市内各地域に遺る武家屋敷や商家の土塀や石塀・石垣の風景です。下の各地区の画像をクリックしてアルバムや所在地のマップを御参照下さい。 アルバムやマップに表示される地区名は・・・クリック ⇒ 「 土塀や石塀・石垣の風景」における地区名マップ
前の画面に戻るときは、パソコンの戻るボタン(←)をクリックして下さい
各アルバムに於ける「土塀や石塀・石垣」の特徴などの記述については、右の画像をクリックし、説明アルバム「土塀や石塀・石垣の多様な意匠」を御参照下さい
「堀内北」地区のアルバム
「堀内北」地区のマップ
「堀内北](要害・本丸・二の丸・三の丸北部)は、指月山山頂(標高143m)の要害をはじめ本丸・二の丸・三の丸として、萩藩政治の中心地でした。これらの地区は、今は国指定史跡萩城跡として、また三の丸は重要伝統的建造物群保存地区として指定されています。
「堀内南」地区のアルバム
「堀内南」地区のマップ
「堀内南」は、萩城三の丸地区南部にあたり江戸時代は広大な重臣の屋敷があったところで、現在もそのなごりが色濃く残っています。萩で一番長い土塀や鍵曲がりがあり当時を偲ばせます。
「平安古」地区のアルバム
「平安古」地区のマップ
伝統的建造物群保存地区に指定されている「平安古」地区は、鍵の手(直角)に折れ曲がる高い土塀で囲まれた 平安古鍵曲(かいまがり) と呼ばれる道が有名ですが、多くの武士たちが屋敷を構えていたこの地域には他にも古い土塀や石垣が沢山残っています。
「中央部西」地区のアルバムです。
「中央部西」のマップです。
「中央部西」地区は三の丸(堀内)の東側に位置し、中級の武家屋敷がありました。また多くの寺社が配置されており、現在でも各所に昔の面影を残しております。
「江向」地区のアルバムです。
「江向」地区のマップです。
江向地区は橋本川と松本川に囲まれた三角州の中心部にあります。 地区の大半は海抜が低く藩政時代は多くが水田や蓮田に利用され、南側のやや高い土地には中下級武士が屋敷を構えていました。 近代になって江向地区の水田や蓮田が埋め立てられて、多くの公共施設がこの地に集中して造られました。 その結果、他の地区が今でも「古地図で歩ける町」として残ることになりました。
「その他東部」地区のアルバムです。
「その他東部」地区のマップです。
「その他東部」の内「浜崎地区」は、江戸時代に北前船の荷揚げや漁港として賑わい、平成13年に伝統的建造物群保存地区に選定されました。「中央部東」と「橋本」は、御成り道を中心に商家など町人町として発達し、今も萩の中心地になっています。「土原」と「川島」は、武士の住居地区であったため、各所に武家屋敷(跡)や土塀を残しています。
「川外」地区のアルバムです。
「川外」地区のマップです。
「椿東」(越ヶ浜・小畑・鶴江・新川・松本市、椎原、船津、上野、無田ヶ原、中の倉など)、「椿」、「山田」など三角州の周辺の川外地区は、土塀は旧街道筋の寺院に多く、また石垣は崖や田畑の土留めとして各地にあり、何れも大小さまざまな規模で見られます。今回は、その場所の景観に合ったもの、又比較的大規模なものを取り上げました。
特定非営利活動法人 NPO萩まちじゅう博物館