投稿日: 2015/01/22 10:12:28
健さんと「ホタル」
2015年の新年=未(ひつじ)年が明けました。本NPOを代表し今年も皆さまの一層のご支援とご協力をお願いいたします。
俳優・高倉健(健さん)が昨年11月10日永眠した(83歳)。
生涯に出演した映画は205作品に上る。
健さんは「最後の大物銀幕スター」と言われただけに雑誌・テレビ番組は高倉健特集を続け、とくに東映を退社して任侠・アウトローからの脱却を図った1976年以降の映画(22本)から数本がテレビで放映された(「幸福の黄色いハンカチ」1977、「鉄道員(ぽっぽや)」1999、「ホタル」2001、「あなたへ」2012など)。
愚直で不器用な男を演じた健さんに静かな感動を覚えた方も多いのではないかと思う。
私は、雑誌の特集などで批評家がほとんど言及しない映画「ホタル」にたいへん感銘を受けた。
批評家の沈黙は映画の政治的メッセージ性からではないかと思う。
健さんの追悼もこめて少し述べさせていただきたいと思う。
「ホタル」は、降旗康男・竹山洋脚本・降旗康男監督の健さん主演映画である(2001年;共演は田中裕子、奈良岡朋子、小澤征悦など)。
これは、鹿児島県知覧の陸軍特攻隊基地の近くにある食堂(映画では富屋食堂)で「知覧(特攻)の母」と慕われたという鳥浜トメさん(映画では山本冨子)を描いた赤羽礼子(トメさんの娘)・石井宏『ホタル帰る―特攻隊員と母トメと礼子』(草思社)を読んだ健さんが、これは映画で語り継がなければならないのでは、と話したことがキッカケで映像化が実現したとされる。
主人公の特攻隊員は山岡少尉〔健さん〕と金山少尉(朝鮮半島出身のキム・ソンジェ)〔小澤〕であり、金山の婚約者・知子(ともさん)〔田中〕は金山の特攻出撃・戦死後に山岡の妻となっている。金山は特攻出撃の前夜、富屋食堂の冨子〔奈良岡〕と山岡の前で「くにの歌」(アリラン;「骨になったら海を渡り……」)を歌った。
そして「自分が死んだらホタルになって帰ってくる」と告げた。
彼の出撃後に兵士たちの集まっていた食堂にホタルが翔んできたのであった。
しかし映画の胸をうつシーンはそこではない。山岡は戦後しばらくしてから重い病に侵された妻の知子を連れて、金山(キム・ソンジェ)の故郷(ロケ地は仮面踊りで有名な韓国安東市河回(ハフェ))を訪ね、金山の遺言と遺品を届ける旅に出かける。山岡は金山の親戚から「日本人のお前が生き残り、なぜソンジェが死ななければならなかったのか」と詰め寄られるが、山岡は金山が(書面では検閲があるので)口述で山岡に託した遺言を次のように伝えた。
「自分は大日本帝国のために死ぬのではない。朝鮮民族の誇りを持って朝鮮に居る家族のため、ともさんのため出撃します。朝鮮民族万歳、ともさん万歳。勝手な自分を許してください」
そこに居た車椅子のソンジェの叔母は知子をソンジェから便りのあった「嫁」になるひとだねと言いつつ抱きしめ、ソンジェの遺品を「ありがとう、私がいただきます」と言って受けとると、親戚たちの怒りの声も次第に収まっていくのであった。
叔母は「ソンジェの父母の墓にお参りしてくれたら喜ぶでしょう」と言う。
山岡と知子は帰国前に墓参りに行くと、そこにホタルが翔んできたのであった。
この映画の主題とメッセージ、感動はここに凝縮される。
寡黙な山岡の重い口から出るソンジェの遺言のメッセージ性こそ、健さんを作品の映像化へ促したのではないだろうか。(理事長・運営委員/古川純)