調査研究のための依頼文書作成の手引き
(転載についてはご連絡ください)
研究依頼文書は研究者と研究対象者とを結びつける文書であり、倫理審査で問題になる事項の非常に多くが依頼文書またはそれに付属する説明書や同意書に関係します。以下の説明は、研究倫理に合致した依頼文書を作成するためのもので、技術的な説明も含まれますが、主に枠組みや考え方を述べたものです。
依頼文書の構成
研究の依頼は、対象者に対して行うものと、対象者までの関門の番人であるgate keeperに対して行うものがあります。Gate keeperの例としては、施設長・看護部長、病棟師長、担当看護師、自助会長、自治会長、学校長、PTA、担任の教員、養護教諭などがあります。対象者はもともと脆弱性を持っていたり研究対象になることで脆弱性が生じたりするので、人権保護の観点からの倫理的配慮が必要ですが、gate keeperは脆弱性が比較的低く社会的影響力が大きい場合が多いので、別の観点からの配慮の方がより重要になります。
依頼の文書には、次のような項目(書く順番はこの通りとは限りません)を含む必要があります。
1. 挨拶
通常、冒頭に挨拶文を置く。施設長や看護部長には「~の候、貴職にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。日頃より、…」など公的な慣用的表現でよいが、相手が私人の場合には、柔らかい表現の方がよい。(祝福の表現は「お慶び」が正統的。「お喜び」は自分の感情についていう。)
2. 簡単な自己紹介
長い肩書は避けて、「私は、長野県看護大学の大学院生で○○と申します。修士論文のテーマとして~を研究しております」程度のことを書く。正確な所属は連絡先に記せばよい。
3. 研究課題名
自己紹介等の一部として文中にいれるか、「~へのご協力のお願い」のように依頼文のタイトルの一部とする。
4. 研究の概要(背景・目的・意義・方法)の説明
相手が理解できる言葉で簡潔に書く。できれば、対象として選定された理由を添える。研究計画書を添える場合も、研究指導や論文審査に用いるものではなく、相手に合わせて書き直す必要がある。
5. 協力の依頼
「つきましては、研究の趣旨(×主旨)をご理解のうえ、ご協力くださいますよう(☓いただきますよう)お願い申し上げます」といった依頼文を書く。
6. 依頼内容の詳細な説明(および承諾の可否の連絡方法)
相手が判断や行動に迷うことがないよう、明確に書く。対象者の紹介をgate keeperに依頼する場合は、対象者(複数種類の場合は各種類について)の選定基準・方法と人数を明記し、さらに、「お手数をおかけして申し訳ありませんが、添付の連絡票にご協力の可否と配布してくださる調査票の数をご記入になり、同封の返信用封筒でご返送くださいますようお願い申し上げます」といった連絡方法を記す必要がある。
7. 倫理的配慮の説明
Gate keeperへの依頼文書では、調査の許可や協力に関するgate keeper自身の自由意思の尊重(任意性、相当の理由がある場合の撤回可能性の保障)について述べるとともに、対象者に対する倫理的配慮を研究方法の説明の一部として書く。また、gate keeperの個人情報(や施設情報)等に対する倫理的配慮、たとえば結果の公表において施設名を匿名にすること等を説明する。なお、gate keeperの許可・協力の撤回を無条件に認めることは、対象者と研究者の権利を侵害する可能性がある。
8. 研究倫理審査を受け、承認を得ていること
「この研究は、長野県看護大学において倫理審査を受け、承認されております(承認番号2012-35)」などとする。正式な承認は学長名なので、「倫理委員会により承認されています」とはしない。
9. 研究者の連絡先
郵便、電話、電子メールのいずれでも連絡できるように情報を載せる。指導者がいる場合はその連絡先も載せる。情報は正確に記載すること。
依頼文書作成上の留意点
依頼文書の作成で倫理上留意すべきことは次のようなことです。
1) 依頼が必要なすべての相手を特定し、それに対応する依頼文書を用意すること
¨ 対象者のほか、すべてのgate keeperを特定し、依頼文書を用意する必要がある。誰がgate keeperであるかは、常識や経験で判断できる場合もあるが、予備調査が必要な場合もある。
¨ 一つのgateのgate keeperは一人とは限らない。対象者が学童や生徒の場合は、学校長だけでなくPTAの了解も必要になるかもしれない。
¨ フィールド調査では、調査開始後に新たなgate keeperや対象者が出現する場合があることを想定しておく必要がある。
¨ 対象者が子どもや認知症などの場合、代諾者への依頼文書が必要になる。本人と代諾者の両方に依頼文書が必要な場合もある(判断力を有する子どもの場合等)。
