体験談には会員皆さんの疾病等の情報を掲載していただき、共有することを目指しましたが、広義の体験談ということで、目に関する情報であれば内容は自由に投稿いただくことにしたいと思います。
投稿いただく場合は、原稿を世話人までメールまたは郵送あるいはFAXにて連絡いただきますようお願いいたします。
障害者手帳を取得したKさん(女性)から直接判定の体験談が寄せられました。(2017.3.30)
行政で補助具を購入する為(今回は遮光眼鏡)、病院で診断書を取ると費用がかかるので直接判定というのに行ってきました。
飯田橋にある東京都心身障害者福祉センターでその直接判定を行いました。簡単な問診と、診察、そして遮光レンズ選び、福祉用具を使いながらの判定と、職員の方がわかりやすい説明をしてくださり、約2時間もあっという間でした。
読書拡大鏡(テレビタイプ) では画面から30センチ離れた位置で私が読み易い文字の大きさを計ってくださいました。読書拡大鏡には、画面表示が白黒反転、カラーの機能があり、自分に見易い画面で読む事ができます。また裸眼で読むよりも遮光眼鏡をかけて見た方がとても見易く楽に読めることがわかりました。
虫眼鏡タイプは、私は4倍でラクに見えしたが、私は目に近づけた方が見やすいので必要ないと感じました。眼鏡に取り付ける拡大鏡も使用して見ましたが、仕事するには私には不便のようです。
遮光眼鏡を作るにあたって、通常行う検眼も照度を落としたり、上げたりしながら度数、色決めをしました。私の場合はかなりの強度近視なので、自己負担がかなり出るかもしれませんということで、費用の1割負担プラス2万円くらいかもしれませんとの事でした。その他、懐中電灯、杖の歩行の仕方など盛り沢山でした。
職員の方からの助言は、目が悪くならない様に読まないではなく、見易く読む為に活用して下さいと、言われたことが印象に残り、今回良い体験ができました。
会員のAさん(女性)から医師によって診断名が異なり、戸惑っている気持ちが寄せられました。 (2017.3.24)
私の目に違和感があったのは2009年でした。車の運転中、景色の一部が歪んで見えたのです。すぐにある大学病院の眼科を受診したところ、左目が黄斑前膜と診断され、医師の勧めで2010年の9月に前膜の除去手術を受けました。さらに白内障ではないのですが、すっきり見えるよう人工レンズの挿入手術も勧められ、それも受けました。しかし、結果的に左眼の中央から左方にかけて見えない状況になってしまいました。
2011年3月、今度は左眼と見えるレベルを同じにするということで右目にも人工レンズの挿入手術を受けましたが、この頃には病院を替えてみようと考え始めました。2年後の2013年には別の開業医で受診したところ、今度は右目が黄斑前膜と診断され、除去手術を受けました。その後の経過は良かったのですが、当開業医の他の医師より加齢黄斑変性の症状もあると異なる診断がなされるなど頭の中がやや混乱状態でした。
2015年には再度黄斑前膜の除去手術を受けざるを得なくなり、結果は残念ながら中心部が見えづらくなり、途方に暮れています。
このような経過をたどり、2017年には視覚障害5級を取得することになりました。その後、さらに別の大学病院の眼科に移り、経過観察をしていますが、医師からは加齢黄斑変性症ではなく、強度近視からくるものと診断され、驚きとともに本当の自分の目の実態がわからず、悩ましい日々を過ごしております。
会員のWさん(女性)から不安な日々を過ごしていましたが、会へ参加したことでほっとした気持ちになったと報告がありました。 (2017.2.24)
2016年の秋頃のある日、街を歩いていた時、近くの車の姿がぐにゃりと壊れているように見えたのがこの病気を知った始まりでした。すぐに眼科専門病院で受診し、加齢黄斑変性症と診断されました。
