小林玲衣奈 REINA KOBAYASHI
それはひとつであるように見えてたくさんとともにいる、
ひとつでもありたくさんでもある。
あいまいで分けることができないいのちに、どちらでもある姿を重ねる。
排中律の考え方に対して東洋の思想には両肯定(Aでも非Aでもある)の容中律の考え方が存在する。これはAと非Aの間があるということである。生活の中であると、見立てたり、何かと何かの間をつなぐものであったりする。例えば、橋はあちらとこちらをつなぐ、あちらでもありこちらでもある間である。鳥居も神様の場所と私たちの場所の、間である。私はこの考え方は、命にもあてはまるのではないかと考える。生と死は分けられないだろう。常に命はこの二つのどちらでもある状態の間を保っている。朽ちているものも間の状態であると考えることができる。朽ちていっているものは、そこに存在しているにもかかわらず、役目を終え、使われなくなっている状態で放置されている。
「た、すなわち、いち」は生きている人に、どちらでもある曖昧な姿である、朽ちている空き家の写真をARフィルターで重ねた作品である。命はどちらでもある曖昧なものであるはずなのに、私たちはそのことを普段意識しない。朽ちているものの姿を重ねることで、どちらでもある姿を浮かび上がらせる。本展示では写真作品となっているが、ARフィルターで反映させることによって、より現実のこととして思わせ、かつ現実とバーチャルの世界のどちらでもある状態を作り出す。
P R O F I L E
小林玲衣奈 REINA KOBAYASHI
2021年3月 金城学院大学国際情報学部国際情報学科グローバルスタディーズコース卒業
2021年4月 情報科学芸術大学院大学(IAMAS)入学
景観を何か特別な風景として捉えるのではなく、そこでの暮らしがそのまま現れているどこにでも存在するものとして考え、観察を軸に景観からそこでの暮らしや変化していっているものを見出そうとする。