研究概要

Introduction

生命は,地球環境の変化に応じて進化を遂げ,また逆に,生命活動が地球表層の大気海洋にフィードバックを繰り返しながら共に進化してきました.この相互関係を理解するために,「過去の生物がどのような生理・生体的特性を持ち,様々な環境へと適応放散していたのか」を中心的な課題として研究しています.特に,化石として保存される骨格形態を題材とし,かたちの進化メカニズムについて理解を深めることを目指しています.

動物のかたちは,体内の生物活動(採餌や呼吸など)と体外の環境を隔てる境界でもあります.したがって,体の内外どちらかの変化が,かたちに大きな影響を与えることもあります.特に水棲生物の場合は,媒質である水が大きな抵抗となるため,流水環境に応じた骨格形態を備え,何らかの生物活動を円滑に行っていることが予測されます.

腕足動物:二枚の殻をデバイスとした「濾過機能体」

海洋無脊椎動物の腕足動物は,定住性の底生生物です.多くの種が二枚の殻を持っていますが,二枚貝とは別の分類群であり,体制も全く異なります.殻の内側の大部分は,多数の触手が配列した触手冠と呼ばれる器官で占められていて,この触手で海水中に漂う植物プランクトンなどの有機物を濾過して摂食する懸濁物食者です.ある種の腕足動物は,腕骨と呼ばれる石灰質の組織で触手冠を支えています.そのため,すでに絶滅した腕足動物であっても,化石として保存される腕骨を観察することで触手冠の形態を復元することができます.

殻内外の水を交換することは,腕足動物にとって特に重要な行動の1つです.これは,エサの問題だけでなく,新鮮な海水を取り込んで呼吸するためでもあります.また,腕足動物の生殖活動は,雄と雌がそれぞれ精子と卵子を海水中に放出し,海水中で受精させる放精放卵様式です.したがって,「摂食・呼吸・生殖」といった普遍的な生物活動を,媒質である「海水の流れ」に強く依存しているということです.

現在の腕足動物は,触手に配列した繊毛の運動によって水流を生み出し,殻内外の水交換を行っていることが知られています.しかし,繊毛運動によって作られる水流は,それほど強いものではありません.各個体の都合によっては,周辺に生じる流水に身を任せ,殻の内外を自動的(受動的)に通り抜ける水流を利用することもあります.つまり腕足動物の水交換は,繊毛運動による能動的な方法だけでなく,流れに身を任せた受動的な方法も兼ね備えているのです.

現在の海ではおよそ330種しか存在しない腕足動物も,時代を遡れば12000種以上の化石記録が知られています.特に古生代では,現生種とは比較できない奇怪な殻形態を持った腕足動物が,劇的な繁栄・絶滅を 繰り返していました.このように外形が違えば,殻のまわりに生じる流れも異なります.当然ながら,受動的な水交換のメカニズムも一様とならないことを意味 します.腕足動物がそれほど活発な生物でないことを考えると,受動的な生き様を工夫した結果が奇怪な殻形態であり,大繁栄や大絶滅の明暗を分ける1つの要 因であったかもしれません.

三葉虫:守りの骨格に動きを内包した「機能複合体」

三葉虫は,古生代にのみ生存していた節足動物です.頭から尾まで並んだ同期的な節を見ると,ダンゴムシを思い出す人もいるでしょう.その想像通り,多くの三葉虫は,腹側に配列した多数の付属肢で海底を歩く底生生物でした.危険を察知したときは,ダンゴムシのように丸くなり,防御できた三葉虫もいました.

三葉虫の外骨格は,貝殻などの成分と同じ炭酸カルシウムで作られています.そのため,鎧をまとったような雄々しい姿が,豊富な化石記録として残されるのです.頑丈な外骨格とは異なり,付属肢はめったに化石として残されません.節足動物の人気を貶めている理由の1つ,フシフシの肢が残されにくい点は,一般受けを良くすると同時に,多くの三葉虫研究者をがっかりさせています.ただ,付属肢の情報はゼロではありません.例外的に保存された化石記録を見ると,櫛歯状の外肢と,いわゆる節足様の内肢で構成された二叉形付属肢であることがわかります.この二叉形付属肢はシンプルな形をしているため,カニのハサミやエビの腹部に並んだ遊泳脚のように,特殊な役割を備えていたとは考えられません.どちらかといえば,三葉虫の二叉形付属肢には,歩行や海底を引っ掻くだけのシンプルな機能性しか持ち合わせていなかったのでしょう.

節足動物にとっての付属肢は,生活様式や運動性能に関わる「行動の起点」といえます.したがって,単純な二叉形付属肢を持つ三葉虫は,どうやっても行動が制限されてしまい,付属肢の役割に依存した生態的な多様化は期待できません.むしろ,あまり機能的でない付属肢を補助するように,外骨格の形が役割を持ち,その結果として多様な外骨格形態が生み出されたのではないかと想像されます.実際に,モルフォタイプ(生態表現型)と呼ばれるような形態区分が顕著にみられることからも,骨格に備わった形態機能とそれに付随する生態が,密接に関係していた可能性は無視できません.

「三葉虫」という名前は,体を縦に3分割した中葉と側葉で見立てられる三葉構造に由来します.中葉の腹側に口や消化器官が収められ,側葉の内表面は呼吸に関る領域だとされています.また,三葉虫の体は,頭部,胸部,尾部といった3つの領域として見ることもできます.これら縦横の体区分は,それぞれの領域で何らかの生態的な役割を持ちます.それと同時に,各領域が反発し合わないように統合して働くことによって,三葉虫が必要とする個々の生態を実現していたはずです.その体は,様々な機能を組み込んで行動を実現する「機能複合体」といえます.