本ページは, 下記の期間の内容を書いたページである. まだメモ程度の備忘録にしかなっていないが, そのうち, 読み物として執筆完成させる予定である.
20Y8年12月〜20Y9年3月@スイス
何度も書いておくが, あくまで経験を参考にしているものの, 本ページの内容はフィクションである. 大きな誇張表現や不正確または不適切な情報が含まれており, 登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものであることに注意して頂きたい.
11月末頃(気が早すぎる...)から, こちらの人々は, あちこちでクリスマスモードである. 日本人からしたら, クリスマスといえば12/24のイブと12/25の当日程度のイベント(としての認識)しかないが, ここはスイス(に限らず欧州でかも?)である. クリスマスは一大イベントなのだろう. 実際, 信仰の割合を見てみると, (多い順に)カトリックが約43%, プロテスタントが約35%, イスラム教が約4%, 正教会が約2%, ヒンドゥー教, 仏教, ユダヤ教などが, 各1%未満である. そのため, (ざっくりまとめた)キリスト教徒は全体の約80%に相当する. あちこちの都市ではクリスマスのイベントが11月末から12月末の2ヶ月かけて行なわれる. 私が住んでいるローザンヌの街でも11/21からイルミネーションが点灯し始めて, すっかりクリスマス一色である.
妻がオススメしていたGruyèreでもクリスマスマーケット, イルミネーション, 聖ニコラ祭(※), チョコレート関係のイベント, チーズ関係のイベントが毎週土日に何かしら予定されている. 調べてみると期間は11/24-1/14(長過ぎる!!)(公式サイト)である. この日(12/01)もチョコレートクエストというイベントがあるみたいなので, クリスマスマーケットやイルミネーションを見るついでに参加してみようかなと思って, Gruyèreに向かった. Gruyèreはもうこれで3度目. 1度目は一人で訪れチーズ工場を見学し, 2度目は妻と娘と三人で来て城を見て回った思い出の街(村)だ. そして景色も良いので何度行ってもいい村だ.
Gruyèreに着く前から観光客が多く, 最寄駅から急な坂道を上がったGruyèreの村はどうなっているのだろう?と期待に胸膨らませて, 颯爽と山道を登る. 着くなり, 「ん??」と疑問符が出てしまった. 確かに普段に比べたら観光客も多いし, 建物にクリスマスらしき装飾や電飾が見られるが, 事前にネットで見た感じとは大きく異なる. しかもクリスマスマーケットなんてやってないやないか!!公式サイトには11/24からって書いてあるのに, まだやっていないとか, どゆこと???村を入ってすぐのホットワインを売っているところがクリスマスらしいなってことで買って飲んでみる. ホットワイン(赤)は, サングリアのような感じで果物(この時はレモンだった)が入っているとともに, だいぶ甘め(砂糖?)のテイストだった. 寒い中, 暖かいワインを飲んだせいか, 一杯でほろ酔いになった. そしてせっかく来たので, チョコレートクエストだけやって帰ることにした. このイベントは, インフォメーション(村の入り口付近)でCHF10の空箱と店の地図を渡されて, 記された6つのお店に行くと, その空箱にチョコレートを入れてもらえるというものだ. スタンプラリーのスタンプの代わりにチョコがもらえると思ってもらえればイメージがつくだろう. Gruyère自体はそんなに大きな村ではないので, クエストの店はすぐに見つかる. けれども, 3度目の訪問だというのに, 6つ全ての店(チョコレートやお土産を売っているお店)を知らなかった. その理由は建物にあった. 建物のグランドフロア(0階, 日本で言う1階)とそのテラス席がレストランになっていて, その1階(日本で言う2階)がショップや(チョコの)工房になっているみたいだ. そのため, これまでの2度の訪問では, グランドフロアがレストランになっているところはスルーしていて(ランチは一日一度だから...), 1階のお店は知らなかった. 小さな村だが, 3度目の訪問でも何かと新しい一面が見えるところだった.
(※ 聖ニコラ祭は, 子供たちの守護聖人である「聖ニコラウス」を讃えて, 12月のはじめに催されるお祭り. 古くからベルギー, ドイツ, フランスなどヨーロッパ各地で広く行なわれている. 土地ごとに祝い方や風習は様々だが, 共通するのは聖ニコラウスの日とされる12/06の前夜(12/05), 聖ニコラウスが子供たちへ贈り物を届けにくるという言い伝えである. このことから, 聖ニコラウスはサンタクロースのルーツになった人物とも言われる. )
12月に入ってから学内はクリスマスモード一色だ. 昼休みには陽気なトナカイ(の着ぐるみを着た学生)がはしゃぎ回っているし, 建物のあちこちにイルミネーションも点灯している. そしてこの日, 17時から21時まで学内のChristmas Marketが実施されていた. 仕事終わりに, 研究室のエミ, ミロン, クリスと四人で向かった. 1階(日本でいう2階)の入り口付近と2階の(渡り廊下を含んだ)2つの建物を繋いだ箇所で出店があった. お菓子, 蜂蜜, オリーブオイルなどの食品を売っている所やら写真, 絵画のような芸術品を売っている所, 香水や民族品などなど様々なものを売っている所があった. そこまで広い場所ではないので, ぐるっと一通り見回ってきた. 大学のChristmas Marketだったが, あちこちに子供連れのお客さんや子供連れの出店者が目立った. ちょっとした地域イベントにもなっているのだろうか. そんなに売れている気配はないが, お客さんはいっぱいで活気のあるイベントであった.
夕方の買い物帰りに, 先日Facebook(ローザンヌ日本人研究者の会)で知り合った博士後期課程学生の賢士くんとバッタリ出会った. 彼はローザンヌに来る前にこのサイトを読んでいたそうで, 少なからず(このサイトを)情報源にしてくれていたみたいだ. 信号待ちの間, 二人で話したのだが, どうも私のstudio(マンションの意味)の近くに住んでいることがわかった. 近いどころか, 真向かいの同じ系列のstudioで, 同じ管理人さんが担当しているところだ. 何という偶然!!彼とは, 来週の忘年会でまたゆっくりと話ができそうだ.
ずいぶん前に, 研究者が研究成果を世に出す方法として, 論文投稿というものがあると述べた(20Y年05月16日 論文の状況を参照). その際に, 論文を投稿するところは数多くあると紹介した. これまで私は, 英語が苦手で, 英語から逃げてばかりおり, 国内の論文誌ばかりにしか投稿してこなかった. 当然, それらの論文は日本語で書いてきた. 当たり前のことだが, 日本語で書いてある論文は, 日本語が読める研究者しか読まない. そのため, こちら(スイス)の研究室では誰も私の研究を知らない. もちろん仲良くしてもらっているが, (勝手な予想だが)私は変な奴だと思われているだろう. 何がどう変かというと, 32-33歳という若いくせにプロフェッサー(教授や准教授につける敬称)という異例な立場であり, そのくせ英語が全然できない奴という矛盾だらけの印象だろう.
そんな中, 構想3年(院生時代から考えていた), 研究開始4年目, そのうち, 実験に2年半, 論文執筆1年を経て得られた成果をまとめた論文が, 有り難いことに掲載が決まった. Lab meetingの各自の近況を報告する際, 「(ここの仕事(研究)ではないけれど)論文の掲載が決まったんだよ!」と話したら, みんなが驚きとともに祝福してくれた. 論文の掲載が決まった論文誌は, 私の分野では世界的に非常に有名で, 掲載が決まること自体が難しいと評判のところだ. Lab meetingのあと, 「どんな内容なんだ?」と聞かれたり, 内容を説明したら「***はどうなっているんだ?」と色々な質問を受けて, ディスカッションした. さらに, 「論文をみんなで読みたいからSlack(研究室内の共有ツールみたいなもの)にUpしてくれ」と言われ, Early access版(校正前に先に論文誌に公開されるもの)の論文をSlackにUpすると, ニコンから「**ページ++行目のこの(英文の)表現が気に入った!使ってもいいかい?」と言われたりと大反響があった. これまた勝手な予想だが, これまで私は英語が不出来なのに若いプロフェッサーという変な奴だったのが, あの論文誌に論文を通したプロフェッサーと認識されたのだろう. 今でもプロフェッサーという立場は重過ぎると思っているが, (一部だが)研究内容を知ってもらい, 嬉しい限りだ. このような経験も含めて, やはり研究成果の発信は, 英語で書いた方が良いと再認識した.
スイスに来て, もう8ヶ月も経つが, 会話の中で出てくる"ズーリ"っていう都市がどこなのかが, ずっと気になっていた. ひょんなこと(クリスマスの旅行話)から, "ズーリ"がZürich(チューリッヒ or チューリヒ)であることがわかった. 確かにZüだからドイツ語でチューとは読め, 現地もドイツ語圏だが, 研究室の彼らは英語を話しているので, Zuがズーになるのだろう. そして, 英語では最後のchを省略(or小さく発音?)して, 結果, "ズーリ(気持ち小さいヒ)"となるのだろう. 日本でカタカナの都市名にされた場所は, 現地でどう発音されているか or 英語でどう発音されているか を知らないと, どうも会話について行けないと実感した.
すでに滞在の2/3を終えている段階で今更ながらの真面目なことを書こうと思う. (だからと言ってそれ以外に書いていることが不真面目だというわけではないが...) そもそも海外研修(サバティカル)では何をするのか?メインの目的は, 受け入れ先研究室での研究である. 慣れない環境, 通じない言葉, システムや文化や慣習の違いなどを克服しながら, 研究に勤しむ. そして, この滞在経験を通じて, 研究や教育システムを肌で感じて日本に持ち帰る(日本の職場に活かす)ことが三宮高専に貢献することに繋がり, 留学などのサポート(できるかどうかは置いておいて)や海外の第一線で実施されている研究の話をすることが学生さんに貢献することに繋がり, 自分の研究の幅を広げてかつ人脈も広げることが自分(の研究)に貢献することに繋がる. 実際, 私が学生の頃, 海外研修(サバティカル)から帰って来たオレンジ先生に「どうでした?」と聞いたら, 「今後10年(研究の内容として)食っていけるネタが見つかった」とおっしゃっていたことが印象に残っている. ここまでの内容は, もちろん, その通りだが, それだけであろうか?いや, そうではない(と思っている). 私の場合は, 三宮高専に学生さんを残していることもあり, これまで日本で実施してきた研究も進めなければならない. そして, 度々この滞在記にも書いているように, その成果を学会発表や論文投稿という形で世の中に発信している. おそらく, この2つが"すること"になるのではないだろうか.
