〈UNDERGROUND CINEMA FESTIVAL 3〉にて『蟹牡丹』『サルビア姉妹』『破壊する光は訪れる』『GARNET』上映!東京、大阪、名古屋、京都巡回。
1996年/8mmFilm 36分
出 演: 川本裕子 兼沢英子 ほか
監 督・撮影・編集: 緑川珠見
音 楽:さえぐさ ゆきお Ché-SHIZU
< 作品紹介 >
息子を溺愛する母親に疎外され続けて娘は成長した。
娘の記憶の中の母は、あくまでも冷ややかで嫌らしい存在だ。
幼い頃母に聞いた一家心中の家の話、ザクロの記憶…。それらも今となっては曖昧に思えてくる。
それは彼女が無意識に自分の過去を否定したいからかもしれない。
『蟹牡丹』に近いところに題材をとりながら、緑川はここでもまた別のアプローチを試みている。
< 作品解説 >
これまでの三作品で一貫しているのは不可能性であろう。『蟹牡丹』における母の愛を得ることの不可能、『サルビア姉妹』における他者とのコミュニケーションの不可能、そして『破壊する光は訪れる』においては恋愛の不可能。新作の『GARNET』も大きな括りで言えば不可能の映画と言えないこともない。しかしそれよりは『サルビア姉妹』、『破壊する光は訪れる』でもテーマにしていたズレの方が大きな比重となっている。
確かに『GARNET』で描かれている世界も『蟹牡丹』と同様な母娘が出てくる。更には、母と息子の近親相姦的な濃密さもあって娘は疎外されているのだが、ここでは『蟹牡丹』のように表立った感情は影を潜めている。
『GARNET』で緑川はそれまでの作風から離れ、敢えて意図的に劇映画の手法を取り入れている。 しかしここで問題となっているのは「家族の物語」ではない。この作品の主題はあくまでも「記憶の曖昧さ」なのである。子どものころ母に聞いた一家心中の家の話、ザクロの記憶、その不確かさ故にか主人公の女性はいつも俯いているし、夏だというのに寒そうに身体を丸めている。彼女はとうに死んでいるかのような空虚感にとらわれているのかもしれない。自分自身を取り戻そうともがいているのだが出来ずに苦しんでいるのかもしれない。
通常ならここで主人公が始めるはずの、ありがちな自分探しや自己解放に向かうという展開を緑川は許さない。また逆に主人公が自分の感情に浸り溺れるということもさせない。だだそういう人間がそこに居るというだけである。泣きもしない、叫びもしない。亡霊のように彼女は「ただそこに居る」 だけなのだ。
硬いザクロの殻のなかの透き通った赤い実のような世界。