投稿日: 2014/10/21 11:46:59
琉球弧がざわめくと東アジアが揺らぐ
仲井真沖縄県知事は昨年12月、辺野古埋め立てを承認した。知事は公約を投げ捨て、民主主義を引き裂いた。11月県知事選の争点はこの埋め立て承認と辺野古移設の是非が最大のテーマである。同時にこの闘いは民意に基づく政治への民主主義奪還の闘いである。菅官房長官は、沖縄県による埋め立て承認を踏まえ埋め立ての是非は「争点にならない」と主張。辺野古基地建設の強硬策と相まって、沖縄支配強化へ暴走し、投げ捨てた民主主義政治に居直っている。「琉球弧がざわめくと東アジア全体が揺らぎ始め、軍事的緊張が高まる。東アジアの軍事的危機に比例して沖縄の軍事基地強化が図られる」(『夕凪の島』大田静男著・みすず書房)。時代はこのような局面に入っている。
20年前、1994年若泉敬は「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を公刊して世に問うた。若泉敬はこの著作の中で佐藤栄作首相の密使として72年沖縄返還交渉にかかわり、核兵器の再持ち込みと繊維という交渉上の2つの争点において密約を交わしたと、衝撃的な告白を行った。この若泉敬は同年6月23日付「歎願状」を「沖縄県民の皆様、大田昌秀知事」あてに提出し「1969年日米首脳会談以来歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を執り、武士道の精神に則って、国立沖縄戦没者墓苑において自裁します」と記し、1996年7月27日世を去った。「若泉さんは沖縄が返還された後は政府が基地を削減して沖縄の負担を軽くすると思っていた。それを信じていたからこそ密約を結んででもできるだけ早く返還させた。しかし基地の代わり映えのしない状況を見て申し訳ないことをしたと、結果責任だと言っているのです」(大田昌秀・沖縄返還の代償・NHKスペシャル取材班)
歴代自民党政府・外務省は「密約はなかった」と主張し続けてきたが、民主党政権下の検証で1960年と1972年との密約疑惑について、初めて主張を撤回し密約を認めた。政権交代の果実であった。しかし外務省は若泉敬=佐藤の代理人が関与した佐藤・ニクソン密約合意を否定し続け、現在に至っている。2009年12月、読売新聞のスクープで密約書面は佐藤栄作の私邸に存在したことが明らかになった。つまり、沖縄返還交渉の中心にいた若泉敬は72年沖縄返還の“政治的失敗”を直視し、その壮絶な生き様をもって政治責任を取った。保守陣営に属する人物とはいえ、嘘とペテンに支えられた安倍政権・日本政府の政治姿勢と対照的である。
スコットランドの住民投票では独立は否決されたが、住民投票によって国家の在り方を決定するという姿勢は世界に衝撃を与えた。英国民主主義の精神と手法の勝利である。
「琉球王国が1879年日本に併合された琉球処分と対比し、一度統合された地域が主権を回復する権利があると自己決定権を主張し、その権利を平和的に獲得してきた先進事例だ」(島袋純・琉球大)。民主主義にとって重要な点は、独立に反対するイギリス政府(保守党)もこの問題を決めるのは、その地(スコットランド)にすむ住民であることを理解し、承認し、その実施を保障したことである。安倍・自民党政府の強権的姿勢の特異性は明らかだ。
現在の沖縄の危機を打開する回路は“沖縄の主権回復”の闘いであり、沖縄の自治・自決の闘いの道である。本土サイドの私たちにとって「小指の痛みを全身の痛みと感ずる」感性を取り戻し、その土台にヤマトと沖縄の歴史を復活する歴史観を取り戻す必要がある。
(運営委員 山田勝)