では, だからと言って受け入れ先研究室に引き籠っているだけで良いのだろうか?と考える. もうすでに結構, 引き籠ってしまっているが, 自問自答する.
ここから書くことが"できること"だ. 海外研修(サバティカル)中は, 自由な時間が多いので, 考える時間も多い. 研究のこと, 高専のこと, 自分のこと, その他諸々. その結果, 「帰ったらあれをしよう」とか「将来こういうことがしたい」などの未来に送る宿題を作ったり, 「今こんなこと考えているんやけど, どないやろ?」と共同研究者や学生さんに話したり, 「今これをしよう」と実践したりと, 思考にふけり, そして行動できる時間がある. 普段(日本の職場)の環境から離れて, 外から視点を変えて考え, さらに色々な刺激を受けることで, 思い掛けないアイディアも出てくる. もしかしたら, オレンジ先生が言っていたこととは, こういうことだったのだろうか?じっくりと考えることが"できること"だろう.
さらに, 自由な時間を使って考えることの他には, 情報や刺激を得ることも含まれる. 学会, 来訪 or 訪問によって人に会い, 色々な価値観や経験, その方の専門分野などを聞いて刺激を受けることも海外研修(サバティカル)中に, "できること"なのではないだろうか?これまでの滞在2/3を振り返ってみても, ノッティンガム大学に同じく海外研修(サバティカル)中の藤木先生がスイスに来訪されこちらの研究室を紹介しながら一日中話し合ったり, 2回の国際学会で他大学・他高専の先生方と会って話したり, 南仏に滞在中の旧友に会って企業の研究開発の話を聞いたり, ローザンヌにいる日本人研究者の方と異分野ながら様々が議論をしたことなどの全ての経験は, 刺激を大いに受けて, 今, さらに考える糧となっている. この自由な時間を使って, 出かけて行き, 人に会い, その土地に触れ, 話をして, 刺激を受けることが, 海外研修(サバティカル)中に"できること"ではないか.
もう残りの滞在期間も短くなっている中, 充分にスイス生活にも慣れてきたので, あちこちに出かけて行こうと思う. 滞在終盤はおそらく出国手続き関係で, またドタバタとテンヤワンヤするかもしれないが, 残り1/3の滞在(3ヶ月)を有意義に過ごしていきたい. というわけで, 残りの滞在期間にあちこちに行って人に会い刺激を受けに行く予定である(すでに計画済み).
日本にいた頃から, 三宮高専に同期着任の7人で, 年4, 5回のペースで情報交換会(という名の飲み会)を実施している. 今年は私に遠慮してか単純に忙しいだけなのか, まだ1度しか実施されていない. そんな中, 同期の流戸先生が幹事を申し出て忘年会が実施された. 流戸先生の提案で, 私はSkypeで参加することになった. 日本の夜, スイスの昼休みの時間にSkypeを繋いで, 久し振りに同期の顔を見て楽しく話すことができた. こちからスイスのことや海外研修(サバティカル)自体のことを話したり, 逆に, 今の三宮高専のことを聞いたりと, 確かに有意義な情報交換会だった. 海外研修(サバティカル)の制度が三宮高専にあるとはいえ, なかなか実現している先生が少ないので, 少しでも次年度以降にこの海外研修(サバティカル)の経験を活かしていければと思う.
それにしても, Skype越しに見た日本食はどれも美味しそうやった... 帰って日本食が食べたい!!
あまり専門分野の内容は書いてこなかったが, またしても足止めを食らっているというお話. 先週, 私が開発している回路基板の設計ができて, 共同研究しているニコンに見てもらい, 彼に発注してもらうため, 話に行ったら, 「今週は忙しいから来週にして」と(先週)言われたので, その間に, 別の仕事をして先週一週間待った. そして, 昨日の月曜日は彼が捕まらず, 今日捕まえて, 設計した回路基板を発注してくれとお願いした. 発注した回路基板は7営業日で届くのだが, ちょうどその業者が12/21から休暇になり, 営業開始は年明けになると(その業者の)サイトに記載されていた. それをニコンと二人で見て, 今日(12/11)に発注したら, ギリギリ12/20には届くので, 年内に回路基板が届き, 次の実験に移れるから良かったなと話していた. しかしトラブル発生. その業者で発注ができない. そのエラー文を読んでみるとそこの業者に依頼した別件の支払いが2件済んでおらず, 次のものは受け付けないというものだった. どうなっているんだ??私もニコンもわからない. 秘書のナーシャさんに確認しないと...というものの, そのときちょうど17時くらいなので, もうナーシャさんは帰ったみたいだった. ナーシャさんの確認待ちということで, またしても実験が遅れてしまう...(後日談, 結局, 回路基板は年明けにしか届かないことになった... そのため, 12月の残りの期間は日本の仕事(研究)に集中することにする. )
この8ヶ月での教訓:春:3月中旬から4月中旬, 夏:7月から9月, 秋11月, 冬12月から1月中旬は要注意!!こちらの(欧州の?)人たちは, 自分の良いタイミング(特定の日程が決まっておらず, 各自が好きに決められる)でヴァケーションを取る. そのため, 何かの事務手続きなどが複数人を介して実行される場合, 担当の人のヴァケーション明けのタイミングまで何かとストップしてしまう. 春にここに来た時も, 来て早々にニコンがヴァケーションに行っちゃったし, 研究室のパソコン関係で夏にナーシャさんと大学の事務方のヴァケーション明けまで待ったし, 今回もクリスマスから年末年始にかけてはどこもかしこも止まってしまう...一年と限られた滞在の中で物事を進めようとすると, この文化(確実にヴァケーションを楽しむこと)を理解して対応していかなければならない.
いつものSkypeディスカッションを日本の学生さんとしていたら, 学生の北川さんが「あれ?先生, 散髪しました?」と私が散髪したことに気づいた. 初めてセルフカットをした20Y8年10月03日からだいぶ髪が伸びて来たので, 8週間後の11月28日に2回目の散髪をしたが, その後のSkypeディスカッションの時には気付かず, 2週間経った今日気づいたみたいだ. まだ気づいただけ変化に敏感だったのだろう. 他の学生さんたちは, 「え?切ってますか?」と言われても, 変化に気がつかないみたいだ. 坊主頭だと長さが一気に短くなっても気にならないのだろう.
15:30ごろ, 急にドラゴン先生からラボ全員に招集(15:45)のメールがきた. 誰か何かしでかしたのか??いつものように長テーブルを囲んで座るのではなく, ラボで円形になってみんな立っている. 一体, 何があった??ドラゴン先生が「全員揃ったか?」と聞くと, マルコが「(誰々が)まだだ」と答え, 全員集合を待つ. 全員揃うと, ドラゴン先生が「私の車は, 4人乗せられる, ハグリッドとヤンは車だったよな?誰が乗るんだ?」え?もしかしてこれから行くボウリングまでの足の確認か!?ドラゴン先生が「métroで行ってもいいし, (誰かの)車に乗ってもいい, みんなで決めて, 私の車で来る奴は言ってくれ」それだけ言い放って, ドラゴン先生は自室に戻っていった. なんだそんなことか... そのあと, 誰がどうやって行くかざっと決めて, 各自, 自分の仕事に戻った. 結局, 私, オンジ, クリス, ニコンがドラゴン先生の車に乗せてもらうことにした.
ボウリングは学生時代にたくさん経験してきたが, 最後にやったのはいつだっただろうか?もしかして就職してからボウリングしてないかもしれないな... 行きの車の中で, オンジが「日本でもボウリングはメジャーだろ?Averageどれくらいだ?」と聞くので, 「Averageは120くらいかな. でも学生時代にしかしてないから, 今はわからないよ」と答えると驚いた様子だった. そんなに高いだろうか?
ボウリング場に着くと, ドラゴン先生が各自の名前(ニックネーム)を設定してゲームスタート. 私の名前はNinjaだ. 日本人はやっぱり忍者ですよね. 侍でもよかった. 他にはイタリア人のガブはPizzaだったりと色々なユーモアに溢れるネーミングだった.
案の定, 久しぶりすぎるボウリングに1ゲーム目は悪戦苦闘していたが, 他のメンバもめちゃくちゃなフォームだからけだ. こちらでボウリングはメジャーではないのかな?それにしても, ガタイのいい学生達は力任せにボールを振り回し, 思いっきりスピードを出して投げている. それじゃコントロールできひんよ. マークは, 投げる前に振りかぶった瞬間に指が抜けて後ろに飛ばすアクシデントがあったりと, 巨人の星の左門豊作か!っとツッコミたくなったが, 多分, 巨人の星を知らないよな. かくいう私ことNinjaは1ゲーム目の7フレームを終えて39点. 低い!低すぎる!残りの投球を丁寧に気をつけて, 8, 9, 10(の1投目)フレームを連続ストライク, 残りの10フレームでスペアを取り, 合計114点. (算数の問題になりそうだ. さて, 10フレーム2投目は何ピン倒したでしょう?とか) 過去のAverageにギリギリ足りないくらいか. でもようやく, ボウリングを思い出してきた.