¨ 質問紙調査であっても、対象者が未成年者の場合は、本人の協力について保護者に依頼し、同意を得て実施する形をとる必要がある。(例:政府の青少年の酒類・たばこを取得・使用させない取組に関する意識調査(未成年者用) ただし、日本語は多少おかしい。)
¨ 対象者の家族、その他、調査する内容において対象者とかかわりを持つ他者にも対象者に準じた依頼が必要な場合がある。たとえば、ある子どもの遊びを観察する場合、その子ども(の代諾者)だけでなく、仲間の子ども(の代諾者)、保育担当者にも依頼が必要かもしれない。
¨ Gate keeperへの依頼文には、その関門より先のことがら(つまり直接的または間接的にgate keeperの管理下にあることがら)に関係するすべての調査内容を(適切な詳しさで)記述しておく必要がある。
¨ 依頼文の用語や表現は、相手に合わせて理解しやすく変える必要がある。
2) インフォームド・コンセントの要件を満たすこと
Informed Consentを「説明と同意」と言い換えるのは、医療の実践や研究のあり方を歪める誤訳です。Informedの本質は説明ではなく理解で、正訳に近いのは「十分な説明とその理解に基づく同意」です。いくら説明しても相手が理解していなければinformedとは言えません。依頼すべき内容がいくつかある場合は、適切なタイトルの下に、順序よく整理して解りやすく示す必要があります。
¨ 一般の人が対象の場合、専門的な用語や表現による説明で得た同意は、informed consentとは認められない。
¨ Consentは自由意思に基づく必要がある。口先で自由を保証するだけでなく、有形・無形の強制力が働く可能性をできるだけ排除する必要がある。
¨ 無記名の質問紙調査であっても、記入の際の環境や回収方法によっては、提出を強制することになる可能性がある。他人に見られない場所で記入して、他人に知られないように提出できるようにする。
¨ 対象者が費やす時間や労力にくらべて不釣り合いに高い報酬を提示することも強制になる場合がある。
¨ 一連の調査が必要で、開始後に毎回同意を確認することが不自然なために、それらの一連の調査についてあらかじめ包括的な同意を得ようとする場合は、一連の調査内容の説明とともに、中断や中止の自由を保障し、その意思表示を行う方法を明示する必要がある。
3) 依頼する相手に対する敬意を適切に表現すること
敬意の表現方法はそれぞれの文化で決まっています。日本の文化では、それは主に敬語(尊敬語、謙譲語、丁寧語)を用いて表現されます。不適切な敬語表現は、相手に不快感を与える点で非倫理的ですが、さらに、敬語の体系は広い意味の文法体系の一部であるので、それを正しく運用できないと、研究者の知的能力に対する信頼をも失わせます。
¨ 正統的な敬語を使用すること。
敬語の誤用ないし正統的でない用法に対する感受性には個人差があり、感受性と社会的影響力とは正比例する傾向があるので、多くの人が気にしなくてもなおざりにしてはいけません。Gate keeperは気にするでしょうし、あなた自身や指導者の信用にも影響します。
どのような用法が正統的かは、文化庁の敬語の指針が参考になります。ただし、具体例については自分で判断する必要があります。なお、インターネット上のQ&Aの回答の多くは信用できません。まともな言語感覚の持ち主は、必要がないので見ないか、訳の分からないことを書く人たちの仲間になりたくないのでしょう。ベストアンサーとされていても大半は間違いです。質問者が高く評価する回答は、質問者の言語感覚に沿うものが多いのは当然のことです。
¨ 動作主に注意すること。
「くださる」では行為者が動作主で、「いただく」ではその行為の受け手が動作主です。「その本をお読みくださるようお願いします」は、読むという行為を相手にお願いするということで、意味が分かりますが、「その本をお読みいただくようお願いします」は、「(あなたに)その本を読んでもらうように、私は(私に)お願いする」ということになってしまい、意味不明です。
4) 研究者としての信頼に値する文章を用いること
研究倫理には二つの柱があります。一つは研究対象者の人権を守ることで、もう一つは学問の進歩を可能にする社会的メカニズムとしての専門家集団や研究者集団の権威を守ることです。専門家や研究者の権威、すなわち社会における影響力や信用は、その知性への尊敬に基づいています。知性を疑わせるような文章は、自身の信用を失わせるだけでなく、自分が属する専門家集団や研究者集団の権威を傷つける裏切り行為で、その社会的機能を損ない、研究倫理に反します。
研究者としての信頼に値する文章とは、わかりやすくかつ品のある表現です。決して専門的な用語や表現を使うことではありません。どんな文章かを定義することは困難ですが、信頼を損なう文章としては、例えば次のようなものがあります。
・敬語や慣例句の誤用や正統的でない用法
・むやみに専門的な用語や表現
・正統的な文法や言い回しからの逸脱
・冗長な文章や要領を得ない文章
依頼文書作成の手順