医師からは眼に抗VEGF注射をすることを勧められましたが、私はなかなか決心が出来ず、他の大学病院の眼科で受診したところ、光線力学療法が適しているとのことになり、これを受けることにしました。その後の経過については自分自身では判断できず、この病気についてなかなか理解できないまま不安な気持ちを抱きながら自宅療養の日々を過ごしていました。
年が明けた2017年の正月に家族に何気なくこの病気の患者会のようなものはないものだろうかと話をしていたところ、息子がネット検索してくれ、加齢黄斑変性友の会の存在を知り、さっそく入会しました。
タイミングよく1月には少人数の患者会(たまち会)があることを世話人の方から知らされ参加しました。当日は私の時間をとっていただき、今までの経験を会の皆さんに聞いてもらい、胸のつかえがおり、ほっとしたところです。また他の会員の皆さんの経験談も聞くことができ、一人ひとりがそれぞれ工夫しながら生活をしていることを知り、有意義な1日を過ごすことができました。
会員のKさん(女性)から、つらい経験をしたが、安全のために前向きに行こうという体験談が寄せられました。 (2017.1.30)
私の眼は矯正視力で左は見えるけど字は全く読めません(34年前・網膜剥離)。右は眼鏡で0.2と、手元ならなんとか読める状態(半年前・近視性脈膜新生血管症)で障害者手帳の申請中でした。
1月早々、私は出勤時間が早朝の為、日の出前に出かけました。いつも通りスマホの懐中電灯と、自転車用の2つを持って徒歩で向かっていました。きちんと右側通行してはいたのですが、足元を見て歩行していた為に、前から来る人がわからず、ぶつかり転倒してしまいました。
相手の方は舌打ちをして足早に去り、私は眼にぶつかったという事にショックを受け、暫く座り込んで泣きじゃくってしまいました。何故かというと、右眼の網膜が薄くなっていて網膜剥離になる可能性があると主治医に言われていたからです。
黄斑変性で見え辛いのに、剥離してしまったら左眼同様に読めなくなってしまったらどうしようかと、頭の中で思いがグルグル回ってしまいました。転倒から2週間経ちますが、その道を通る度、又転んでしまわないかと気をつけながら歩行しています。
先日友の会の集まりで、視覚障害者が白杖持たず歩行中に誰かとぶつかり、何か怪我があっても、こちらにも責任があるとの話をうかがいました。スマホ片手に白杖を持つのはおかしいかと思いましたが、妹が実際にそう歩いている人を見かけたということを知り、安全の為にも購入しようと思いました。そして現在、白杖を昼間は折りたたみ、夜間に使用しようと考えています。
【疑似体験】 -アサクラメガネの山中様から貴重な情報を入手しました- (2017.1.19)
甲府市の甲府共立診療所加茂純子先生から加齢黄斑変性の方の疑似体験をするには、眼前に手で拳骨をつくり、鼻の前に置くとよいという話です。さっそく試してみましたが、まさに目から鱗のようでした。私は萎縮型のため滲出型を経験できず、写真や図でしか理解できませんでしたが、この方法ですと確かに目の真ん中部分が見えず、まさに疑似体験ができました。もちろんこの見え方がすべてではありませんが、この加齢黄斑変性症を他人に説明する際に参考になると思いました。
会員のKさん(女性)から「友の会」入会のきっかけと思いについて投稿が寄せられました。 (2017.1.6)
私は両眼が黄斑変性滲出型です。右目は文字が見えません。景色が辛うじて見えます。発症当初(2006年)はキラキラした光が目を走り鬱陶しさを感じ、近所の眼科で検査を受けたところ、結果は黄斑変性症の始まりでは?とのことでした。
しかし、歪みはなかったので深刻に考えず日々を過ごしておりましたが、2011年頃歪みが始まり、専門病院や大学病院を6か所転々としました。どこの病院も一通りの検査を行い、結果は「治療の方法はありません、残念ですが両眼失明は覚悟して下さい」というものでした。