ボウリングをしていて, 日本との違いを感じたことがいくつかあった. (もしかしたらこの店だけかもしれないが). 飲食(アルコールを含む)が可能で, むしろ売っている. どのピンが倒れてないかを表示する機能はなし(そのため, 2投目のアドバイス機能もなし). スコアのミスによる修正機能はなし. ピンがカラフルにライトアップされている(見えにくい...). ボールを拭くタオルがない. (ゲーム後の)スコアの印刷はない. 脱いだ靴を入れるロッカーがないので, ロッカーの鍵を預けるシステムがない. ファール判定がない. ストライクやスペアの際の画面(アニメーションみたいなもの)がない. スコアボードにはやたらと広告が映る. と言ったところだろうか. さて, ゲームが2, 3ゲームと進んでいき, みんなほろ酔いになりながら, プレイを楽しんでいた. 私も若かりし頃(今も若い?)の感覚が戻ってきたので, 2ゲーム目125点, 3ゲーム目128点とまずまずなスコアを残せた.
ボウリング後にみんなで移動し, ディナーに向かった. 普段からよく喋るが, ここでも色んなことをよく喋った. 前菜が終わり, メインディッシュが到着する前にドラゴン先生が一年間を振り返ってみんなにスピーチした. 今年はこの研究室で初めてのドクターが出て, それに続いて3人が無事に学位を取得した. 新しい博士課程学生が増えたり, 私やクリスのような短期滞在の人も加わって, ドラゴン先生に取っても今年は変化の激しい一年だったそうだ.
再び恭子さんの提案でFacebookのローザンヌ日本人研究者の会で忘年会を実施してもらった. 集まった人数は10人と, 前回と同じくらいに大勢の参加となった. 場所は駅近の中華料理店Chez Xu. これまで2度来たことはあるけれど, こんなに大勢で来ることは初めてだ. 中華料理は一品一品が量が多いので, 大勢でシェアして食べるといろんな料理が食べられる. 自炊+学食ではなかなか中華は食べてられないので, 久し振りに安定の中華の味を堪能した. また, 前回が初めましての方や今回初めましての方が多いなか, やはり似た境遇にいるため, 研究や滞在, 日本とスイスのこと, 年末年始の過ごし方など, 話に花を咲かせた. 今回も幹事をしてくれた恭子さんに感謝.
思い立ったら吉日とはよく言ったもので, 以前に滞在中に何ができるか?(20Y8年12月10日を参照)と言う話をまとめたが, このことを考えていた11月頃には, この機会(スイス滞在中)にあちこちに行って人に会おうと考え, すぐにアポを取っていた. 左京大学の学部時代に仲の良かった友達(ベトナム人)がドイツのStuttgartに住んでいると聞いていたので, この3日間を使って, 会いに行くことにした(+観光も). Lausanneから電車でZürich乗り換えでStuttgartへ移動. 乗り換え1回だが, 片道5時間半もかけて到着. 私の携帯はスイス国内しか使用できない(国外に出ると圏外になる)ので, あらかじめ決めておいた待ち合わせ先で合流した. その友達は, 大学院からオーストリアに移ったので, 20X8年3月の卒業以来, 10年9ヶ月ぶりの再会だ. 3日間, 友達とそのパートナー(ドイツ人)の家に泊めてもらい, いろんな話をしたり, ドイツのクリスマスマーケットに行ったり, 家のクリスマスツリーを飾り付けしたりして楽しんだ.
その友達は左京大学の学部時代, 留学生として日本に4年住んでいた. 日本人としては当たり前に感じるが, 左京大学では講義は全て日本語で実施される(一部の科目を除く). そのため, その友達も同じように(専門科目の)講義を日本語で受けていたが, やはり日本語は難しかった. 同じことを自分に置き換えてみたら分かりやすいだろう. 大学で, 母国語でなく英語でもない言語で講義をされたら全く理解できていなかっただろう. 卒業後は日本語を使っていない(アポをとる連絡した際にも英語で話していた)から, 日本語は話せないだろうなと思っていたら, 何と再会するなり日本語で話してくれた. もちろん, 10年前よりも拙いが懸命に話してくれた. 嬉しい限りである. たまに言葉に詰まるときはお互いに英語に切り替えたり, 日本語と英語が入り混じったルー大柴のような状態になりながら話した. 友達のパートナー(ドイツ人)と一緒にいるときは三人で英語を使ったが, パートナーと二人の会話は基本, ドイツ語で話していた. 聞いてみるとドイツ語と英語の切り替えはすぐできるけど, ドイツ語と日本語は難しいらしい. そりゃ言語が異なりすぎる. 無理せず英語で良いよと言って, ほぼ英語で話すことにした. 英語が弱い私に取っては大変だったが, 色んな価値観や歴史, 考え方などを意見交換(?)できて興味深い話が聞けた. ただ, 社会制度, 政党, 戦争, (会社の)雇用などの話をすると, どうも自分の意見や日本の状況を話したくても英単語が出てこない. もっと英語を頑張らなければいけない...
3日間とてもお世話になり楽しい時を過ごした. 「今度は日本に遊びに行く時に連絡するよ」と言ってくれたので, ぜひ来た時におもてなしをしてあげよう.
今日はヤンの誕生日で, 彼が主催のチーズフォンデュパーティーをした. やはりこちらの文化では, 主役がパーティーを主催するのだろう. 公聴会や試験の時もそうだった. ヤンを中心にみんなでチーズフォンデュの準備をして, ドラゴン先生も秘書のナーシャさんも皆が参加した. 日本でイメージするチーズフォンデュとは異なり, 本場スイスではチーズにつけるのはパンだけである. (たまーにジャガイモがあるお店もあったりする.) 鍋のチーズが空っぽになるまで, ひたすらパンをチーズにつけて堪能した. 昼間っから食べ過ぎだ. こりゃチーズで太る(もう太っている?).
チズさんから緊急の連絡があった. どうやら隣のお店(建物としては繋がっている)のトラブルで, 水漏れが発生しているみたいだ. 急遽, ドラゴン先生に事情を説明して, 帰り自室を確認する. 幸い私の部屋はパッと見では問題なさそうだ. チズさんが大家さんと仲介してくれて, その話によると念のため業者さんが部屋に入って, 点検するみたいだ. 部屋に入って点検するから合鍵を渡して欲しいとのことだった. そのため, 私はそのまま自室で待機していた. すると, しばらくして業者さんが来て, 合鍵を渡した. というか, 今ここにいるなら今見てくれよ!とも思ったが, ここはスイス. 日本のようには行かないのだろう. 明朝には点検に来るらしい. 特に問題がないことを祈る.
スペインの大学から3ヶ月の短期研究滞在していたクリスが, この年末で帰国するということで, 送別会をすることになった. 公聴会や試験の後の懇親会や打ち上げ, 前日のBirthday Patyも本人主催だったが, 今回の送別会も本人主催だった. やはり主役が主催するのがこちらの慣習なのだろう. 5時過ぎに学内(サテライト)にみんなで向かって, ミオの打ち上げ(20Y8年11月15日参照)と同じようにただただビールを飲みながらひたすら喋りまくっていた. 前回の反省(?)を活かし, 何も食べずに勢いよく飲んでしまうと翌日に響くので, ほどほどのペースで飲むことにした. 9時前くらいにクリスが「Renensにある(行きつけの)Barに行こうよ」と提案したので, 残っていたメンバーでmétro向かって二件目. そこで1時間くらい飲み喋り, クリスの送別会は終わった.
ここ数日, 風邪なのか鼻炎なのか, 鼻水が止まらずくしゃみも多いので, マスクをつけることにした. そう言えば, 日本では花粉症や風邪予防や風邪を他人に移さないためなどで, マスクをつける人が多いが, スイスではマスクをつけている人を見かけない(今のところ誰も見たことはない). ミオと話していて, それは確信に変わった. こちらでは「マスクをつけて歩いている人はstrangeだ」と言われ, 「日本ではよく見かけるで」と言うと, 「日本人がマスクをよくつけるのはなぜだ?」と聞かれたので, 「風邪を予防したり, 風邪ひいてる時に他人に移さないためだ」と伝えると, 「風邪移されたり, (すでに)風邪ひいて体調が悪いなら, 休めばええやん」とミオに言われ, ごもっとも...と思った. 日本人はやはり働き過ぎだ. 体調の悪いのに働いている私は日本人だからだろう. ここ数日姿を見ていないニコンは風邪で休んでいるんだとか.
いつものようにコインランドリーに洗濯しに行くと, 大きな白い生地を広げている女性がいた. 遠くから見た感じ, 掛け布団かシーツあたりを洗濯しに来ているのだろうと思っていたが, 近くで見てビックリ!!女性が手に持っているのは真っ白なウェディングドレスだった. このドレスを洗濯しに来たのだろうか?胸部のところに洗剤をつけて何やら準備をしている. 40分後(自分の洗濯が終わった頃)に再びコインランドリーに戻ってみると, 先ほどのウェディングドレスを自販機と柱の間に突っ張り棒をつけ, そこに干している. 何とも豪快なマドモアゼルだろう. 感心してしまった.
先日(20Y8年12月10日)書いたように, この滞在中にどこかへ出かけようと思い立ったが吉日, 早速その日(20Y8年12月10日)のうちに, Nottinghamに行く予定を立てていた. 私と同じように海外研修(サバティカル)でNottinghamに滞在している藤木先生に声をかけて, 私が学生時代にお世話になったアル先生にも都合を伺って, 日程を確定した. 藤木先生によると, 私がNottinghamに滞在していた頃(7年前)から(当時, 博士課程学生として)居て, 今は助教やポスドクで残っている人もいるらしく, 再会が楽しみである.
アル先生と日程調整した際に, アル先生が「せっかく来てくれるんだったら研究発表してよ. 招待講演のセッティングしておくから」と言われ, 急遽プレゼンすることになった. 軽く訪問しようというだけのつもりが, 結構おおごとになってしまった. しかし会話の中で, 言葉(英語)だけで自分の研究を説明するのは結構難しいと, Niceに行った時(20Y8年11月22日-25日)に実感したこともあり, ちゃんと資料を準備して話したら伝わるだろうと思った. そして, 自分の研究を日本人以外の人に聞いてもらって, その反応(研究を興味深いと思ってもらえるか否か)を確認できる良い機会だ. アル先生にはこの講演の機会を提案してくれたことに感謝だ. また, Nottinghamではないが, 近くの都市Sheffield(シェフィールド)に住んでいる友達にも連絡して, このNottingham訪問の時に会うことにした. この友達とも前回Nottinghamに滞在している時に会って以来, 7年振りの再会になる.
