2021年5月、中東のパレスチナで大きな爆撃があり、多くのパレスチナ人が犠牲になりました。私はそのパレスチナのガザ地区に通い続けて通算すると30年になります。 古居みずえ
パレスチナへ
私はもともとジャーナリストではありませんでした。会社員をしていましたが、ある日突然、リウマチになったことにより、この道を歩むようになりました。1カ月間、全身がうごかなくなり、私はこれで終わったと絶望していました。病院に入院して1カ月たったある日、身体が軽くなるのを感じ、少しずつ動くようになりました。
私はこれで人生やり直せると、何でも挑戦したいと思うようになりました。その一つがカメラでした。
市民団体主催の写真展で、パレスチナの子どもたちの写真に出会いました。その子どもたちの生き生きとした表情に惹かれ、パレスチナに行きたいと思うようになりました。
パレスチナに最初に行ったのは1988年でした。
映画 『ガーダ パレスチナの詩』制作(2007年)
映像作品
私が行くガザ地区は温暖な地中海気候で、春は短く、夏は長いです。雨は4月から11月まで一滴も降りません。冬は12月~1月です。365平方キロメートルの大きさで、東京23区の3分の2ぐらいです。北から南に約30分で行き来ができます。その小さなガザの人口は今や200万人になります。難民はガザの7~8割で、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の食料援助を受けています。
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1947年、パレスチナの地は、国連決議でユダヤの国とアラブの国に分けられました。1948年、一方的にユダヤ側はイスラエルという国を建国し、アラブ諸国は怒り、第一次中東戦争が起こりました。70万人以上のパレスチナ人は家を追われ、世界に離散しました。以来73年の間、難民となり、現在に至っています。
地図:「パレスチナ子どものキャンペーン」より
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6.7.8.
1988年、パレスチナを初めて訪れて、最初の5年間はスチール写真を撮っていました。イスラエルの軍事占領下のパレスチナの人々、特に女性や子どもたちを中心に撮っていました。