投稿日: 2020/06/02 9:21:00
アメリカのトランプ大統領が、朝鮮戦争下の1950年に成立した「国防生産法」を復活させたのは3月18日だった。その記者会見でトランプ大統領は、「アメリカが戦時体制にあると考えているのか」と記者に問われ、「これ(コロナウイルスとの闘い=筆者注)は、戦争だ。私は、ある意味、自分のことを戦時下の大統領だとみなしている」と答えた。
それからひと月後の4月18日、日本感染症学会のシンポジウムで講演した武藤香織・東大医科学研究所教授は、「『戦争なのだ』と言われると鼓舞される人もいるのかもしれません。しかし過去の戦争で犠牲になったのは指揮官ではなく、沢山の弱い人たちです」「このウイルスとは長く付き合っていかなければならない中で、『戦争』という表現は適切とは思えません」と指摘。戦争のメタファー(隠喩)から、「どううまく付き合い、どううまく逃げるかというメタファーに変えていく」必要があると訴えた。
戦争という譬えは、「せん滅すべき敵」の存在が前提だ。ところが目に見えないウイルスを「せん滅」できるのは、薬品や医療器具を扱える医療従事者や研究者に限られる。むしろ一般の人々は、偏見や差別意識を動員しつつ「疑似的な敵」をつくり出すことで、ウイルスという敵の「見える化」を追い求める。「アジア系」というだけで眉をひそめ、ののしり、果ては殴り掛かることで「戦争に参加する」ためにだ。
同様の意味で、「安全保障」という譬えにも危うさがある。安全保障は一般に「国家と社会の安全」がテーマだ。「国家の安泰」と「社会の平穏」のために、「要請に従わない者」は「社会的脅威」として攻撃対象になる。たとえそれが暴力を伴わないとしても、社会の分断と格差が助長され、社会的な相互信頼に深刻なダメージを与えるのだ。
「戦争」や「安全保障」の譬えが生み出す負の連鎖は、武藤教授のいう「沢山の弱い人たち」に感染者が偏っている事実によって、さらに増幅される。アメリカで最も深刻な感染爆発に見舞われたニューヨーク市5区のうち、人口10万人当たりの感染者数が最も多いのは、ブルーカラー層の住民が多く市内最高の貧困率にあえぐブロンクスの1962人で、外国生まれの市民が47.3%を占めるクイーンズも1590人と3番目だ。他方で富裕層が多く居住するマンハッタンは、887人(以上4/19現在)と最少だ。こうした現実の下で叫ばれる「戦争」の譬えは、社会的下層にある人々を「疑似的な敵」と見なす扇動へと転化するに違いない。
感染症に対峙する「危機管理」の核心は、「見えない敵」と協働して対峙する「社会的連帯」と「相互扶助」の再構築と強化であろう。相互に他者を気づかい、励まし合い、手を差し伸べる以外に、新型ウイルスとの長い付き合いは不可能だ。そしてこの「連帯と互助」の促進の成否は、危機管理の先頭に立つべきリーダーが、「社会的共感」を組織できるか否かによって大きく左右される。
その点で注目すべきは、欧州の女性リーダーたちだ。ドイツのメルケル首相、フィンランドのマリン首相、加えてニュージーランドのアーダーン首相といった女性リーダーたちは、連日のようにTVやネットに登場し、子供や女性たちの不安や疑問に直接応えあるいは寄り添い、市民たちの間に大きな共感を呼び起こしている。
いま私たちが直面する「グローバル時代のパンデミック」という事態は、「社会的共感を組織する能力」を世界中のリーダーたちに問うているのだと思う。(運営委員 佐々木希一)