働き方(雇うー雇われる)の境界線にたたずむ
まだまだ工事中(仕事中)
◆如何にして協同労働に出会ったか
工事中
私が初めて協同労働、協同組合ということを意識したのは、2004年。日本において、イラク日本人人質事件で三人の若者が、理不尽にも日本中からバッシングが起きた際のこと。それはひどいだろ、とばかり、その直後に開かれた国会議員会館で開かれた集会に私も駆けつけたのですが、議員になる前の川田龍平氏が「国に翻弄されると言う意味では同じ」と堂々と表明されていたのが印象的だったこの集会で、その周りに翻っていた旗をみて、あれ?と思いました。キリスト教系や労働組合系に混ざって、協同組合系の旗がそこにあったからです。
生協のイメージしかなかった私にとっては、新鮮で、そうか、自分たちで支えあっているからこそ、こういう時に言いたいことが言えるのか、と思いました(実際にはそれでも、しがらみはあるのでしょうが…)。
この時の印象から、そのままその年の秋に労協センター事業団(現、労働者協同組合 ワーカーズコープ・センター事業団)に入団を決めていたのでした。
ただし、今から考えてみると、その前から協同労働、労働者協同組合にあたかも入るべくして、入ったとしか思えないようにも思えてなりません(もちろん、我田引水、思い違いもあるかもしれませんが)。
高校時代からの働き方の模索から、あるいは、それ以前の思索から(労働者協同組合の働き方は”思索を伴う”働き方だと思います)、綴れたらと思います。まさに、労働者協同組合こそは、そうした自身の歴史をすべてムダにせずに(入れ子的に)入れ込める働き方だと思います。
以下、工事中