大垣藩(はん)の武士(ぶし)清水五右衛門(しみずごえもん)は、大水にそなえて川口に水門をつくることをていあんした。
1636年大垣の殿様(とのさま)、戸田氏鉄(とだうじかね)は清水五右衛門に意見を聞き入れ、水門をつくった。この水門は30年ごとにつくりかえるようになった。
川口水門(明治始めころ)
1650年の大水のため、1653年に水門がつくりかえられた。この水門は、その当時、日本で一番すぐれた水門といわれた。
川口水門普請絵図(ふしんえず)(岐阜県歴史資料館蔵)
水門川は下流で揖斐(いび)川に合流(ごうりゅう)する。揖斐川の水が増水(ぞうすい)すると水門川に逆流(ぎゃくりゅう)して、大垣が大水になることがあった。それをふせぐために考えられた。
水門がつくられた後、いつのころか水門のある牛屋川のことを水門川とよぶようになった。
史跡(しせき)旧水門跡(きゅうすいもんあと)