アナッターのポートレート

Kosei Hayashi

本作品の観照⽅法は、「3分間決して⽔⾯を揺らさないように、⽔の表⾯にそっと触れ続け てみること。」というものである。⼈間の⾝体の中で最⼤の器官は結合組織だ。その名の通 りあらゆる器官を繋ぐ役⽬を果たしている。結合組織を拡⼤するとコラーゲンとエラスチ ンの繊維が複雑に織りなす3次元の蜘蛛の巣状の構造が⾒出される。この構造は⾝体の⾄ る所を貫き満たし形態を保持し組織間のコミュニケーションを⽀えてる。しかし結合組織 は髪の⽑や⽖と同様⽣きてはいない。⼼情や⾝体操作に応じて、常に繊維の織られ⽅が少し ずつ変化し、その⼈の歴史が結合組織に織り込まれてゆく。⼈間は結合組織という無数の弦 の集まった楽器だと⾔える。固有振動を持ち、発信し続ける。

あなたの触れた⽔⾯に反射した光は空間全体に広がり壁に投影されれる。あなたの境界 が空間全体へと脱構築される。⼀説によると、「あなた」の語源はパーリ語の「anattā(ア ナッター)」で、その意味するところは「無我」だ。無我の領域に近づいたとき、⾃他の境 界はどのように変容していくのか。存在の⽣と死という虚構の境界を越えて、局在性と偏 在性の間を縦横無尽にめぐる存在の真実を体験するに⾄るきっかけとなるだろうか。




存在の局在性と偏在性に関する補⾜


体験1. 臨⽣体験

コスタリカ、ニコヤ半島。気がつくと岸は遠く、浜で遊ぶ数⼈の⼦供はありんこの様に ⼩さくなっていた。波はうねり私を呑み込もうとしている。全⾝の⽑が逆⽴った瞬間、岸 に向かって泳ぎだした。しかし⼦供たちはみるみる⼩さくなり、すぐに砂つぶになってし まう。泳いでも泳いでも陸地は遠ざかって⾏く。それでも全⾝全霊⼒を振り絞って海⽔を 掻いた。死にたくなかった…。⼼は死への恐怖⼀⾊に染まっていた。

⼭育ちの私は知らなかったのだが、この海のウネリは離岸流といって、オリンピックの ⾦メダリストだろうと絶対に敵わないスピードで沖に向かい流れているのだった。 当然いくらもがいても戻れない、⼦供達はもう識別できるサイズではなくなってしまっ た。全⾝の⼒を使い果たし横隔膜を動かすことも出来ず呼吸ができない。浮⼒のある海⽔ だが、離岸流のウネリの中では肺に空気のない状態で浮かんでいられないようだ。諦める こと以外にできることはもう何もなかった。守ることが出来ない⾃分の命に対して、私は ⼼の中で「ごめんなさい」と⾔った。そして、⼤⾃然の⼒に対して「あなたには敵いませ

ん、まいりました」と⾃らの運命を受け⼊れて全てを波に委ねた。家族、友⼈、恋⼈、宿 題、仕事、今⽇の⼣⾷、⾃らの命、何もかも。次の瞬間、先ほどまでの恐怖は完全に消え 去っていた。

⼒の抜けた体が波に押しあげられて⽔⾯に顔が覗くと、コスタリカの深い⻘空に真っ⽩ い雲が浮かんでいるのが⾒えた。この上ない明晰さ。境界としての⽪膚は消え去って、う ねる波はわたしの⼿⾜の延⻑となり、空も海も全てが⾃分の⾝体の⼀部となった。全てが ⾃分の⼀部なのか、⾃分が全ての⼀部なのか、分断するものが何もない完全な⼀体性、全 体性。孤独感など微塵もない。

⼈には本来、全てと繋がり意識を隈なく⾏き渡らせるだけの⼒が備わっていると知っ た。私はこの状態を「如来状態」と呼んでいる。潜在意識の最深部まで透き通り、全ての ものが「如し」ありのまま⾃分の中にやって「来る」状態と感じたからだ。

救助されてから2週間ほど、この“あやしうこそものぐるほしけれ”といえる状態はうっす らと続いたが、⽇本に帰ると次第に不透明な膜が覆うように明晰さを失っていった。 誰もが持っている全てと繋がるという潜在能⼒を発揮するには、顕在意識だけでなく潜 在意識の最深部に⾄たる意識の全領域を総動員する必要があるようだ。そのためには、意 識に如来状態となること以外の余計な仕事をさせないようにする必要がある。しかし、潜 在意識の領域では、⽣きることへの渇望に基づいた⾃動的な活動がやすみなくなされてい る。この渇望を⼿放すことは並⼤抵ではない。それでも、如来体験は全ての⼈に必ずやっ てくると思う。臨終のとき、いまわのきわに死を受け⼊れる瞬間がやって来るのだから。