倫理上の要件を満たすためには、次のような手順で依頼文書を作成することを推奨します。
1. 対象者へのアクセスのルートと手順を検討する。
例1:(病棟看護師への質問紙調査の場合):看護部長(協力の同意)=>病棟師長(協力の同意・対象選定・質問紙配布)=>対象者(回答返送)
例2:(病棟看護師への面接調査の場合):看護部長(協力の同意)=>病棟師長(協力の同意・対象選定・意向確認・紹介)=>対象者(説明・同意・日時場所調整・調査実施)
例3:(中学生への質問紙調査の場合):学校長・PTA(協力の同意)=>教員(協力の同意・質問紙配布)=>親(保護者としての協力の同意・代諾)=>対象者(回答・返送)
なお、例3で、保護者に見せずに回答・返送してもらうなら、その必要性を保護者に説明し、協力を求める必要がある。
2. 各依頼先について依頼事項とそれに関係する事項のリストを作成する。
例2の病棟師長への依頼であれば、次のようなものが必要になります。
3. 上のリストを参照し、以下のような注意を払いながら依頼文を作成する。できた依頼文は、他者の目でチェックする。
1)依頼内容は、具体的かつ明瞭に記述する。
2)内容や表現を整理し、デザインを工夫して、読むことが相手の負担にならないようにする。相手が読むのをあきらめるような説明文書により得られる同意は、インフォームド・コンセントではない。
3)相手にあわせて用語や表現を適切に選ぶ。相手が十分理解できない可能性がある説明によって得られた同意は、インフォームド・コンセントではない。
・「質問紙」は一般向けには「アンケート」とする。
・「開示する」は一般向けには「お知らせする」(「ご希望があれば、あなたの検査結果をお知らせします。それを希望される場合は、…」のように)
・調査対象者には、「ご協力は自由意思によります」や「ご協力は任意です」でなく、「ご協力くださるかどうかはご自由です」のようにする。「自由意思」や「任意」といった専門的あるいは法的な用語は避ける必要がある。
たとえ表面上は法的に完璧な説明であっても、理解しにくい用語や表現があれば、得られた同意はインフォームド・コンセントではありません。また、「ご自由意思」や「ご任意」という表現がないのは、相手を尊重すべき場面では使わない用語だからです。
・専門的用語を解する医療関係者などに対する依頼文の場合、研究対象者が第三者であれば、「対象者の協力は自由意思によります」や「対象者の協力は任意です」と書くのはごく自然である。
・特別な場合以外、第三者のことには敬語表現を使わない(使うと相対的に相手を低める)。
ただし、施設長などに対して「ご協力くださるかどうかは患者様のご自由です」と書かざるを得ない場合もあるでしょう。正統的な用法は「協力は患者の自由意思によります」ですが、そう表現しにくいのは、医療職者にとって患者が、神や国王と同じように、絶対的に尊敬すべき対象になったことを示しています。本来求められているのは、「患者」という(医療の消費者としての)地位に対する尊敬ではなく、患者の立場にある個人への(対等な人間としての)尊敬であることを考えれば、これはおかしなことです。実際、「患者様」と呼ばれて馬鹿にされていると感じる患者も少なくありません。このような状況下で、正統的な日本語感覚を麻痺させる機会を減らすには、できるだけ「患者」という言葉を使わないで済ますのが得策です。「協力は対象者の自由意思によります」なら問題を回避できます。しかし、依頼先の病院に「患者様」という呼称を第三者にまで使う文化がある場合は、使わざるを得ないでしょう。
・対象者に「ご返送をもって研究への協力の同意とみなします」と書くのは好ましくない。「調査にご協力くださる場合は、回答済みのアンケートを添付の封筒に入れて返送してください。それ以外の場合は、お手数をおかけしますが、お手元で処分してください」などとしてもよいが、「回答を同意とみなす」旨を直接書くべきではない。
「回答を同意とみなす」というのは、研究倫理におけるロジックであって、調査対象者に伝えるべき性格のものではありません。当たり前のことをわざわざ伝えることは、滑稽と感じさせたり、真意を測りかねて脅迫と感じさせたりする可能性があります。研究者が行うべきことは、このロジックが成り立つための前提を満たすこと、つまり、回答の際に強制力が働かないような依頼文と回収方法を用意することです。
・「内容分析」は「分類して整理」などとする。
・「研究結果は~の支援を検討する資料といたします」は表現がpedanticでかつ間接的すぎ、一般人にはその研究が無意味に近いと映る。「研究結果は~の看護に役立てます」のように表現する。
4)非文法的な表現や正統的でない表現を避ける。
単なるタイプミスとは言えない不適切な表現は、以下のような倫理的に深刻な問題を引き起こします。
①不適切な言葉で説明が不明確になれば、インフォームド・コンセントの前提が成り立たなくなる。
②礼を失した表現はそれ自体が倫理に反する。
