投稿日: 2014/07/19 10:23:20
『FORUM OPINION』25号の特集テーマについて
-安倍内閣の安保・外交政策を問う―
安倍晋三総理が、自分の「お友達」を集めてつくった私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」。この懇談会がまとめた「報告書」をベースに集団的自衛権の行使容認に関する議論が進められている。安倍総理が私的に参考にするだけなら、どんな人を集めて何を懇談させようが勝手だが、それがいつのまにか「政府の懇談会」の扱いになり、国の基本政策の転換を検討するベースとなっていることは、とうてい許されることではない。田岡俊次氏も指摘しているように究極の「公私混同」である。
さらに安倍総理は、「憲法の解釈は自分が決める」というのだから、なにをかいわんやだ。「憲法は国家権力を縛る」ものであって、恣意的な行政運営に対する歯止めの役割が期待されている。こうした「立憲主義の憲法」の大前提を無視して、国家権力の側の都合で憲法解釈を変更することは、変更の内容以前に「憲法」そのものを破壊し無力化することにほかならない。有力な改憲派の論者である小林節・慶応大学名誉教授が「憲法泥棒」、「憲法のハイジャック」と怒るのはもっともだ。
『軍事研究』という軍事雑誌に「市ヶ谷レーダーサイト」というコラムがある。最新号で筆者の北郷源太郎(創刊者の小名孝雄氏のペンネームと言われる)氏は次のように書いている。「集団的自衛権の行使容認が一内閣の解釈変更でできるのなら、今まで『専守防衛』の制約を負いつつ奮闘して来た防衛省・自衛隊の先人たちの苦労は何だったのだろうか? どうしても今のままでは新たな脅威に対抗できないならば、解釈の変更ではなく、憲法改正しかない」、「保守派の面々が集団的自衛権行使容認には諸手を挙げて賛成しているのは解し難い話」であると。憲法改正をして、自衛隊を堂々たる日本の国軍にすべしという結論には賛同はできないが、「こんなことが許されるなら、今までの苦労はいったい何だったのか?」と言いたくなる気持ちはよく分かる。ことほどさように安倍総理の手法は異常なものなのである。
この間の安倍解釈変更との闘いでは、伝統的な護憲派とはいえない人の活躍が目立った。阪田雅裕・元内閣法制局長官、柳沢協二・元内閣官房副長官補などの防衛官僚、小林節教授のような改憲派の論客…。今号掲載の田岡俊次氏も伝統的な護憲派とは言えないだろう。これらの人々は、護憲派にとっては長年にわたって憲法の制約を骨抜きにしてきた敵方だ。しかし彼らの努力があったからこそ、「憲法」と「自衛隊」という矛盾する存在がなんとか両立できてきた面もある。いま突如として「憲法解釈は時の政権が勝手に変えればいいので、両立させる努力は不要」と安倍晋三に言われ、ハシゴを外された。後退局面の一場面にいる我が護憲派より、怒りは強いのかもしれない。この間の「共闘」を通じて、現状を受け入れながら憲法をギリギリ生かしてきた、これらの人々の取り組みから学ぶことも少なくないことに気付かされている。
今号では田岡氏に加え、飯島滋明氏に「集団的自衛権行使容認より平和基本法を」と題し、真正面からの論評も掲載した。期待してください。
(本誌編集委員会本号責任者/野崎哲)