失意の日々のなか生き方を模索し、自分を叱咤激励するのは容易ではありませんでした。そんな折、横浜市のある眼科を勧められ受診したところ、右目は治療不可でしたが、左目の進行をくい止めていただき、多少の歪みはあるものの現状維持を保っております。しかし、常に不安は付きまとっています。
一人でこの病と向き合っていくのは大変です。仲間との情報交換や悩みを共有し、心の支えとなる患者会との出会いを切望しておりました。2016年5月に友人から友の会のことを知らされ入会しました。うつむき加減の人生もやっと前向きになれ、今は気分も軽くなりました。仲間の存在は大きく、唯々感謝しております。
会員のIさん(男性)から「私の場合は」という前提で新たな体験談が寄せられました。 (2016.12.21)
“ある日突然“、という状況で左眼の異常が始まりました。7年前のことです。人の顔が縦に長く見え、さらに全ての物が歪んで見えます。紹介された大学病院で、最新の抗VEGF薬の注射があり、3回、多くても6~7回で病状の進行は止められると勧められました。しかし私の場合5回はおろか10回の注射でも効果はなく、以後毎回祈るような気持ちで25回まで続けましたが、効果はありませんでした。
途方に暮れる中で、ヘルニアが再発しました。最悪の事態です。ところがこれが転換点となりました。術後の痛みに耐えながらベッドの上で「病院を変えてみよう」と決意しました。すると ”灯台下暗し“、友の会で知った加齢黄斑変性の治療で有名な大学病院があるではないか!様々な考えが浮かび勇気が湧き、すぐにその病院を受診しました。大きな不安や迷いはありましたが、主治医が勧める光線力学的療法(PDT)を受けました。
これは1年半前のことです。以来、ごくごく僅かな変動はありますが、病状は抑制されています。どの治療法も人によって効果に差があることは承知していますが、このPDTは私には大きな効果がありました。ラッキーそして感謝、感謝。
このたび会員のTさん(女性)から新たな体験談が寄せられましたので紹介します。 (2016.12.12)
ある日、テレビに映っている女性の唇が、斜めに曲がっているのを見て変だなと思い、すぐに評判のA眼科医院で診てもらったところ「これは乱視です。白内障の手術をすれば治ります」と言われ帰宅しました。
翌日、今度はテレビの中の女性3人、全員の唇が曲がって見えたため、ネットで検索したところ、加齢黄斑変性という病名が出てきました。さっそく前日のA眼科医院を訪ね、大学病院への紹介をお願いしましたが、医師は「大学病院には紹介しません。加齢黄斑変性は当院でもわかります」そして再検査したあと医師は自信をもって言いました。「やはり、あなたは乱視でした」今、思うとOCTなどの検査は無かったが、私は医師を信じたわけです。
しかし、10日以上過ぎて、だんだん見え方に違和感を覚えたので、別のB眼科医院で診てもらうと、医師は真剣な顔をして「大学病院に紹介状を書きますからすぐに行って下さい」と厳しい口調で指示されました。翌日、大学病院で診察・検査を受けた結果「あなたは加齢黄斑変性です」と言われましたが、年末年始で病院はすぐに休みに入るため、具体的な対応については1月末の予約となり、非常に残念な思いでした。
早期発見だったにもかかわらず治療が遅れたことは自分の不注意かもしれません。ネット検索で加齢黄斑変性という病名が分かったあと、すぐにB眼科医院に行くべきだったと思います。そしてセカンドオピニオンは重要と痛感しました。
今では物が歪んで見えるのも慣れましたが、最初は家の中の柱やドアなどを見ても、直線部分の小さな歪みが気になりました。そこで近くの大きな公園で毎日、散歩をすることにしたところ、大きな木々を見たとたん、ほっとしたのです。
どんな木も、どんな枝も葉っぱも、優しくカーブしているのを見ているうちに、だんだん私の気持ちが落ち着いてきました。木々を見ている間は、自分の病気を意識しなくてすんだのです。公園散策のおかげで発病当初のショックを乗り越えられたと思います。
そして今では「加齢黄斑変性友の会」が心のよりどころです。感謝。