70年(7期)

7期名簿

主将

松下良夫(MF) 経済学部経営学科 都立一橋高校

副将

森田信一(GK) 経済学部経済学科 長崎県立長崎東高校

主務

細田鉄男(DF) 外国語学部英語学科 埼玉県立蕨高校

野口和彦(MF) 経済学部経済学科 静岡県立清水南高校

東 伸一(FW) 経済学部経済学科 明星学園高等部

三沢義人(FW) 外国語学部英語学科 明星学園高等部

マネージャー

山本雅代 外国語学部英語学科

1970年

埼玉リーグ 準優勝 (優勝 埼玉大)(4期 沢野文生主将)

先のメキシコオリンピックで日本代表が初の銅メダルを獲得したこともありサッカーブームが続き、部員数は50名を超えた。春季に強化策としてサッカー処の静岡に遠征し、静岡大、藤枝クラブと練習試合を行った。夏季には菅平にて合宿を行った。

埼玉リーグでは、やはり埼玉大の壁は厚く、優勝を逃した。

1971年

埼玉リーグ 優勝 (5期 芳賀隆司主将)

埼玉リーグでの初優勝と関東大学リーグ2部との入れ替え戦出場を目標に、茨城県高萩での合宿後、関西遠征にて大商大、京産大と練習試合を行った。

埼玉リーグでは、宿敵の埼玉大を破り初優勝。関東大会では一回戦で首都リーグ1部の一橋大を破ったが、準決勝で駒沢大に惜敗し、関東2部との入れ替え戦進出を逃した。

1972年

埼玉リーグ 優勝 (6期 石黒達郎主将)

春季に日本リーグの藤和不動産(湘南ベルマーレの前身)との練習試合を行う機会に恵まれ、那須のグラウンドに赴き胸を借りたが、結果は0-6でトップリーグとのレベルの差を痛感した。夏季には日光での合宿を終え広島に遠征し、広島大、広島工大と練習試合を行った。埼玉リーグでは、二連覇を果たし、関東大会に駒を進めたものの、一回戦で首都リーグ1部の明学大に敗れ、関東2部との入れ替え戦に進めなかった。

1973年

埼玉リーグ 優勝 (7期 松下良夫主将)

霧ヶ峰での夏季合宿後、関西遠征にて関西大、同志社大、大商大と練習試合を行った。

また、埼玉リーグ開始前には東大検見川グラウンドにて短期合宿を行い、千葉教員との練習試合の他、合宿中の日本リーグの雄東洋工業(サンフレッチェ広島の前身)と練習試合をすることが出来た。結果は0-8の大敗で、日本のトップチームに歯が立たなかった。

埼玉リーグでは三連覇を果たしたが、関東大会では一回戦で首都リーグ1部の立教大に敗れ、又しても入れ替え戦進出はならなかった。天皇杯では埼玉県大学チーム代表として出場したが、初戦で埼玉教員に敗れた。