さて, それからイギリス行きの準備だ. フライトとホテルはその日のうちにネットでサクッと予約した. やはりヨーロッパ圏内への移動は安いし簡単にできると改めて実感した. 値段も時間も日本で言うところの国内旅行感覚だ. 次にお金だ. ポンドは全く持ってなかったが, 以前Geneva空港に両替カウンターがあったことを思い出し, Nottinghamに行く際に両替したら良いだろう. プレゼン資料はこの年末年始の自宅作業の時にでも作ろう. 問題はコンセントだ. スイスに来る前には, まさかイギリスに出張するとは思っていなかったので, ヨーロッパ全般で使用されているC(もしくはJ)タイプに変換するコネクタしか持ってきていない. 一つだけ全世界のタイプに変換できる組み立てロボみたいな変換コネクタはあるが, 大きすぎて場所によっては挿さらない場合もあるし, 挿せてもグラグラしてバランスが悪い時もある. スイスで使っている時に, バチっと短絡(ショート)したこともあり, それ以降は全く使っていない... スイスを含めたヨーロッパではほとんど同じコンセント(C(J)タイプ)なのだが, イギリスだけは異なっている. BF(もしくはG)タイプ(イギリス, 旧イギリス領など)と言って, コンセントが丸くなく, 角ばっている感じの形状だ. そこで電気屋さんでBF(G)タイプに変換できるコネクタを探す. お店を3件回って探したが見つからず... 一つだけ見つけたものは, C(J)タイプからBF(G)タイプだけでなく, 全てのものに対応したプラグがセットでCHF26(日本円で3000円くらい)のもの.さすがにこれは高い... 日本にはAタイプ(日本, アメリカ, カナダなど)からBFタイプのプラグもあったけれど持ってきていない. もう1件大きめの電気屋さんに探しに言ってようやく, C(J)タイプからBF(G)タイプに変換するコネクタを発見, CHF7.5(日本円で850円くらい). これでコンセント問題は解決した.
先日(20Y8年12月13日)の日本人研究者の会での忘年会で, 大晦日の過ごし方についての話題があった. 多くの方が帰省(日本)したり, 旅行したりと予定がある中, 賢士くんと浩志くんと私の三人だけが大晦日にローザンヌに残っているみたいだったので, 年越しそば(どん兵衛)を一緒に食べようか!!などと話していた. どん兵衛会とそのときに命名した集まりは, 半分冗談で話していたが, せっかくなので企画しようと思い, 二人に声をかけたら, 賢士くんはすでに別の予定があるらしく, 浩志くんと二人のどん兵衛会となった. しかし, 当日, 急に浩志くんが体調が悪くなったみたいで, 断念... 結局, 一人でどん兵衛を食べて酒を飲む会になってしまった.
前夜に急に, 研究室の学生ミロンから, 「ウチでパーティーやるから来いよ!」みたいに誘われたので, どん兵衛会の後からのミロン宅に向かう予定にしていた. ミロンの家は, 大学から30分に1本のバスで10分ほど山側に向かったところで, 自然の広がる(ちょっと田舎な)ところだった. ミロンの母国ウズベキスタンで作られる家庭料理を振る舞ってくれた. お米と人参と牛肉の料理とサラダをいただく. サラダの味付けはマヨネーズで, ほぼポテサラと変わらなかった. 「日本でも似たようなもの作るよ, ジャガイモを入れたサラダだ」というと「そのサラダは, なんていう名前?」と聞かれて, 「ポテトサラダ」だと答えると, 「まんまやん!」確かに... Google画像でポテサラを調べて見せた. 最後にミロンお手製のデザートのケーキ. 以前も研究室にお手製のケーキを持ってきていたが, なかなか上手だ.
新年の瞬間をローザンヌ大聖堂で迎えるために, ミロンの家を22:00に出て, 電車でLausanneに戻る. 「まだ時間があるからローザンヌ大聖堂まで歩こう」とミロンが言うので, 急な坂道をテクテクと登っていく. ローザンヌ大聖堂に着いてまだ時間があったので, 中のコンサートを見ようという話になったが, 残念ながらチケット完売では入れず... 仕方なく, ローザンヌ大聖堂の外で待つ. 新年までまだ30-40分もあるのに, 周りには大勢の人. そして, すでに酔っ払って出来上がってる集団もチラホラ. 新年に飲むはずのシャンパンをあちこちで開ける音もする. そうこうしているうちにローザンヌ大聖堂内でコンサートを聴き終えた人たちが外に出てきて, 大混雑. まるでローザンヌ中の人がここに集まっているのではないかと思うのほどの密集状態. 24時が近づき, ミロンが持ってきたシャンパンを開けて乾杯の準備をする. そして, 新年になった瞬間に乾杯をして, Ouchy方面の花火を見たり, ローザンヌ大聖堂のBurning of the Cathedral(直訳したら, 大聖堂の燃焼(?). 大聖堂のライトアップされているところでキャンプファイヤみたいに火を焚くイベント)を見たりして新年を迎えた. その後もシャンパンを飲みながら盛り上がって, 25時ごろに解散した.
新年を迎えたローザンヌ大聖堂から帰宅後, (日本の研究室)学生の北川さんから, 「初日の出を見に言ってきました!」とLINEがきた. そうか, 元旦だから初日の出を見るのもいいだろうと思い, 早速時間を調べた. ローザンヌの日の出が08:17だとわかり, 電車のダイヤも調べ, 撮影場所を探す時間も考慮して, 07:30には家を出る予定にした. そのとき, すでに3時半... 3時間ほど仮眠をとり(無事に起きれた), 支度をしてOuchyに向かった. 高い展望台からでも良かったが, 初日の出を写真に撮る構図として, レマン湖, 雪山, 初日の出, のセットにしたかったので, Ouchyにした. 8時ちょっと前に到着するもOuchyには誰もおらず. あとで調べたが, 元旦に初日の出を見ると言う文化は日本古来のもので, 欧米にはそのような文化がないのだそうだ. よく言えば, 絶景スポットを独り占め. と思ったが, どうも全体的に曇り空だ. 東の空を見てみるとわずかながら雲の切れ間があるが, 初日の出の通り道からはちょっとずれている. レマン湖の岬に立ち, 吹きっさらしの寒い中, 初日の出を待つがやはり雲はどいてくれず, 日の出の光の裾がチラッと見える程度だった.
Migrosにいつも寿司が売っているが, どうせハズレだろうと警戒して一切買っていない. 実際, 海外にある日本レストランのほとんどはハズレなので, 高くて不味いものを買いたくなかったので... しかし, 正月ということと滞在も残り少なくなってきたので, 一度だけ試してみよう!!ということで, 買ってみた. 5貫(マグロ赤身2, エビ1, サーモン2)でCHF13.50 (日本円で約1500〜1600円)と, 庶民の味方のMigrosでもこのスイス価格!!高い!! 寿司は, その形を崩さないことが大事なので, そーとレジまで持って行ったのに, レジのおばちゃんがバーコードを読むために荒々しくひっくり返してしまったので, 形が台無し... 家に帰ってから整え直した. そして早速, 実食. ちゃんとワサビとガリが付いていて, 醤油差しは懐かしの魚タイプ. それぞれの寿司はデフォルトでサビ抜き状態だったので, ワサビを適量つけて頂く.シャリは時間が経っているのか, だいぶ硬くなっているけれども, ちゃんと日本で食べる米と同じで良し. ネタも思いの外, 新鮮で美味しい. 総合的に想像以上のクオリティ. 値段さえ気にしなければ, 美味しい寿司に出会えた.
夏(20Y8年08月14日参照)に(日本の)研究室に顔を出してくれた卒業生の塩屋くん. 今度は年始のこの日に研究室に来ていたみたいだ. "みたいだ"と言うのは, 本人から聞いたのではなく, 在校生の北川さんから聞いたからだ. 非常に後輩の面倒見の良い塩屋くんは, 年末年始の帰省の際に, 三宮高専の研究室まで寄って, 後輩の卒業論文執筆の応援にきたと言う. ただ, 塩屋くんのテーマを引き継いだ在校生はたまたまおらず, 卒業論文もまだまだ書けていないみたいで残念だったとのことだった. そういう行動を見た北川さん(塩屋くんと同じく新潟技術科学大学進学予定)は, 「来年は(同じ頃に)学校に行きます!」と言っていた. 私が不在にもかかわらず, しっかりと研究室の縦の繋がりが生まれていることは非常に嬉しい限りである.
滅多に鳴らない家のベルが鳴り, 恐る恐る開けてみると, (後で分かったが, 向かいに住んでいる)おばちゃんだった. フランス語で話しかけられたので, 英語とジェスチャーで"フランス語が分からない"と答えると, スマホのGoogle翻訳でフランス語から英語に変換してくれた. 何とも便利になったものだ. そのおばちゃんが言うには, 「自分の部屋ではトイレに問題がある. 水がゴボゴボ流れ続けている. お宅はどうだ?」とのことだ. 試しに自分の部屋のトイレの水を流してみたが, 特に問題ない. 問題なかったよ, 有り難うと伝えた. とても親切な隣人だった.
毎年, 新年の挨拶と近況の一言連絡として送っている年賀状. 最近では, Facebook(ちょっと前はmixi)などのSNSで遠い人とも繋がっているので, 近況はよく伝わっているけれど, まだまだ年賀状で近況を伝え合うという手段は有効であろう. 実際, 年賀状だけでお互いの近況をやり取りする間柄の知り合いもいる. 今年は私がスイスに滞在しているので, 妻に年賀状の代筆と代送をお願いして対応した. 私の知り合いの多くは, 私がスイスにいることを知っているので, 「今年は(私からの)年賀状がないだろう」と思い, 自身の年賀状を送ることを見送った方も多くいた. またある知り合いは, 私がスイスにいるにも関わらず, (私の)年賀状が来たことに驚き, 「もう帰国したのか?」と年賀状の返送(この表現が正しいのか?)をしてくれた方もいた.
