【三葉虫】

遊泳性三葉虫ハイポディクラノタス

Post date: Apr 10, 2014 10:08:48 AM

三葉虫の多くは底生種です.堆積岩相に依存した産出例が数多く知られていることから,三葉虫の各種は生息場の底質環境に適した生態的な特性を備えていたと考えられます.一方,三葉虫の中には,水中へと進出した遊泳種も知られています.この場合,化石が特定の堆積岩類に限らず産出し,汎世界的に分布を広げていたなど,底生種では実現しにくい現象で特徴づけられています.

最初に水中へ進出した三葉虫は,カンブリア紀の後期に登場しました.当時は,どちらかといえば浮遊に近い水中進出だったと考えられています.体サイズが小さく,巨大な頭部にボテっとした球体様の複眼を持ったその姿は,オキアミなど現在の浮遊性節足動物とも一致する形態的特徴です.オルドビス紀に入ると,推進力を稼いで積極的に泳ぐ三葉虫も登場しました.中でもレモプレウリデス科に属するハイポディクラノタス(学名:Hypodicranotus striatulus)は,高い遊泳性能を連想させる滑らかな外骨格を備えています.しかもハイポディクラノタスは,1万数千種も知られている三葉虫の中で唯一,腹側全体をマウスガード様器官ハイポストーマで覆う種としても知られています.

ハイポディクラノタスの名前は「Hypo-:ハイポストーマ」と「dicrano-:2つに分岐した」に由来します.その名の通り,二叉形の長いハイポストーマが特徴的です.その凶悪な見た目から,二叉形の先端部分をフォークとして利用する捕食者としての生物像があてがわれてきました.ところが,ハイポディクラノタスのハイポストーマは,頭部にしっかりと固定されていて自在に動かすことはできず,我々がフォークを使うような役割を想定することに無理があります.

1.フォークがあると

ハイポディクラノタスが遊泳種だとすれば,この奇妙なハイポストーマの形態は,遊泳に何らかの影響を及ぼしていたはずです.そこで,腕足動物の研究でも取り入れていた流体解析によって,遊泳に関わるハイポストーマの効果を検討しました.

かたちと遊泳の関係に注目すると,付属肢の運動で推進力を得る節足動物は,外骨格の形態を変化させず水中を惰行(滑走)するように遊泳します.そこで,フォーク形のハイポストーマを付けたハイポディクラノタス模型と,フォークを取り除いた模型について流体解析を行い,模型まわりで生じる流れの挙動を検討し,泳ぎやすさの指標となる抗力(前進しやすさ)と揚力(浮き上がりやすさ)を評価しました.

流体解析の結果を読み解くと,流れの剥離が外骨格まわりでほとんど発生せず,きわめて特異的な流線形であることがわかりました.さらに,本種に特徴的なフォーク形ハイポストーマが抵抗を低減し,幅広い遊泳速度において揚力を安定させる機能を持っていたことが明らかになりました.三葉虫に限られた体づくりの範囲内で外骨格の形態を変化させ,新規的な行動特性である遊泳能力の獲得へ至ったのでしょう.

2.フォークの謎

フォーク形ハイポストーマは,流れを整えて抵抗低減する機能を備えていました.それでは,なぜフォーク形にしているのでしょうか?フォークの外側は,三葉虫の付属肢が露出する部分ですから,完全に覆われないことはわかります.露出部分を減らして抵抗を抑えたいのであれば,フォーク形ではなく,1枚の板で腹側の正中線上も覆ってしまったほうが効果的なのではないかと疑問が出てきます.

この理由は,ハイポディクラノタスの遊泳時に外骨格まわりで生じる流れから説明できそうです.流れの挙動を流線で追跡すると,外骨格の内側で2種類の渦が形成されました.1つはフォークの隙間で発生した外骨格の内表面を伝って逆流する渦,もう1つは側葉の内表面を伝う左右一対の渦です.

フォークの隙間,正中線上に沿ってできる渦流は,カブトエビなどの現存する節足動物が作り出す水流によく似ています.田んぼなどに生息するカブトエビは,腹側の正中線上に食溝と呼ばれる溝を持ち,ここを伝う流れを利用してエサを捕えています.カブトエビは付属肢の運動で水流を形成していますが,ハイポディクラノタスは遊泳することで水流を形成し,食溝を利用した摂食方法を可能にしていたのでしょう.ハイポストーマを1枚の板にしてしまうと,正中線上に沿う流れが生まれません.

また,左右一対の渦が発生した側葉内表面の一部は,エラとして働く呼吸領域を含んでいます.したがって遊泳行動をとると,呼吸領域まわりの水を効果的に入れ替えることができ,高い呼吸効率が期待できそうです.

渦の発生は抵抗を生み,揚力を不安定にするような乱流の原因となります.これは,遊泳性能に関わる流力特性としては都合の悪い現象です.しかしハイポディクラノタスは,遊泳によって生まれた渦を無理に制御するのではなく,摂食や呼吸といった自身の生命現象へと転用できます.特徴的な形態や行動生態の裏に,ハイブリッドな遊泳機能体としての生物像が見えてきました.

流体解析と生態復元

Shiino, Y., Kuwazuru, O., Suzuki, Y. and Ono, S., 2012. Swimming capability of the remopleuridid trilobite Hypodicranotus striatus: Hydrodynamic functions of the exoskeleton and the long, forked hypostome. Journal of Theoretical Biology, 300, 29-38. doi:10.1016/j.jtbi.2012.01.012 [abstract]

関連する報告・記事

椎野勇太,2012.水中へ進出した三葉虫のバイオメカニクス.佐々木猛智・伊藤泰弘(編),東大古生物学-化石からみる生命史,252-256.東海大学出版会,秦野. [Amazon]

椎野勇太,2014.高機能な遊泳性三葉虫はプレデターか?地球46億年の旅 第10号「三葉虫現る」,13.朝日新聞出版社,東京.[Amazon]