投稿日: 2016/06/21 10:01:42
ネットで書籍情報を検索すると「チェックした商品の関連商品」、「これにも注目」という欄に自分の嗜好ジャンルの書籍情報が表示され、「誰かに頭の中を覗かれているのか」と、ギョッとした経験がある。最近では大量のビッグデータを分析、「アマゾンで買い物すると、画面に『おすすめ商品』が表示されます。特定のユーザーを対象にしたターゲティング広告の一つで、購買や閲覧の履歴からコンピューターがその人の好みを自動処理で確率的に判断している」(朝日6/1「ビッグデータと私」山本龍彦慶大教授)。さらに進んで、SNSなどで発信した個人情報などをデータベースに蓄積、その人物の嗜好や思想傾向が評価・判断されるシステムとして企業などに活用されているという(同)。
痒いところまで手が届く、利便性の高い個人向けビジネスの深化だと理解する人も多いようだが、ブラックボックス化された世界で個々人の人柄までもが丸裸にされる(しかもそこでは誤った情報が独り歩きする)現象に違和感を拭えない。山本教授によると「予測された趣味嗜好にあった情報のみがサイトに送られ、個人が自分好みの情報に囲まれることを『フィルターバブル』」と呼ぶそうだが、そこには自分とは異なる意見、嗜好、別世界を予め拒絶して、バーチャル的に自分好みの安心世界を作り出すことで快適さを享受したいという幼児的な願望を見て取れる。
こうした願望はネット世界に特有な現象ではないようだ。「食の安全」、「子供の安全」、「国土の安全」が過度に強調され、「安心できる社会」が共通の合い言葉として提唱されてから久しい。その結果、どのような社会風景が現出しているのだろうか。
ジャーナリストの上野玲が外国人教育関係者が都内の公立小学校を視察したときのエピソードを紹介している。「『ここは刑務所か?』。外部を遮断するかの如く、堅牢に閉ざされた高いフェンス。監視カメラが何台も見張っているだけでなく、警備会社の警備員が敷地内を見ているだけで、疑わしげな視線を送ってくる」(日本社会を蝕む『安全神話』、『潮』15年10月号)。いまや中小都市に至るまで街角に監視カメラが無数に設置され、個人情報を無断で収録している風景は珍しくもない。
暴力団と交際すると規制される「暴排条例」、びっくりするほどの清潔さを保つ空港ロビー、感染症を心配して動物飼育をやめる小学校、おしり洗浄器の使いすぎで外敵から体を守ってくれている細菌を絶滅させるケース、賞味期限・消費期限の厳格規制など「安心・安全」を理由に異質なもの、不快なもの、怪しいものを身辺から排除する「清潔第一主義」が罷り通っている。行き着く先は「無菌社会」を目指しているように見える。
「口から入る日常の雑菌に曝されて腸管の免疫が強化され、下痢を起こす黴菌に抵抗力を獲得する」、「子供がたまに発熱したり下痢したりするのは、黴菌との戦い方を習得しているからである。成長の時期にここで戦い方を学習しないと、雑菌に対する抵抗力が弱くなり、逆にアレルギーを起こしやすい体質になる」(免疫学者・多田富雄)
生き物としての人間は無菌の中では生きていけないのである。好みの合う人たちだけでまとまる「安心社会」ではなく、未知の他者、異なる他者をも包摂する「信頼社会」の構築に向かうべきだ。
(運営委員 平田芳年)