年末年始も家で引きこもって仕事していたので, 仕事納めも仕事始めもないが, 今日はようやく大学に出勤する日だ. 月曜日なので, いつものようにLab. Meetingがあるが, どうも人が少ない. ドラゴン先生も特に驚くこともなく, 淡々と進めた. ただ, ドラゴン先生が笑いながら「セルビアンたちが誰もいねーぞ?」とごそっと呟く. 確かにセルビア人が(ドラゴン先生以外)誰もいない. みんな帰省や旅行に行っていて, 年始の仕事始めはまだまだのようだ. 多分, 本格的にみんな揃うのは来週のLab. Meetingになりそうだ.
仕事面のお話. 来年度の企業さんとの共同研究について, 永田先生と打ち合わせすることとなった. ちょっと込み入った話なので, メールではなくSkypeで打ち合わせする時間を作ってもらった. これまではずっとメールのやり取りをしているが, Skype越しでは初めてだ. 三宮高専の学生さんにお願いして, いつもの研究室でSkypeを繋いでもらった. 久しぶりに見る永田先生はお変わりなかったが, 永田先生は私の髪型を見て驚いていた. そういえば, 坊主にした話はしてなったかもしれない... 30分ほどの打ち合わせを終え, 忙しい永田先生は会議に向かった行った. 私も帰国したら, 会議三昧かと思うとゲンナリする. 生活面では早く帰りたいが, 仕事面ではもう少し残っておきたいと思い始めている.
年末の回路基板が発注できない問題(20Y9年12月11日参照)で, ナーシャさんに支払いの件を解決してもらって, 年内に発注が一応はできたのだが, 今度は年が明けてもまだ回路基板が届かない. 回路基板を作っている会社に電話をするが出ない... どうなっているのだろうか?滞在は残り2ヶ月弱しかない. スイスでの研究をキリの良いところまでは進めたいところだ.
ミロン, ステフ, エミあたり数名で2月上旬にスペインのマドリードに旅行に行くみたいだ. マドリードには観光と先月帰国したクリスに会いに行くそうだ. 一緒に行かないか?と誘われて, 行きたいのは山々だったが, 日程的に日本の卒論〆切とイギリス出張の間の数日だったので, どう考えてもバタバタしている頃だと思い, 誘ってくれたことは嬉しいが, 残念ながら断った.
滞在も残り2ヶ月を切ってしまった. そろそろスイスを出国する準備をしなければならない. 立つ鳥跡を濁さずに帰国したい. しかし, 何をすれば良いだろうか?まずはTo do listから書き出してみた.
大学関係
・CAMIPROカードの返却
・研究室の鍵の返却
保険関係の解約
・ASSURA 健康保険
・ECA 住宅の強制火災保険
・AVS 老齢遺族基礎年金
・AXA winterthur 住宅の保険
出国関係
・Controle des habitants 出国届け
その他
・賃貸の解約手続き
・携帯電話解約
・Migrosのポイントカード
・SBBのカード
・荷物を日本に郵送
帰国後
・在留届(外務省)
・郵便局 銀行口座解約
大きなものの処分
・炊飯器
・扇風機
・洗濯物干し台
銀行口座は, 賃貸と携帯の一時預け金の返金が終わらないと解約できないので, 帰国後の項目に入れておいた. (まだ通ってないけれど)イタリアである学会に参加するついでに, もう一度スイスに来て, 口座解約の手続きを取ろうと考えている. なかには放っておいても良いものもあるが, さて, どれから片付けていこうか?出国届けを提出した証明書がないと解約できないものもあるらしいので, 何からできるかも今後考えていかないといけなさそうだ.
ただのゲン担ぎなだけであるが, 大事な仕事(研究成果を発表する論文投稿)には, いつも六曜を気にしている. 六曜は, 暦注(暦に記載される日時・方位などの吉凶, その日の運勢などの事項)の一つで, 先勝, 友引, 先負, 仏滅, 大安, 赤口がある. 私が論文を投稿するときには, この六曜を少なからず気にしながら投降日を決めている. 今日1月15日は先負なので急用は避けるべきとされる日. 翌日1月16日は仏滅なので, 六曜における大凶日. 翌々日1月17日は大安なので, 万事進んで行なうのに良いとされる日. というわけで, 1月17日に論文を投稿しよう!という気分の話を研究室でしてみたのだが, 中国由来の六曜も韓国人は知らず, こちらの西洋人には全く共感されなかった...
午後のコーヒーブレイク前に, ニコンが研究室の各部屋を回って「ケーキがあるから, 皆で食べようぜ!」と人を集めていた. 何かあったのだろうか?と思ったが, 何てことはない. 今日はニコンの誕生日だったみたいだ. 主役のニコン本人がスーパーでケーキを買ってきて, みんなでケーキを食べながらワイワイと談笑した. 誰かが「おい, ニコン, 何歳になったんだ?」と聞いたので, ニコンは33歳だと答えていた. 私の年齢を知っている(覚えている?)オンジが「それなら, Masatakaと同い年だ. Masatakaは何月生まれだ?」と言うので, 私は11月だと答えるとニコンが「それなら, かなり年上だな」と笑っていた.
学生のニコンと滞在者の私, 同い年コンビで研究を進めて早9ヶ月. 私の滞在はもう後2ヶ月弱だ. 残りの時間でどれだけ研究が進むだろうか.
クリスマス前に発注した回路基板がようやく届いた. これでこちらの研究が進められる. 今月は日本にいる学生の卒論指導と自分の論文執筆, さらにこちらの仕事と全てをこなしていきたい. それにしても回路基板が届くのが遅かった. ふと, 回路基板が包装されているラベルを見ると, Packed on: 18/12/20Y8, Delivery date: 3/1/20Y9と書いてある. いやいやいや, 1月3日になんか届いてないわ... 2週間もどこで止まっていたのだろうか?
ASSURAのModification du contrat (契約の修正)のサイトに(フランス語は全部Google翻訳に頼った)に行って, 保険証に書いている情報を入力し, フランス語で解約したい( Je veux annuler mon assurance en mars 20Y9)とメッセージを書いて送信した. さて, 無事に解約できただろうか?
その数分後に自動受付メールが送られてきた. 14営業日以内に処理するから, それまでは催促しないようにとのことだった. それにしてもそのメール, 同じ内容が, フランス語, ドイツ語, イタリア語で親切にも書かれていた. それならせめて英語も書いてくれよ...と思うが, この国の優先順位(?)はこの言語の順番らしい. 以前, 鉄道内のトイレに書いてある説明もこの3言語だけだった.
翌日1月17日は, 娘の1歳の誕生日である. 妻からは地域の(1月生まれ向け?)誕生日会に参加した写真が送られてきた. そんな写真をラボメイトに見せながら, ワイワイ話しているコーヒーブレイク, 韓国人のオンジが言うには, 「韓国では1年(1際の誕生日)が子供の一番大事なセレモニーで, 子供の無事とこれからの成長を願うんだ」と言っていた. 日本では, お宮参りが1ヶ月(32日), お食い初めが約3ヶ月(100日), そのあとは七五三だと説明した. しかも七五三は男の子が3, 5歳, 女の子が3, 7歳だと言うと, ラボのみんなが, 「日本はすっげー複雑だな, まるでフィボナッチ(数列)みたいやないか. だからノーベル賞が多んちゃうか?」と. ちなみに, スイスはどうなんだ?と聞くと, 「毎年, ビックパーティだ!」と言っていた.
先日, ウェブサイトで解約を申し込んだASSURAの健康保険からメールが届いた. 内容は, 「(解約するには)遅くとも11/30-12/31の間に申し込みが必要. (だから解約できない!!) しかし, 海外出国する場合は, 証明書があれば解約できる」とのことだった. Google翻訳でも怪しい文章だったが, 多分この内容であっているだろう. ということは, やはり出国届けを出してその証明書を手に入れる必要がありそうだ.
1月は(日本で)どこの大学も高専も卒業論文(略して卒論)のシーズンである. かくいう私が籍を置く三宮高専も, 卒論の提出締め切りがJST 1/22 17時と, まさに締め切り直前である. 普段は, 日中にこちら(スイス)の仕事をして, 空いた時間や朝夕に日本の研究関係の仕事を進めているのだが, どうしてもこの時期は卒論の添削に時間を割かなければ終わらない. 今はスイスに居て, 日本と時差があるので, 学生さんが日本の夜(例えば21時)帰る前に, 私に卒論のpdfを送る. このときスイスは昼(13時)だ. そこから私が添削を初めて, 深夜(例えば24時)までかけて添削をする. そして, そのコメント付き卒論を学生さんに送る. 日本は朝だ(8時). そして, 学生さんは私のコメントを見て学校に登校した後に修正に取り掛かる. そして夜に私に卒論を送って... というループだ. 卒論は文章だけでも20-30ページ, 図表や参考文献なども含めたら50-70ページにもおよぶ大作だ. 一年間の総仕上げとして, その卒論に想いを込めて書き連ねられたものなので, それを読んでコメントするだけでもこのくらい時間はかかる. このやり取りを1週間以上して, 睡眠不足になりながら, 気力体力ともに限界が近づき, ようやく終わりが見えてきた. 土日(1/19,20)は外にでず, 家に引きこもってようやく, 最後までコメントし終えた. これ以降(締め切りまで)は, 各学生さんが最後の頑張りをみせて提出する. 無事に提出することを祈る.
このような卒論対応をしていることもあり, この時期はいつもよりも早く出勤し, 限られた時間(午前中だけ)を利用して, こちらの仕事や自分の(日本の)研究を進めていた. まだ30代前半なので, こういう生活にも対応できるが, 後10年したらどうなるであろうか... 普段からもっと体力をつけておかなければならない.
