77年(14期)

リーグ戦の戦績は記憶してませんが、一年、二年時の新人戦は良い結果だったと記憶してます。

私はクラスが同じだった吉本君に履修登録を指導してもらう条件でサッカー部に入部しましたが、サッカーは未経験で、当初は空手を経験していたので空手部に入部を考えていましたが、入部した以上は負け犬になることが嫌で意地で続けました。

但し、走る事、パワー、スタミナは人並を外れてましたのでサッカーを知らないハンデはありましたが、苦しいながらも練習には付いていく自信はありました。それでも試合に使ってもらえず、ベンチに座る事も多く、負けず嫌いだった性格の為、悔しい思い出は今も記憶しています。

二年の時、夏の練習中に当時主将だった英次郎さんと喧嘩になりサッカー部を辞めろと言われて売り言葉に買い言葉で「馬鹿野郎辞めてやるよ」と言ってグランドを出たことは忘れません。その時も昨年他界した加藤さんが泣いていた私を慰めてくれ、自宅でいじけていた私に郡さんやコーチの斎藤さんが「熊、戻ってこいよ。お前はサッカーが好きなんだろ」と言って下さり一週間程で部に復帰出来ました。

入部時、10人位いた同期が最後は5人でしたが、サッカーを続けられたことがその後の私の自信となり一生の財産であることは紛れもない事実です。

54歳となった現在でも二十代から比べると落ちましたが、スポーツクラブを週に5回は行き、週末は自転車と社会人サッカーで汗をかき、体力の維持をはかっています。18歳で始めた男が36年のサッカー歴となり今でも若手と共に公式戦で45分×2本をフル出場で走り回り化物と呼ばれることを快感としています。最後に50周年のイベントを企画して下さり有難うございます。出来る限りの協力はさせて頂きます。

熊田 武民(くまたたけひと)

昭和52年 経済学部経済学科入学