体験 2. みとり

岐⾩から東京に戻る私に祖⺟は「これで最後になるね、さようなら」と別れを告げた。⽼ 衰で亡くなる3週間前のことだった。

祖⺟が亡くなる前⽇に介護施設から容態の変化の知らせを受けた。施設の⽅によるとよ くある意識混濁なのでまた戻ってくる可能性も⾼いとのことだったが、祖⺟の⾔葉が気に なって、私は岐⾩に戻り祖⺟の個室で⼀晩付き添うことにした。⾔葉を交わせる状態ではな かったため、祖⺟の内⾯的体験を聞くことはできない。祖⺟は翌⽇の正午頃臨終を迎えた。

前⽇の夜から臨終までの間、私は呼吸を邪魔しないよう祖⺟の胸にそっと⼿を当て彼⼥の 呼吸を 15 時間程観察し続けた。朝 7 時頃から呼吸に変化を感じ出した。それから臨終の 20 分前までの約 4 時間半に及ぶ呼吸の変化は以下のようなものだった。

さっきまで来ていた息が⼀つずつ間引かれ浅くなっていく。呼吸が停⽌する直前、微かな 「あっ」というような息がきて、呼吸が停⽌したかと思うと 1 分後にまた⼩さな息が戻っ てくる。そして午前 11 時 20 分頃、⼩さな雫のような息を最後に呼吸が停⽌する。祖⺟は ⼝と⽬をまん丸に開き驚いたような表情を浮かべている。呼吸が停⽌したのちも、祖⺟の顔 ⾯には⾎⾊があり、⽬や⼝には潤いと⽣気を感じる。頸動脈に⼈差し指を当てると、祖⺟の

⼼臓はまだ規則正しく脈打っている。祖⺟の⼝は真丸に開かれ、顔⾯が少し上⽅(祖⺟の頭 頂側)に向いているために、気道が確保され、肺に⾃然循環する気流で⼼臓を動かすだけの 酸素を得ているようだ。タイダルリズムと呼ばれる代謝リズムでゆっくりと⾝体が膨張収 縮を繰り返すことで、わずかに肺への気流が維持されているのかもしれない。祖⺟の頸動脈 から私の指に感じられる脈も徐々に微かなものに変化していく。呼吸停⽌から 20 分程経過 したところで、祖⺟の脈がなくなり、指先に私の脈しか感じなくなった瞬間、祖⺟の顔⾯は 頭頂部からサァーっと⾎⾊が引いて⽩くなっていく、と同時に瞬く間に⾒開いていた眼球 と⼝の中が乾いていくのがはっきりと観察された。それから私はまた⼿を祖⺟の胸に戻す。 まだ胸の辺りには体温を感じる。1 時間ほどそうしていると、⼿のひらに感じる温度は室温 とほとんど同じになった。

温もりを失った祖⺟の⾁体はもはや祖⺟ではなく、先ほどまで彼⼥が寝ていたベッドに は泥⼈形が置かれていた。私はその個室を離れ屋外に出た。冷たく済んだ空気。雲ひとつな い冬晴れの昼時、往来する穏やかな⾵に⾝を委ねる。⼤きな祖⺟に抱かれている。彼⼥は⾁ 体から解放され、でえたらぼっちになった。⾏き来しながらゆっくり⾵速を変化させる⼤気 のリズムと私の⼿のひらに残る祖⺟の呼吸、その両者を区別することはできない。




⽣と死の境界「しなゆ」

「死ぬ」の語源は「しなゆ」で、しんなりしなびるっことに由来する。⽔分がなくなって⾏ く過程に「しなゆ」があって、その先にはカラカラに⼲からび「かる」(枯れる)という古語 がくる。草むらに亡骸を「はふる」(放る)、そして腐(クサ)って草(クサ)になる。死者の

魂は海(ウミ/産み)の彼⽅にある「ね(根)の国」(⻩泉の国、あの世)に⾏って「めでた し、芽出たし」。古代の⽇本⼈は「死」を⼤きな⽣命の循環プロセスの⼀部と⾒ていたこと が伺える。死が境⽬のはっきりしない「しなゆ」⽣命のプロセスの⼀部であるのなら、死に 触れ合うことを放棄することは、私たち⾃⾝の⽣命を部分的に放棄することと同義と⾔え るのではないだろうか?

私達の体内では、動的平衡を保ちながら代謝という⼩さな「しなゆ」サイクルが繰り返さ れている。




死という幻想

永遠(とわ)と空(くう)を精神が切り取り分節化することで時間と空間という虚構が⽣ み出されるのと同様に、そもそも、「死」というものは存在しないのではなかろうか?唯⼀ 死ぬことができるのは、妄想の産物である⾃我だけではないか?⾃我の覆いを取り除いた とき、⽣と死という分断ではなく、ただ局在と偏在を⾏き来する存在が⾒出されるのではな いだろうか?



1日目のアーカイブ動画。

PROFILE

Kosei Hayashi

Advanced Certified Rolfer®︎
Cranial Sacral Therapy Practitioner