投稿日: 2014/07/19 10:32:10
『NEWS LETTER』 7月号 巻頭コラム
安倍政権の「集団的自衛権」とは何か?
毎日新聞の日刊時論フォーラム(6月26日)に、秋山信将氏(一橋大学大学院教授)は、集団的自衛権について、次の投稿を寄せている。
「安倍政権は、集団的自衛権の行使を可能にするよう憲法解釈の修正を目指している。しかし、これだけ重要な政策課題であるにもかかわらず、政策論としての本質かつ実質的な議論が深まっているようには見えない」「政府が示した集団的自衛権行使の事例は、それが本当の問題の本質なのかと思わざるを得ないものが多い」「反対側も、日本は戦争する国になるといった情緒的でリアリティに欠ける議論が多く、情緒的な言葉を並べての反対論は、今の政党政治が安全保障という国家の一大事を理性的な議論に基づいて決定できないことの表れではないか」と与野党両方に批判的である。
一方、6月10日の朝日新聞、オピニオン欄では、三谷太一郎氏(東京大学名誉教授)が「安全保障を考える 同盟の歴史に学ぶ」というタイトルで、インタビューに答えている。以下、三谷氏の主張を紹介することで、安倍政権の「集団的自衛権」とは何か、今、我々は何をなすべきかを考えてみたい。
三谷氏は近代日本政治史が専門。特に大正デモクラシーを軸に、日本の政党政治がどう育ったかを体系的に解明し、三谷政治学を樹立したことでも有名である。最近では、立憲デモクラシーの会主催の講演会にも講師として登場している。
氏は、歴史の文脈の中で、集団的自衛権の問題をどう捉えたらよいのか、と問題を立て、戦後68年が経過し、日本人の戦争観が、敗戦直後とは大きく変化したことを述べている。それまで戦争が一般に適法なものとされてきたのが、第二次大戦後、戦争が一般に違法なものとされ、しかも犯罪とされるに至ったことを指摘、その結果、戦争の放棄を謳った日本国憲法第9条第1項「日本国民は‥‥国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」に結実したとしている。つまり、“軍事同盟から軍縮条約、そして非戦同盟へ”と同盟の歴史的・政治的な変遷の視座を提示されており、大いに刺激的な論点であるように思われる。
しかし、今日、安倍政権が推し進めようとしているのは、「戦争に敗けた国」からの脱却であり、『普通の国』=戦争のできる国、アメリカや中国のように「勝者の戦争観」に立つことである。
軍事同盟は「共通の仮想敵国の存在」が前提になる。その際、情勢の展開次第では、仮想敵国が『現実の敵国』に転化するといったリスクを常に念頭に置いておかねばならない。軍事同盟の論理は抑止力だが、抑止力は常にリスクを伴う。日本が中国を「仮想敵国」とみなし、それへの抑止力として、日米安保で集団的自衛権の行使を認めることになれば、現実に戦争をするリスクを伴うのは明らかだ。
三谷氏は、次の言葉で締めくくっている。「私は、はっきり言うと、戦争によって国益は守られない、戦争に訴えること自体が、国益を甚だしく害すると考えます。日本の安全保障環境は、戦争能力の増強ではなく、非戦能力を増強することによってしか改善しないでしょう。その際、日本が最も依拠すべきものは、国際社会における独自の非戦の立場とその信用力だと思います。日本の非戦能力は決して幻想ではありません。戦後68年にわたって敗戦の経験から学んだ日本国民が営々と築いてきた現実です。この現実を無視することは、リアリズムに反します」。
(運営委員 豊田正樹)