第2章 東日本大震災&原発事故

福島へ

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2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。大地震の後に津波が来て、多くの人命が失われました。12日からは東京電力福島第一原発事故が発生し、大きな悲劇が生まれたのです。海外に目が向いていた私は、初めて日本のことに向き合うことになりました。

福島県相馬郡飯舘村という小さな村は計画的避難区域に指定され、村民は全村避難を強いられることになりました。そのとき私の頭に浮かんだのは、パレスチナの人々でした。パレスチナの人々は73年間、自分の生まれた土地を追われて難民として生きているのです。

もちろん、紛争地と原発事故では状況は違いますが、力づくで故郷を奪われ、突然人生を一変されたという意味では同じでした。


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飯舘村は東京電力福島第一原発から30~50キロのところにあります。3月15日、第一原発2号機の爆発後、放射性物質は風に運ばれ、雨や雪となり、飯舘村に降り注いだと言われています。

地図1(文部科学省)

2012年7月、政府は全村を計画的避難区域に指定していた飯舘村を年間の積算放射線量によって「帰還困難」「居住制限」「避難指示解除準備」の3区域に再編しました。

地図2(飯舘村役場)

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