飯館村の食文化
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榮子さんが50代の頃、地域の女性たちと手作りの味噌づくりを始めました。「さすのみそ」といいます。
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原発事故後も「さすのみそ」は関東圏の人たちを中心に「味噌の里親」の活動として受け継がれ、各地で味噌づくりが行われました。
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飯舘村は、冬には零下になるほど寒いところです。その気候を利用して、凍み餅、凍み豆腐凍み大根が作られてきました。
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原発事故後、飯舘村の凍み餅づくりは長野県南佐久郡小海町の人たちに受け継がれました。
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作り方はもち米とうるち米の粉を、オヤマボクチ(ゴンボッパ)の葉をつなぎにして餅にし、トヨ型(雨樋)を使い、長さ50センチほどの細長い形にする。それを切り分け一晩寝かせ、翌日に稲わらで編む。編んだ餅に水を含ませ、一連ずつつるして、一晩凍らせる。
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その後、風遠しの良い場所で50日ほど、自然乾燥させると、凍み餅が出来上がる。今ではネット販売でも売られています。