入国届を出した3月, 同時に, 出国届の用紙をもらっていたので, 書いて提出の準備をすることにした. 相変わらず, フランス語だからGoogle翻訳に頼りながらになる. それにしてもその書類の書き方がまたスイスらしい. フランス語圏なので, フランス語で書いてあるのは分かる. それ以外に, ドイツ語とイタリア語が併記されていた. 以下のような感じ.
例:(名前の)姓
Nom(フランス語)
Familiennave - Cognome(ドイツ語 - イタリア語)
ここまで多言語で書いてくれるなら, 英語も一緒に書いてくれると助かるのだが....と思うのだが, やはりここはスイス. このフランス語圏では, フランス語>ドイツ語>イタリア語>英語なのだろう. 名前や地名みたいな固有名詞はすぐ書けるが, 性別とか配偶者の有無とかはどう書いたらいいのだろうか?HommeとOuiと書いておいたが, 果たして合っているだろうか?間違っていたらその場でもう一枚書類を書いたら良いか. こちらに来て何かと(悪い意味の)適当になった気がする.
ドラゴン先生が前々から, 「来年, 日本に行くから見学させてくれ」と言っていた. そして, だんだんその話が具体的になってきて, 福岡, 鳥取, 神戸大阪, 東京千葉, 新潟に行くらしい. (もしかしたらまだ増えるかもと...) 「どういうコース(交通手段や順番など)がいいだろう?」と問われたけれど, さてどうしたものか?本当に日本横断するプランみたいだ. ちなみに神戸は私のいる三宮高専, 千葉は二輪先生のところ, 新潟は若竹先生のところで, 他は企業の研究所だそうだ. やはり, かなりアクティブな先生だ.
日本の学生さんたちの卒論をようやく終え(というよりも並行して), やっと届いた回路基板に素子を半田付けして(1/17,18), その回路も順調に動作した(1/21). よしよし, 良い調子だ. 次のステップは(装置と安全面の問題で)一人では実験できないので, 一緒に取り組んでいるニコンに声をかけた(1/22). そしたら, 「ランチの後でいいか?」というので, 待っていたが, 待てど暮らせどニコン来ず. 翌日の今日, ニコンが来て, 「すまねー, この(論文の)査読の締め切りが明後日なんだ」とちょうど今印刷した論文を持って弁解してきた. いや普通, 論文の査読といえば, 依頼されてフルペーパーなら1ヶ月, レターでも2週間が期限なのに, 期限2日前に印刷って... しかし, 締め切りあるものを後回しにはできないので, ひとまず終わるまで待つことになった. その間は, 引き続きそれ以外の仕事をしている....
昨日とは打って変わって, 急にニコンが「今, breakしたから実験しようぜ!!」と声をかけてきた. 論文査読は終わったんかいな?と心配にはなりつつも, 実験が進むのはワクワクする. 時間と設備の関係で簡易な確認(実験)だけだったが, 設計した通りの結果になって二人して満足した.
滞在も残り40数日となり, もうあとわずかだ. 普通(何が普通かはわからないが...)だったら, 帰国準備やら研究室の片付けやら新年度(授業やら)の準備をしなければならないのだが, どうもドタバタしてしまっている. スイスでの仕事はこれからが実験の大詰めだし, 日本の仕事は論文(レター含む)を4本投稿したところなので, 1〜1.5ヶ月後には査読結果が返ってくる(またその時はその対応に追われるだろう). そして, 2週間後にはNottingham訪問が待っている. 終盤にきて怒涛の勢いで, 仕事をこなしているような気がする. ただ, ここで(スイス滞在中に)やっておかないと, 帰国してからは物理的にと時間的にとの意味で出来ないことだらけなので, 何とか踏ん張ってこなしていきたい. いま, 立つ鳥が跡を濁しまくっている.
この一年の滞在のために買ったけれども, 捨てるには勿体無い, かと言って日本に送っても使わないもの. 炊飯器と扇風機(商用電源の電圧が違うし...). 数日前にFacebookのローザンヌ関係のページに引き取り手を探す投稿をした. するとコメントやメッセージが数件があり, 炊飯器の引き取り手が見つかった. やはりスイスに生活する人の炊飯器の需要は多いみたいだ. こちらでは見つからないのかな?あとは受け渡しの日時と場所を相談するだけだ. 半年以上, 私の食生活を支えてくれた炊飯器とお別れだ. 有り難う炊飯器!!
扇風機はまだ引き取り手が見つかっていない. この寒い冬に, 夏を見越して扇風機が欲しいと思ってくれる人はなかなかいないのかもしれない... もし最終的に見つからなかったら, 日本の研究室にでも送ろうかと考えている. 200Vacの誘導性負荷として使えるだろうという算段だ. 分解してモータを取り出して遊んでもいいだろうしね. (※良い子はマネしないように)
若竹先生の研究室には, 卒業生の建木くんが修士課程でお世話になっており, さらに, 夏に三宮高専に来てくれた卒業生の塩屋くんも秋から若竹研究室に配属されている. 今年度卒業する近場くんも来年度から若竹先生のところでお世話になる予定だ. そんな若竹先生が仕事でスイスに来る用事があり, そのついで(なのか?)にLausanneに来ることになった.
来訪されたのは, 若竹先生と木下先生, 若竹研の博士課程学生 高知くん, そして, 昨年5月(20Y8年05月04日を参照)にも来ていた相田さんの4人だ. 高知くんは, Zürichにある姉妹校に研究滞在しているそうだ. (今回のスイス出張は, 多分, 彼の様子見もあったのだろうか?聞いていないので定かではないが..) 研究室に到着後, ドラゴン先生の案内で4人は研究室を見学された. 木下さんが博士課程学生時代にここに滞在していた頃は, ドラゴン先生が研究室立ち上げ段階だったそうなので, 当時と今とではだいぶ雰囲気も変わっているみたいだ. 研究室見学の後, 研究室メンバ向けの講演会をして頂いた.
ミオと同じように(20Y8年11月15日を参照), 今日の午前中にエーシーがCandidacy examを受けていた. 前日にその練習に研究室メンバで付き合ったが, 特に心配なく, パスしたみたいだ. そのため, 今日はエーシー主催の飲み会だ. もしかしたら, これが予定されていたので, 先ほどの若竹先生たちの講演会中も(研究室の)みんなは何かソワソワしていたような気がする. 講演会後, 私は若竹先生に時間をもらって研究打ち合わせをしていたので, 遅れて参戦. いつもなら夜遅くまでここで飲み騒いでいるのだが, 今日は来客(若竹先生たち)とその後にディナーがあるので, 早めに切り上げた.
ドラゴン先生の日本出張の話がだんだんと具体的になってきた. ドラゴン先生が訪問予定の若竹先生と相田さんにも相談されていて, だんだんとプランが固まってきた. その中で, 相田さんの会社(日本, 関西圏内)にドラゴン先生が訪問される際, 私も一緒に行くことになった. 一緒に訪問するのは嬉しい限りだが, 一緒に何か講演して欲しいと言われ, ちょっとたじろいでいる... とある高専教員である私が, (この分野で)世界的に有名なドラゴン先生と併せて講演するなんて, バランスが悪すぎる気がする...
ヨーロッパでは, 日本と靴のサイズの単位が異なる. ボウリングに行った時には調べずに, そこに置いてある靴を履いて丁度いいものを選んだが, 後日予定しているスキーで, ブーツのレンタル予約のため, 自分のサイズ(ヨーロッパ単位)を調べてみた. ただ, 調べたサイトによってサイズ換算が微妙に異なる... 例えば, 男性用で日本の27.5だと, あるサイトには, EU 43 = UK 8.5 = US =9と書いているが, 別のサイトには, EU 45 = UK 9 = US =9.5と記載されている. どっちが正しいんだろうか?それにしても国や地域が異なると, 色々な単位(unit)が異なるので不便である. 専門分野であれば, ある程度SI単位系から逸れることはないし, SI単位系にない単位も同じ分野では同じ単位を使うので困らない. しかし生活する上では, あちこちに異なる単位がある. 例えば, 日本で部屋の広さは四畳半などのように"畳"を使う. しかも日本国内ですら, 地域によって畳のサイズが異なる... 私は計測関係の科目を三宮高専で教えているので, こういう単位(unit)の話は来年度の授業のネタに使おう.
この日は待ちに待った研究室イベント(スキー)の日だ. 私は幼少期から父親にスキーに連れて行ってもらっており, かなりのスキー好きだ(ダジャレではない). 大学時代は夜行バスに乗って一人ででもワンシーズンに何度も滑りに行くほど大好きだった. 就職してからは仕事に追われ, 忙しくて時間を取れず, 全然行くことができなかったが, このスイスでスキーができるなんて嬉しすぎて, 数週間前から喜色満面だった. 脳内では広瀬香美が繰り返し繰り返し聞こえていた.
朝07:30集合なので, 前夜は早めに就寝して, 5:30に起きた. 起きてすぐにメールチェックすると, そこには普段メールの少ない大学のアドレスにいくつものメールやり取りがあった. 時刻は前夜21-23時のやり取り. 21:03ハグリッドからのメール. 風邪が治らず行けそうにない, だから車出せないよ. 21:23ドラゴン先生からのメール. ハグリッドの車が出せないけど, (狭いけれど法定内)ギリギリみんなを乗せて行けそうだ. ただ天気が悪い(天気予報を見る感じ). その後, 天気悪いしやめたら?という意見が数件... 他には前日(1/27)に同じスキー場に行った学生(彼は2日続けて滑る予定だった)が, 途中で天気が悪化して(ゲレンデの)コース半分がクローズドになったとの情報もあった. そして, 23時のドラゴン先生決断のメール. キャンセル確定(+今日のラボミーティングで別日を決めよう)ということだった. 朝になってからこれらのやり取り(メール)を読んで驚愕した.
