投稿日: 2015/08/17 8:54:35
村山談話・小泉談話とワインゼッカー演説
戦後70年である。安倍首相は、8月6日の有識者会議「21世紀構想懇談会」の報告を受けて14日に閣議決定をして内閣を代表する公式の「安倍談話」を発表するとの報道がなされた。
安倍個人の見解の「首相の談話」と閣議決定を経た「首相談話」の間を揺れ動いていたが、連立政権相手の公明党の主張を考慮して閣議決定を経た戦後70年「首相談話」とする方向になったと考えられる。
「懇談会」報告は満州事変以降の日本を「大陸への侵略を拡大し……無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」と明記し、過酷な「植民地支配」を導いた「日本の政府・軍の指導者の責任は誠に重い」と指摘した(朝日8月7日)。
安倍首相が報告を受けて「歴史修正主義」の自論を変えるとすれば、背景には「国民の理解が進んでいない」安保法制=戦争法案の衆議院特別委強行採決に対する世論の「感じ悪いよね」多数派の形成と内閣支持率の低下、参議院審議中に「政権のホンネ」のでた「法的安定性は関係ない」暴言(礒崎首相補佐官)が安保法制の正当性に与えたダメージなどがあろう。
アメリカ政府高官からの安倍「歴史認識」内容への度重なる危惧表明もある。安倍「談話」発表の性格と内容を厳しく注視していきたい。
戦後50年の「村山首相談話」(1995.8.15)は、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と「植民地支配・侵略」「反省」「お詫び」を明言した(自民・社会・さきがけ連立内閣の閣議で満場一致で決定)。
戦後60年の閣議決定になる「小泉首相談話」は「村山首相談話」を踏襲して、「改めて痛切な反省とお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します」と述べた(2005.8.15)。
敗戦国(西)ドイツは5月8日が戦争終結記念日である。
たいへん有名な戦後40年の連邦議会ワイツゼッカー大統領演説(1995.5.8)は次のように述べた(永井清彦訳・解説『新版 荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年実年演説』、岩波ブックレット、2009.10)。
大統領は「5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを誠実かつ純粋に思い思い浮かべることであります」と演説を始め、「われわれは今日、あの戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人々を哀しみのうちに思い浮かべております」と述べた。
いまの国民と過去との関わりについて、「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております。……後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけには参りません。 しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」と訴えた。
ドイツ人の罪責をではなく過去に対する責任を問うのである。
ワイツゼッカー亡き後(2015.1逝去)もなお世界中に強いインパクトをもち続けるこの演説に加えて私が感銘を受けたのは、ポーランド・ワルシャワのユダヤ人ゲットー跡の記念碑に無言で跪拝するブラント(西独)首相の姿である(1970.12.7、翌年ノーベル平和賞受賞)。
これはヨーロッパの緊張緩和に大きな役割を果たした。
はたして安倍さんは中国訪問で、韓国訪問で、これに類する「象徴的行為」を行うことができるような英知と度量のある人物だろうか。(運営委員 古川純)