流転

砂の粒は夜空の星に似ている。夜空の星は砂の粒に似ている。どっちだっていい。


 大事なのは、学校が嫌いでみんなにうまくなれなくてずっと体の奥が冷えていた14歳の私を現実から引き剥がしてくれたのが星やそれが持つ大きな時間だったということ。

私が生まれ育ったのはドがつくほどの田舎で、これといって娯楽も何もなかったけれど、とても大きな岩があった。赤茶けた岩が青々と茂った斜面からむき出しになっていた。近くには大きな渓谷と人がよく命を絶つ大きな橋があって、そこは観光名所だったりもして、それはすごく変なことだなと思っていた。ところで、大きな岩が雨や風によって砂の粒にされていくまで平均2億年かかるという。


 狭い田舎の中学校でみんなで同じ髪型をして同じ服を着て同じ動きを繰り返す毎日、何もなかった1日の終わりにやってくる物悲しい夜、一人で毛布をかぶってベランダで何時間も星を見た。今ここにある自分の体なんて忘れるくらい星を見た。その時間だけは、私はこのむき出しの夜空にたったひとりぼっちであることに、心底満たされていたと思う。


 海のないところで育ったから、私は海が大好きだ。手に入らなかったものは美しく見える。五割り増しで素敵に見える。そういえば小学生の頃、どこかの海辺に家族旅行で行ったとき、百均で買った大きな瓶2つにこれでもかってくらい砂と海水を詰めて持ち帰ったことがあった。5年後に部屋の奥底から見つかった瓶を開けると、あんなに美しかった海は跡形もなく腐って濁った水になっていた。そりゃそうだと思う。それとは対照的に、砂の粒たちは相変わらずきれいに小さく煌めいていた。


 あれからしばらく経った今、心の中はあの頃と対して変わらない自分のまま、私は砂のことを考えている。きっと星の成れの果て、それが私たちでも砂の粒でもあるかもしれない。1粒1粒が違う日々を、途方もない時間を超えて偶然ここに集まっている。そしてあっという間に吹かれて流されて目の前から消える。ただの粒の集まりが流れを生み出し揺らぎ続けている。それは奇跡とも必然とも言えるのかもしれない。よくわからない。


 海と砂浜のことは、全てが生まれ、全てが流れ着く彼岸だと思っている。ただただ静かに佇む浜や、空と海の間の直線が消える瞬間を厳かに見つめ続けることができたら、私はきっと生きることがあと少しくらいはわかる気がする。






P R O F I L E

Manami ariaga


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