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城下町萩のお寺に纏わる面白い話や、お寺に伝わるおたから等です。 下記の各お寺の画像をクリックすると写真や説明が表示されます。
各お寺の所在地は、右の地図の画像をクリックすると表示されます。
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上の画像をクリックすると、各お寺の所在地が確認出来ます
龍蔵寺の写真と説明です
龍蔵寺は臨済宗南禅寺派のお寺で、奈良時代東大寺創建の時、用材運搬に功のあった白牛を埋葬し、国守家が行基を開山として天平年間(729~748)に創建したと言われています。聖武天皇から「白牛山龍蔵寺」の勅額が下賜され大同年間(806~809)に堂宇が整備され、当時はかなりの規模の寺院があったと推定されています。
弘法寺の写真と説明です
弘法寺(寄舟山弥勒院弘法寺)は真言宗御室派(本山京都仁和寺)に属し、萩市内の寺院では、萩開府(慶長9年、1604)前に建てられていた寺院の一つです。境内には今も歴史を物語るお堂、墓所、石仏、遺物などがありますのでご紹介します。
常念寺の写真と説明です
常念寺は毛利輝元が萩城の築城時に宿舎にした寺で、国指定重要文化財の表門が有名です。表門はもと京都の聚楽第の内にあった門を輝元が豊臣秀吉から拝領し、1633(寛永10)年に寄進、移築しました。 表門以外にも、味噌付け地蔵や十六羅漢他面白いものがあります。
南明寺の写真と説明です
南明寺は平安時代に創建された真言宗の修験寺で、毛利入城以後は毛利の祈願寺として栄えました。 南明寺と言えば「南明寺のいと桜、散っちゃあ、行っちゃあ、見ちゃああっても、咲いちゃあ、行っちゃあ、見ちゃあない」 (そろそろ咲いただろうと思って行ってみてもすでに桜は散っていた)と謡われる、樹齢350年のイトザクラ(枝垂桜) が有名です。
端坊の写真と説明です
端坊は松林山 端坊 浄土真宗 本願寺派 本山は龍谷山本願寺(西本願寺)親鸞聖人を宗祖とし約750年の歴史を物語るように本堂、山門、鐘楼堂(萩指定文化財)、古松(樹齢数百年)、大蘇鉄(萩城解体時城内より移植)他などを有する。 詳しくは松林山端坊の歴史ーその文化と遺産をご覧ください。 編集中です
海潮寺の写真と説明です
開創は応永15年(1408年)、 もと石見国温泉津に湯津山海蔵寺が建立されたことに始まります。 石見銀山をめぐる毛利と尼子の争奪戦などの歴史を経て・・・毛利元就の孫の輝元が萩での築城と町づくりに当たって、慶長12年(1607)に萩に移築し、海潮寺と改号しました。
保福寺の写真と説明です
保福寺は明治初年に廃寺となっており、山門と地蔵堂、墓地のみが残っている。管理は海潮寺が行っている。山門前両側にお地蔵さんが立っており、4月24日・8月24日には地蔵縁日が開かれ、盛大に法要が営まれている。
亨徳寺の写真と説明です
亨徳元年(1452)大内教弘を開基として江向の地免(現在光塩幼稚園あたりか)に創建された真言宗寺院が当寺の前身である。寺号は創建の年号によると思われる。その後元亀年間(1570~72)に、寺を移築し曹洞宗となった。
円政寺の写真と説明です
鎌倉時代頃に大内氏の祈願寺として山口市に創建。大内氏滅亡後、毛利氏とともに萩に移転、毛利氏の祈願寺となる。
長寿寺の写真と説明です
慶長16年(1611)毛利輝元の帰依をうけてこの地に建立された。その後焼失し、寛永15年(1638)に本堂、正保元年(1644)に庫裏、慶安2年(1649)に山門等が再建された。
広大な敷地を有する当寺は、本堂左手鐘楼の下を通り抜けできる通路があり、寺の裏道に出る。通称この寺が、抜け寺といわれている由縁である。
梅蔵院の写真と説明です
創建は寛永12年(1635年)願心寺の名前で開山。明治3年に火事で焼失した梅岸寺と合併し、梅蔵院と改号した。 なお境内に梅の大樹があったので寺号としたともいわれている。
泉福寺の写真と説明です
永禄年間(1558~69)広島県安芸高田市吉田に創建した。慶長5年(1600)山口に移り、さらに寛永19年(1642)萩の今の地に移転した。
安養寺の写真と説明です
慶長19年(1614年)筑前から来た接道が土地を拝領し、一宇を建立したことに始まる。その後、五世泰順が延宝3年(1675年)に本堂・位牌堂を再建し、山号を天長山から高輝山に改めた。編集中です
願行寺の写真と説明です
開基当初は、黒川村手水川上流の山中に、阿弥陀如来を祀る庵であったが、慶長15年に現在地に移り、安全庵と称していたが、天和2年、願行寺と改めた。
東光寺の写真と説明です
東光寺は元禄4年(1691)萩藩三代藩主毛利吉就公が開基となって創建された禅寺です。当時は法制上新寺の建立は禁止されていましたが厚狭郡松屋村(現下関市松屋)にあった東光寺を現在の地に移すという形で建立されたのです。
当寺は元禄7年(1694)吉就公の没後、廟所とされ、以来大照院と並んで毛利家の菩提寺となりました。編集中です
真覚寺の写真と説明です
昭和40年代 阿武川ダム建設のため、川上藤蔵地区にあった当寺は昭和47年(1972)に現在地に移転・再建された。
浄国寺の写真と説明です
永禄年間(1558~69)広島県安芸高田市吉田に創建した。慶長5年(1600)山口に移り、さらに寛永19年(1642)萩の今の地に移転した
。編集中です
仏光寺の写真と説明です
臨済宗 建仁寺派 明治4年仏母寺と瑞光寺が合併し仏光寺となる。
。臨済宗 建仁寺派 編集中です
雲林寺の写真と説明です
栖月山雲林寺は、萩の猫町伝説の猫の命日に因み、毎年7月21日に亡くなった猫と生き物の供養祭を行っており、近年猫寺として観光客に人気がある。。