投稿日: 2014/09/19 8:13:41
安倍首相の哀悼メッセージ
朝日新聞8月27日付報道で、安倍晋三首相が今年4月、A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを送っていたことが明るみに出た。追悼法要は高野山奥の院にある「昭和殉難者法務死追悼碑」で陸軍士官学校OBらでつくる「近畿偕行会」と「追悼碑を守る会」の共催で営まれた。首相メッセージは「今日の日本の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉難者の御霊に謹んで哀悼の誠をささげる」と記しており、司会者が読み上げたという。
先の「アジア太平洋戦争」が終結した8月15日を前後して首相、閣僚の靖国神社参拝が大きなニュースとなることが常態化している。2000年以降、小泉政権、第一次安倍政権と二代続けて政権トップが靖国参拝を実行、日本軍の謀略で始まった満州事変から韓国、中国、アジア諸国に戦域を拡大した「アジア太平洋戦争」に対する日本人・日本政府の歴史認識と戦争責任に内外から疑念が生じているためだ。
歴史上の事実を繰り返すまでもなく、1945年8月14日「ポツダム宣言受諾」、降伏文書調印に始まる戦後日本の国際社会への復帰は、極東国際軍事裁判(東京裁判)、「サンフランシスコ講和条約」署名を経て56年の国連加盟で実現する。この一連の過程で日本政府が公式表明した歴史認識は1985年の中曽根首相国連総会演説、95年の戦後50周年村山首相談話に引き継がれ、いわば国際社会への公約として受け止められてきた。
「戦争終結後、我々日本人は超国家主義と軍国主義の跳梁を許し、諸国民、自国民にも多大な損害をもたらしたこの戦争を厳しく反省しました。わが国は平和国家をめざし、専守防衛に徹し、二度と再び不義大国にならないことを内外に宣明した」(中曽根演説)
「わが国は遠くない一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多くの損害と苦痛を与えました。この歴史の事実を謙虚に受け止め、あらためて痛切な反省の意と心からのお詫びの気持ちを表明し、内外すべての犠牲者に哀悼の念を捧げる」(村山談話)
ところで安倍首相がメッセージを送った追悼碑は戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」と記し、A級戦犯を含む約1180人の戦犯が「昭和殉難者」として刻まれている。「昭和殉難者」とは何か。靖国神社境内に併設する遊就館や神社概要によると、「先の大戦はアジア開放の戦い」であり、責任を問われたA級戦犯は「形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命をたたれた方々」(やすくに大百科)という評価になる。ここには「超国家主義と軍国主義の跳梁を許し」、「国策を誤り」、「痛切な反省」という認識はない。
ここで東京裁判の是非を論ずる紙幅はないが、たとえ特異な歴史的経緯があったとしても、A級戦犯が戦争責任者として歴史の刻印を受けた事実を消すことはできない。「A級戦犯は国内法では犯罪者とは扱わない」、「A級とは便宜的に呼んだだけで、罪の軽重とは関係ない」と強弁する安倍首相は、昨年末の靖国参拝に続いて今年は私費で玉串料を奉納した。もはや確信犯的歴史修正主義者と言うほかない。(運営委員 平田芳年)