スキーに行けなかったということでモヤモヤしつつ, 別日はいつだろうというワクワクと, スキーのレンタル(カードで支払済)はどうなるのだろうとドキドキ心配しつつ, (早く起きたので)いつもより早く出勤した. エミにレンタルはどうしたらいいんだろうか?と聞いてみたら, 研究室のみんなの分をまとめて, お店に電話して聞いてくれると言ってくれた. フランス語を使って電話で話せないので助かる. (英語でも自信がない...) 電話を終えたエミが, 「日程が変更になるなら問題ない(キャンセル料なし)みたいだ」と教えてくれた. よかった.
ラボミーティングの議題の一つとして, 次のスキーディを決めることになった. 最有力候補が2/8だと言われた. えっ!? その日, Nottinghamに行ってる日だ... ドラゴン先生にNottingham出張の件を話すと, 「(Nottinghamの)アル先生なら3月に(ここに)来るぞ, わざわざ行かなくても」と言われたが, Nottinham出張はアル先生にお会いしに行くだけでなく, 色々と目的があるので, 行く必要があるのだ. そして, 残念ながら私は断腸の思いで不参加を伝えた.
さて, 問題はスキーのレンタルだ. 再度, エミにお願いしてお店に連絡してもらった. その結果, 選択肢は2つだと. 1つは返金. ただ, カードの手数料がかかるので, 25フラン(約2,800-3,000円)差し引いた額しか返ってこないらしい. もう一つは, レンタル代金分のギフト券(そのお店でしか使えない)に変えてもらうかだ. 後者の方であれば, (2/8に)そこに行くエミ達が代わりに買ってきてくれるという. うーん, どっちもどっちだな... スキーのレンタル代金は51.30フラン(約5,700-5,900円)で, 買えるとしても手袋 or ゴーグル or ヘルメットくらいみたいだ. かと言って25フランも手数料を取られるのは... 考えた末, 代わりに何か買ってきてもらうことにした. 手袋やゴーグルもそろそろ古くなってきたし, 複数あっても困らないだろう. ゴーグル第1希望で, 値段が合わなかったら手袋を第2希望として買ってきてもらうことをエミにお願いした.
最後のお米を炊き終わり, 役目を終えた炊飯器. 1度しか読んでない説明書を見直して, 掃除の仕方を確認して隅々まで綺麗にした. この炊飯器の引渡しはNottingham出張の直後なので, すこし早いが今のうちに片付けることにした. もともと入っていたように箱詰めして, これでお別れだ. あとは, 新しく使ってくれる方のところで頑張って働いてくれ. ご飯が大好きな私を支えててくれた炊飯器, 有り難う.
次週に控えたNottingham出張に向けて, アル先生や(Nottinghamに海外研修(サバティカル)中の)藤木先生などとスケジュールの調整をしていた. さらに先日, 若竹先生と一緒に大学訪問にきた学生 高知くん(現在, Zürichにある姉妹校に研究滞在中)がこのNottingham出張に私と同行したいということになって, 彼のフライトや宿の予約状況ともスケジュールを調整していたりとバタバタしていた.
この出張では, 主目的(大学訪問と研究打ち合わせと講演)以外に, 空いている時間に, イギリス Sheffiled (Nottinghamより電車で1時間ほど北の都市)に住む友人 葉子さんとの再会も目論んでいた. 当初の予定では, Nottingham出張を木曜日から日曜日に設定し, 木曜日と日曜日を移動日, 金曜日をNottingham大学訪問, 研究打ち合わせ, 自分の講演の主目的を予定として固定していたので, 完全にフリーな土曜日にでも葉子さんの住んでいるSheffieldを案内してもらおうかなと思っていたが, どうも土曜日は仕事だそうで都合が合わなかった. そこで葉子さんと会う予定を, Nottingham到着の木曜日の夕方にご飯を食べることにした.
さて, 土曜日が完全にフリーになってしまったので, 何か予定を考えないと...と思って, 藤木先生に何かオススメありますか?と聞いてみたら, 「Nottinghamをご案内しましょうか?」と有り難い申し出を受けた. 午前中は藤木先生のお子さんが通う学校への見学(授業参観みたいのものだろうか?)を藤木先生が予定されていたそうなので, それにご同行させて頂くこととなった. そして午後はNottingham観光の予定だ. その学校への訪問には事前に予約(承諾に近いかな?)が必要だそうで, 所属, 名前, etcを藤木先生に伝えて, その学校への入校準備が整った.
すると, 何と葉子さんから「土曜日に学校に見学へ来るんやね」と驚きの連絡がきた. なんで知っているんや!?と思ったら, どうも葉子さんはその学校で土曜日に働いているらしい. 詳しく聞いてみると中等部を教えているみたいだ. 何とも世間が狭いことだろう. こんな偶然があるとは!ますますNottinghamへ行くのが楽しみになってきた.
大晦日にやろうと計画していたが結局できなかったどん兵衛会だったが, せっかくなので(そのメンバーで)飲みに行こうと浩志くんが誘ってくれた. 前回同様, メンバーは, 私と賢士くんと浩志くんの三人だ. 1軒目は浩志くんが目星をつけていたイタリアンのレストランで食事をし, 2軒目は私の自宅で宅飲みをすることとなった. それぞれが他分野の研究に従事しているが, やはり共通することは多く, 0時過ぎまで楽しい時間を過ごした. 勉強の仕方, 投稿論文, 白ワイン, 就職(転職), 研究室の雰囲気, スイスと日本の違いなど話題は尽きることなく, 時間の許す限り語り尽くした夜であった.
午後, 急に外で大きなサイレンが鳴り響いた. 一体なんのことだろうか?慌てて調べてみるとスイスの緊急事態に鳴らされる警報みたいだ. (リンク) このサイレン(警報)は二種類あり,
一般警報
一つは音が上がったり下がったりする. 鳴るのは1分間, その後5分間繰り返される. このサイレンは人々に危険を知らせるもの.
洪水警報
洪水などが起こる可能性がある地域で発せられる. 10秒間隔で低い音が20秒間続く.
である.
私が聞いたサイレンは, 種類からして一般警報の方だが, 果たして何があったのだろうか?さらに別のサイトを調べてみると, (リンク) どうやら, 毎年二月の第一水曜日に訓練用のサイレンが鳴るということがわかった. 確かに今日は二月第一水曜日だ. ただの訓練であって良かったと思うとともに, この知識を知らないといざという時に逃げ遅れてしまうと恐ろしく感じた.
いつものコインランドリーに行くとそこには日焼けマシーン(?)が置いてあった. なぜこんなところに日焼けマシーンが??以前はウェディングドレスを干していたことに驚いたが, でもまだ洗濯して干すということでコインランドリーっぽいことなのかなと思ったが, 日焼けマシーンはさすがに理解できない.
思えば, この1年間の海外研修(サバティカル)に行こうと思ったきっかけは, 7年前のNottingham滞在(20Y2年01〜02月を参照)だった. 当時は英語も拙く(今でもだが...), 半ば師匠先生に行ってこい!!と無理やり背中を押されて行ったNottingham. その短い(たった2ヶ月弱)ながらも濃い時間を過ごし, 修行したこの地に再び帰って来る日が訪れるとは. 何とも感慨深いものである.
Genève空港の出国審査ではパスポートだけでなく, 滞在許可証も出せと言われる. すでに3ヶ月以上の滞在があるからだろうか?次からは必ずセット(パスポートと滞在許可証)で出すようにと指摘された. これからはキチンとセットで出そう. Birminghamに着くと入国審査があった. 多くのヨーロッパ圏の国はシェンゲン協定に加盟しているので, その国同士での入国や出国に審査はないが, UKは加盟していないので入国審査があるのだ. 7年前と大きく変わったことは入国カード(という名前が正しいかは不明であるが)というものを書かなければならず, (UK滞在中は)どこに住むのか?職業は?などのことまで記載しなければならなかった. 入国審査では, (教員と書いていたから)何を専門にしているのか?UKではどの大学に行くのか?などを聞かれ, 「フランスに住んでいるの?」「いいえ, スイスです」や「UKははじめてですか?」「いいえ, 2回目です」と言った中学英語のやり取りみたいな会話を済ませて無事に入国できた. もしかしたら, 適当にYesYes言う日本人が多いから, あえてNoの質問をしたのではないかと思うくらい, Noと答えることが多かった気がする...
時間通りには来ない(UKでは時間通りに走らないことは日常茶飯事)電車(ディーゼル車だから汽車?)に乗ってNottinghamに到着. 懐かしのNottingham. 駅の建物自体はそのままだったが, 中は改装されていて綺麗になっていた. 街に出ると7年前は(中心部しか走っていなかった)トラム(とその線路)が増設されていたり, 街中があちこちと工事していた. あとで聞いたがNottingham城も工事していて今は見学できないみたいだった.
出張前は, UKやし英語だけやから, (フランス語圏の)スイスに比べて楽勝やろう!!と高を括っていたのに, ネイティブの英語速度が速過ぎて, たびたび聞き直さないと分からないことが多かった. やはり英語能力を鍛えるには英語圏に居ないといけないだろう. 英語がネイティブでないスイスではみんなゆっくりと英語を話していたのだ. 思い返せば, この滞在中の出張やお出掛けはスイス, フランス, ドイツしか行っていなかったな...
このUK(Nottingham)出張では次の目的があった.
主目的
・博士時代にお世話になったアル先生に会う(自分の研究紹介とディスカッションをアル先生とその学生さんにして, Nottinghamの研究室を見学させて頂く)
・藤木先生との共同研究スタートに向けての打ち合わせをする
副目的
・イギリスの教育事情と日本人滞在者の子供達の教育について知る
・若竹研学生さん(高知くん)を先生に紹介する(人の縁を繋げる)
・懐かしの地や旧友と再会する
・エールを嗜む
このUK出張では, 想定以上の経験をさせてもらい, 幅広く知見が広がったと感じた.
