第1回蘭医学サロン 開催レポート
今年は安永3年(1774)、『解体新書』が刊行250年という、蘭学にとってエポックメイキングの年に当たります。オランダの解剖学書『ターヘル・アナトミア』を翻訳した一大事業は、誰もが知る『蘭学事始』で語られています。
そんな節目の2024年10月19日(土)、「蘭医学サロン」の第1回が、大阪大学会館にて開催されました。
発起人は、幕末の蘭学者・緒方洪庵が設立した種痘所「大坂除痘館」と蘭学私塾「適塾」の歴史に携わる川上潤氏(除痘館記念資料室学芸員)と松永和浩(大阪大学適塾記念センター准教授)、そして「日本医学通史物語」の執筆に取り組む海堂尊氏(福井県立大学客員教授)です。3人で議論を重ねていくうち、日本各地には学芸員や郷土史家がおり、各地で開催すれば蘭学への興味を持ってもらえるのではないか、という話から手探りで作り上げた、新しいスタイルの会です。
「第1回蘭医学サロン」のプログラムは次の通りです。
第1部 講演「物語の中の緒方洪庵と適塾」(海堂 尊)
第2部 講演「歴史の中の緒方洪庵と適塾」(松永 和浩)
第3部 シンポジウム「適塾の現状と未来」(川上 潤・海堂 尊・松永 和浩)
大阪大学適塾記念センターの島田昌一センター長(大阪大学医学系研究科)が、『蘭医学サロン』の意義について説明し開会を宣言し、小原有香氏(PHP研究所『歴史街道』副編集長)の司会で進行しました。
第1部では海堂氏が「蘭医学のフレームワーク」を提示し、小説『蘭医繚乱 洪庵と泰然』の主人公である緒方洪庵と佐藤泰然(順天堂学祖)が重要な役割を果たしていることを説明した後、「現代の大阪の感染症対策は、洪庵先生の精神に反しているため、さぞ天上でお怒りだろう」と語りました。
第2部では松永が、歴史学の立場から史料に表れる緒方洪庵とその門下生の実態を紹介し、人格にも学問にも優れた洪庵と、よく学びよく遊ぶ門下生の姿を印象付けました。
第3部の冒頭では、緒方洪庵記念財団専務理事・事務長の川上氏が緒方家の一族について、現地に地道に足を運んで収集した貴重な資料を提示し、洪庵の実像、緒方家の意義について描き出しました。
その後3人が登壇し講演の補足説明をした後、来場者を交えてフリートークを行いました。松永が、見所として適塾塾生の大部屋の柱の刀傷を示すと、フロアの阪大OBから、「この柱は適塾の精神の象徴であるから、何としても守ってほしい」という強い要望が上がりました。それをきっかけに施設保存の話題になり、2013~14年に耐震改修工事を実施した当時の適塾記念センター長の江口太郎氏から、追加発言をいただきました。
更に松永は阪大で現在取り組む防災体制の見直しと、昨年実施したクラウドファンディングで得た資金で建物の三次元モデルを作成したことを報告、適塾への訪問を促しつつ、保存と公開のバランスの難しさについて、説明しました。
川上氏は愛日連合振興町会会長として、適塾西側の公園を挟んで建ち、重要文化財の指定を受けている「愛珠幼稚園」の防災体制に言及し、文化財の保存に関しては地域全体で考えることが重要だと述べました。こうした話題が中心になることは想定外でしたが、一般の方たちの関心も高いことがわかったことは収穫でした。
本会は『蘭医繚乱 洪庵と泰然』の刊行記念も兼ねていたため、海堂ファンからの質問もありました。『蘭医繚乱』が映像化される際、洪庵と泰然役の俳優について心づもりを問われた海堂氏は、具体的な名を挙げつつも「これはオフレコで、絶対に外に漏らさないように」と釘を刺し、会場の笑いを誘っていました。
最後に2025年6月、福井市で開催予定の第2回「蘭医学サロン」について、関係者が「是非、来福を」とご挨拶されました。
「第1回蘭医学サロン」は広報期間が短く、参加者は83名に留まったものの、アンケートでは「適塾について知る機会が持て、大阪に住む者としてはとても良かった」など満足の感想が多出する中、盛会の内に閉幕しました。
終了後、大阪大学生協で「海堂尊サイン会」と「銘酒・緒方洪庵販売会」が行われ、強い雨が降りしきる中にもかかわらず、こちらにも多くの来場者がありました。
「蘭医学サロン」のポテンシャルは高く、地域おこしや学術的な発表を市民に届けることができる有意義な会になると確信したことを伝え、報告としたいと思います。(文責:松永和浩)