〈UNDERGROUND CINEMA FESTIVAL 3〉にて『蟹牡丹』『サルビア姉妹』『破壊する光は訪れる』『GARNET』上映!東京、大阪、名古屋、京都巡回。
1995年/8mmFilm 36分
出 演: 川本裕子、堅田知里
石渡康子、堀越英樹ほか
監督・撮影・編集: 緑川珠見
音 楽 : 柳川真法
< 作品紹介 >
母に捨てられた姉妹と、娘を捨てた母親のそれぞれのモノローグに、何の関連もない若い女性達の日常の風景や会話がオーバーラップする。
ドキュメンタリを基調としながらも、物語はじわじわと浸食する。
電車の中のアザの女、喪服の姉妹、OL、自室でヌード写真を撮る女性達、公園の母娘ら様々な女性が登場する。
そしてサルビア色の服を着た二人の女性達は…。
< 作品解説 >
この作品で顕著なのは客観的であろうとする緑川の態度である。
前作『蟹牡丹』でプライベートなテーマをどう表現すべきか悪戦苦闘した末に、ある種そこにイメージの塊を投げ出したかのような、ふてぶてしいやり方によって自己解決した緑川は、ここでは私映画の不可能性を問いかけている。そこに展開するのは複数の若い女性達の日常会話であり、告白であり、苦悩であり、また無関係の通りすがりの女性達である。
この作品はある意味、緑川の日記映画ということも出来るかもしれない。しかし観客は、父親違いの姉妹、娘を捨てた母親の不幸な娘時代のナレーションを、その前に確かに聞いたはずではなかったか。そしてまた、後半の電車のシーンにおける2人の女性の会話など。
「サルビア姉妹」とは緑川の世界における全ての女性達、とするのが妥当だろう。そして緑川はシスターフッドを希求してもいるのだが…。
”語ろうとしたときに既に真実ではなくなるのだから 私にはなすすべもない” 緑川がテーマにしているのはまさにその絶望かもしれない。
喪服の姉妹、アザの女らが乗り合わせるどこかしら奇妙な電車のシーンは、後半で繰り返されることになるのだが、そこに登場するアザの女は衣装が完全に(帽子、本までもが)違っているのだが、彼女が帽子を被り読書しているという記号において観客は同一視してしまう。我々が見たと思っているものも実は思い込みに過ぎないかもしれないのだ。
この作品は見る者の安直な感情移入を拒み、既成のものの見方に強くゆさぶりをかけてくる。
緑川は自作の中でこの作品が一番気に入っている。