③不適切な言葉は、研究者個人に対する信頼を失わせる。
④不適切な言葉は、所属大学、看護師、看護学者に対する尊敬や信頼を損なう。
表現が正統的かどうかは、どの程度使用されているかではなく、論理に従って判定する必要があります。言葉は時代により変化し、誤用とされる表現も常態化すればやがて受け入れられるようになりますが、体系としての論理的整合性がとれてはじめて正統的な表現として定着します。逸脱の許容度には個人差があるので、正統的でない表現は、たとえ多くの者が普通に使っていても使用すべきではありません。
5)「いただく」など謙譲語の用法に注意する。
不適切な敬語表現の多くは「いただく」を尊敬語と勘違いした結果です。「いただく」は「もらう」の謙譲語で、自己を低めることで相対的に相手を高める効果があり、また相手の行為をありがたく感じていることを表しますが、相手に対する尊敬は含まれていません。また、文法的には相手から自分に動作主が変わることが混乱を生じます。特に次の表現は世間に蔓延していますが、明らかに非論理的(最初の例は自分に、二番目の例は神様にお願いすることになる)であり、研究者としての適性を疑われたくなければ使うべきではありません。
×ご協力いただきますようお願いします ○ご協力くださいますようお願いします
×ご協力いただけますようお願いします ○ご協力くださいますようお願いします
また、「いただく」は自己の都合を中心に据えるので、表現される思考の流れが自己中心的になり、甘えや厚かましさを含む傾向があります。次の文は、押しつけがましい敬語表現と自由意思を尊重する内容とが矛盾を感じさせます。
×決めていただけます ○お決めください(文法的には「お決めになれます」でよいが、相手を支配することになる)
次の文は、直接的な依頼を避けることで敬意を示そうとしていますが、相手の察しを前提とする婉曲表現は、公的な依頼には場違いです。
×ご協力いただきたいと思います ○ご協力をお願いいたします
ただし、実行された行為に関する感謝を表す場合の「ご協力いただき、ありがとうございました」は自然です。すべての場合とは言えませんが、多くの場合、「ご協力くださり、ありがとうございました」とどちらでも使えます。
「お申し出ください」はよく見かけますが、この場合の「申す」は謙譲語としての性格が強く、官が民に対して「申し出よ」と言っていたのを「お」と「ください」をつけてちょっと持ち上げる振りをしながら、依然として官が民より上だと暗に知らしめるような表現です。本当に敬意を示すべき相手に使ってはいけません。
×お申し出ください ○仰ってください (文脈により「お知らせください」、「ご連絡ください」など)
例を挙げれば切りがありませんが、要は、気づかないで厚かましい表現や失礼な表現をしてしまわないように、正統的な敬語感覚を身につけることが必要です。
その他の誤用例:
×協力くださる ○ご協力くださる ○協力してくださる
×協力いただき ○ご協力いただき ○協力していただき
×ご協力をいただき ○ご協力いただき
なお、協力や同意を依頼する相手に対して、それを「得る」と表現することは、礼を欠きます。
×ご協力が得られなくても ○ご協力くださらなくても(相手への文) ○対象者の協力が得られなくても(第三者への文)
×ご同意が得られれば ○ご同意くだされば/ご同意いただければ(相手への文) ○対象者の同意が得られれば(第三者への文)
×ご了解が得られれば ○お許しくだされば/お許しいただければ(相手への文) ○対象者の承諾が得られれば(第三者への文)
この最後の例では「得る」だけでなく「了解」も使用しない方が無難です。「了解」には「とりあえず認める」というニュアンスがあるので、「成り行きで了解はしたが、納得して承諾したわけではない」ということが起こり得ます。
6)倫理審査の結果は審査番号ではなく承認番号を記載する。また、承認権者は倫理委員会ではなく学長なので「この研究の計画は、長野県看護大学において倫理審査を受け、承認されています(承認番号2013-99)」のように記載する。申請時には承認番号が未定なので、該当の場所に「201x-xx」のように記入しておく。
7)「調査に協力しなくても従前どおりのケアが提供される」や「調査に協力しなくても職務評価に影響がない」と書く場合は、そのような記載をすることを了承してくれるよう対象者の所属施設や上司に依頼する必要がある。
8)録音については、断られた場合には調査を行わないのか、あるいはメモなどで対応するか否かを記載する。また、承諾した場合でも、(永久的な)中止や(一時的な)中断の自由を認め、その旨を記載すること。
9)依頼文に資料として計画書を添付する場合、読みやすく工夫すること。
10)対象者の確認を求めるために同意書に記載した事項に対応するすべての説明が説明文書に記載されているか確認すること。また、同意書の記載内容も専門用語ではなく、相手に合わせた表現にすること。