例えとして、しばしば用いられ、これをやってのけたのはあのナチスドイツ。ベルリン五輪や壮大な野外劇で、大衆が参加しつつ観客になるのが効果的だった。そして同時に、「大衆心理」をあおることで、「希少性」を排除する思想も育てていった。
今、この「サーカス」を演出・応援しているのがメディア、とりわけテレビだ。現代社会を支配しているのは、技術力であり生産力(国力)、そしてマスメディア、そして「大衆心理」と言われている。しかし正体が見えない大衆心理を捉えるのは並大抵ではない。マスメディアは「脚光を浴びる」「注目を浴びる」ことを人々の願望に作り上げ、大衆心理を包み込んだ。もちろん魅力がなければ、すぐにポイ捨てになるが…。
リオ五輪後の、日本経済新聞社の調査では「安倍首相に東京五輪・パラリンピックまで首相を続行してほしいと思う」が59%に跳ね上がり、「続けてほしいと思わない」の29%の2倍になった。リオ五輪閉会式の分かりやすいパフォーマンスが国民の東京五輪への期待感を膨らませることに成功した。これからは、東京五輪というサーカスを最大限に利用するだろう。すでに自民党総裁の任期延長、廃案にもなった共謀罪の復活、防衛予算もハネ上がった。
ただ、安倍首相は、その舞台「サーカス」に自ら出てしまった。演出された。これからの安倍マリオは、それこそピエロと言われようが、演じ続けることになるだろう。大衆の目におびえながら。
大衆心理は、これからも安倍ピエロに煽られ続けるのだろうか。「パン」も与えらていない人は多い。個人の人権、個人の尊厳、「希少価値」や新しい価値が尊重されされない世の中に声を上げる人々はいる。昨年夏からの国会前での行動などは、既成政党を大きく超える「マグマ」を秘めている。安倍首相はこの大衆の声におびえながら、ピエロを演じ続ける。
問題は、ピエロを引き摺り下ろす力をどうやってつくるか。日本軍と対抗するために中国の国民党と共産党が手を組んだ「国共合作」なのか、社会の力、市民の力を束ねていく新しい価値なのか。
(運営委員 寺嶋紘)