65年(2期)

入学と同時にサッカー好きの仲間が集まり創部に努力した事を覚えている。まず大学側と体育会の設立から始まり部としての認可を取得 予算の確保 グランドの確保 部室の建設 等々 サッカーの練習よりもむしろ この様な仕事で奔走した事が記憶に残っている。

当初の部員は11~12名で有ったと思う。 グランドも造成しただけの状態で有った為毎日グランド整備が仕事、特に雨の日は泥沼のような状態になりボールが鉛の様に重かった.

それでも 初代主将 星さんを中心に練習を重ね何とか 関東大学リーグ 7部へ加入することが出来た。

監督は独協高校のOB 高橋さん 部長は伊達教授にお願いし大変お世話に成りました。2~3年後に教育大学の元日本代表候補のキーパーであった田代先生に大学に来ていただくことが出来厳しい指導を受けたことが懐かしく思います。

1年目の成績は7校中3位程度ではなかったかと思います 残念ながらその後の対戦相手、また戦績は思い出せません。

その後星さんの後を受けて2年間主将を勤めさせて頂き、何とか7部脱出を試みたが残念ながら果たすことが出来ず後輩に託す事と成った。(埼玉リーグになったのが何時かは記憶になし)

サッカー部在籍中での思い出として

1 早稲田大学時代のあの釜本選手が高橋監督の好意でわざわざ独協のグランドへ指導しに来てくれた事

2 東京オリンピックで使用した大宮サッカー場で何回か公式戦が出来た事

3 合宿で体力の限界に挑戦しその後隠れて吸ったタバコの美味しかった事

などが記憶に残っています

それと初代主務を引き受けて頂きサッカー部の運営に尽力頂いた中根さんに敬意を表したく思っています。

私 昭和44年卒業後大阪の会社(旧 光洋精工 現 ジェイテクト)へ入社し大阪社会人リーグ1部で10年間ほどサッカーを続けることが出来ました(当リーグにはJリーグの母体となったヤンマー 住友金属 松下電器などがいました)

昨年4月に40数年振りに大学を訪問しました 当時と比較出来ないほど大きくなったのに驚き また グランドは全く昔の面影は無く立派なのに感動しました。

独協大学サッカー部の今後益々の活躍を期待します。

安武