紅い、儚い、怖い

とちぎ あきら(フィルム・アーキビスト)


 紅い、儚い、怖い。一切があっけなく崩れていくような瞬間が、緑川珠見の映画には必ず訪れる。ゆっくりと体を傾げたピンク色のドレスの女が、最後は畸形人間のようにバタッと倒れてしまう瞬間。赤の衣裳をまとった二人の女が手をつないで入水していく瞬間。テーブルのうえの水差しが倒れ、白いスカートの裾を水が滴り落ちる瞬間。パッチワークのようなカットのつながりに戸惑いながら、しまったと思う間もなく、体が反応してしまうような恐ろしさ。ふいに首根っこを掴まれるとは、こんな感じかもしれない。

 ところで、この怖さの棲家となっているのはホームドラマである。いや、ドラマをミニマルに換骨奪胎することによって、牢獄に姿を変えたホームと言うべきか。ここで憎悪と畏怖の対象とされるのは母親なのだが、その母親が体現する生きること、産むこと、作ることのすべてが汚わらしきものとなる。まるで創造すること自体が悪の仕業でもあるかのように。

だからこそ、この作家は存在悪によって引き裂かれた世界を大きく掬いとろうとする。『サルビア姉妹』は、そんな志の高さに支えられた傑作だ。

 生まれ出づることの恐怖。その怯えこそが、緑川珠見の映画を映像の彼岸へと駆り立てる。目を奪う紅の美しさのなかに、原罪を知ったがゆえの諦観が秘められているように思う。