成果(自己評価)
・紹介した研究内容(1つのテーマ)に興味を持ってもらえた(いつも発表している国内の学会では見向きもされないので, やはり英語で書いて国外の学会やジャーナルに出すのが向いているなと感じた(再認識した))
・アル先生やその学生さんから新しい目線での鋭い指摘やアドバイスが得られた(まさかそう言うところを気にするのか!という発見など)
・実験環境や先生達が取り組んでいる研究対象やアプローチが勉強になった
・(藤木先生の)機械工学の分野の一部を学んだ
・共同研究で, はじめの実験予定(ざっくりの日程と内容と場所)を確定した
・年単位で滞在する日本人の小・中学生のお子さんの教育事情とその大変さを知った
・毎晩エールを嗜んだ
このUK出張は自分にとって, 非常に有意義な時間であった. まだまだ書ききれないけれど, 本当に充実した出張だった. そして, 色々な方にお世話になった.
ただ, この出張で, この一年で最大のトラブルに見舞われた. 何と, 一年間相棒として共に過ごしてきたPCが故障してしまったのだ. UK出張前にそんな予兆は無く, アル先生達の前でプレゼンするときに, キーボードトラブル(打ったキーと入力される文字が異なったり, 2つ出たり, 全く反応しなかったり...)があり, 一回は復旧したかに思われたPCだったが, その後, さらに悪化し, 毎晩遅くまで復旧作業を試みたが, 最終的には復旧不可能になってしまった. 日本に帰国したら新しいPCを買わないといけないな… いまはスマホ代わりに使っているiPod touchを駆使している. そして残りの滞在に大きな影響がでることだろう....
出国届 2
Nottingham滞在中にスイス出国の一ヶ月前を迎えたので, スイス帰国翌日に出国届を提出しにいく. 場所は入国届を出した場所と同じ建物で, 家の近所だ. てっきり9時からの受付だと思ったら8時からだったみたいで, すでに受け付けの近くには人が並んでいた. 番号札を受け取り待っていると, すぐに呼ばれて, 窓口で出国届を提出しに行った. 幸い, 英語ができるお姉さんだったから何とか助かった. (これで入国届のときみたいに無愛想でフランス語しか話せないオッサンでなくて良かった...) ものの5分とかからずに手続きは終了. 結局, 必要だったものはパスポート, 滞在許可証, 出国届だけだった. (念のため, 帰国の航空券のEチケットを持っていた.) 提出した出国届にハンコとサインをされ, その場でスキャンして原本は返却された. おそらくこの原本が出国届を提出したという証明書になるのだろう.
ASSURA 健康保険 3
出国届の証明書を受け取ったので, 以前(証明書が無いからということで)解約を断られたASSURAの健康保険にスキャンした証明書を送ることにした. フランス語は話せないので, 電話ではなく, (解約不備の連絡を)受け取った宛先にメールを送った. 問題はメール本文だ. Google翻訳に日本語を打ち込みフランス語にしたこんな文章でメールを送ってみた.
Monsieur,
Je quitterai la Suisse le 7 mars.
Je joins un certificat d'avis de départ.
Avec nos meilleures salutations.
果たして, 伝わるだろうか?そして無事に解約できるだろうか?
メールを送った数分後にASSURAからメールが届いた. 何か不備でもあっただろうか?と心配になったが, 単なる自動返信メールだった. 相変わらず, そのメール文もフランス語, ドイツ語, イタリア語の三言語で併記されていた. 英語で書いてほしい...
CAMIPROカードの返却 1
大学のIDとして使っているCAMIPROカード. このカードにはプリペイド機能もあり, 現金をチャージして学食やカフェで使用している. ただ, 支払いは充分なチャージが無いと使えないので, このカードと現金の併用支払いはできない(どちらか一方でしかできない). そのため, 残っているチャージをきっちり0.00スイスフランになるように使わなければ...と思っていた. そしてそれをオンジに相談してみると, 「そんなことしなくても大丈夫, そこ(大学のアプリ)にSendってところがあるやろ?それで人にお金を送れるねん」とのことだ. なるほど, 最後に誰か知り合い(研究室のメンバ)にお金をカード間で送って, 個人同士で現金のやり取りをすればOKだとのことだった. 以前, 3ヶ月滞在していたクリスもそうやって最後のチャージを処理したそうだ.
賃貸 1
賃貸の解約のため, チズさんに出国届の証明書をメールで送った. これであとは退去前の使用状況チェックと退去直前の立ち会い, 一時金の返金くらいが必要なタスクになった. 退去前の使用状況チェックはチズさんと相談して数日後に設定してもらった.
ついに炊飯器を引き渡す日がやってきた. 引き取り手の方とFacebookで連絡を取り合って, 待ち合わせをする. 車で来ているみたいだが, この辺りはどこも駐車場がいつもいっぱいでなかなか駐車場が見つからない模様だ. 30分かけてようやくお会いできて炊飯器を引き渡した. 「本当にCHF50だけでいいんですか?」と言われたので, もう少し高くても良かったのかもしれない. 実際, 炊飯器がほしいという方が多かった. また軽く世間話をしたが, 日本人同士でも私が学生に間違えられた. んーまだ見た目は若いってことだろうか???おなか周りには貫禄がついてきたが, 見た目にはまだまだ社会人に見えないのだろう. オーラが無い.
段ボールゲットだぜ!!
日本に荷物を送るために段ボールが必要だ. 朝から(炊飯器引き渡し前に)Migrosに行って, 適度なサイズの段ボールを探すが意外と見つからない...どれも小さいサイズばかりで大きめのものがない. 日本だったらホームセンターにでも行けば段ボールは売っているが, こちらではスーパーなどに探しに行くしか無い. 一応, 郵便局でも郵送用に段ボールは売っているが, 小包くらいの大きさだ. 郵送のコストはかかってしまうが 小さめでも数で何とか荷物をまとめることにしよう. 今回の自宅宛の荷物は着なくなった厚めの服と子供用の絵本(お土産)とワイン4本だ. ほぼワインが段ボールを閉めているので, ワインを送るついでに荷物を送るという目的が逆転したような状態になってしまった. 案の定, ワインが4本もあるもんだから10kgを越えて, 送料はCHF123(economy)もかかってしまった.
携帯電話の解約 1
携帯電話を解約するためにLausanne駅近くのSaltショップに行った. 去年の3月に契約した際に, 「解約は電話でできよー」と陽気な店員さんが言っていたが, 電話での対応は自信が無いので直接店に来たのだ. 平日の昼だったので待っているお客は少なく, すぐに自分の番が回ってきた. 幸い英語が話せる店員さんだったので, 帰国するから解約したいと伝えたが, どうやら店では対応していないとのことだった. 渡された名刺サイズのカードに書かれている電話番号に電話して解約手続きしてくれとのことだった. 結局電話か... 「Emailとかないの?」と聞いてみたが, 「この番号だけだ. それかこのアドレス(住所)に郵送するかのどっちかだ」と言われた. 郵送だとそもそもちゃんと届いたのか?いつ対応が終わるのかなど分からないし, 英語で電話することに自信がないが, 電話しかないなと思った.
過去に英語で電話したことは2度しかなく, どちらもまともに話すまでに諦めた. 1度目は中学生の頃, 海外出張中の父親に(泊まっているホテルへ)電話したがそこに繋がるまでのやり取りが出来ず途中で諦めて切った. (代わりに母親がかけてくれた.) 2度目はNottinghamのときだが公衆電話の音が悪く言っていることが聞き取れないうちに時間(コイン)がなくなり断念した. そんな過去のことを思い出したが, もう一年も英語で毎日会話しているし, 何とかなるだろうと思って, 英語で電話をすることを決意した!!(というくらい力を入れていた.) 電話をかけると, 「Bonjour, *******」とフランス語の機械音声が流れてきた... そうだよ, ここはフランス語圏のスイスだ. 始めから英語対応してくれる訳ではない... 結局, 研究室に居たエミにお願いして, 電話をかけてもらった. すると, エミが「英語対応のオペーレータに繋いだよ」と電話を返してくれた. 日本と同様に, メロディが流れ続け, ときたま「しばらくお待ち下さい」のような機械音声が繰り返されていた. 手があいたオペーレータに繋がるまでは, 日本でもこんなもんだろう. ただ, 長い!!長過ぎる!! 5分経っても繋がらない. エミに「スイスではこんなもんなのか?」と聞くと, 「んー会社によるよ」だそうだ. 10分待って, ようやく英語が話せるオペーレータに繋がった. 出国するから解約したいということを伝え, 出国届証明書もあることを言った. ここまでは順調だった. しかし, 住所や連絡先, 名前を伝えるがどうもうまく伝わらない. 私の英語が悪いせいなのか, オペーレータは面倒くさそうに「一体, 何の言語が話せるんだ?」とキレ気味に言われた. 私は私で「いや日本語やし, それ以外だったら英語だけだ」とか言ってしまって, どっちもどっちだ. 結局, 出国届証明書のコピーが必要だから郵送で送ってくれということになった. それだったら, はじめからこの電話対応の意味がなかったのでは...??ちゃんと解約が出来て, 保証金CHF200が返ってくるかどうか心配だ.
翌日, 出国届証明書のコピーと契約書のコピー, それに送付状(解約したい理由や添付している書類の一覧)をつけて, 郵送した.
賃貸の最終立ち会い前に, トレッソンヌのチズさんに来訪してもらい, 今後のスケジュール, クリーンアップ(掃除の内容), 返金手続き, (賃貸関係の)鍵の受け渡し, 最終立ち会い日の調整, 部屋の簡単なチェック(立ち会い), 残ってしまう荷物の処理方法等を相談した. 賃貸契約にはトレッソンヌさんを介しているので, 仲介手数料は発生しているが, 不動産屋さんや管理人さん(それぞれがバラバラだから厄介で難しい...)との直接交渉や契約などをフランス語でする難しさと手間を考えたら, トレッソンヌさんにサポートしてもらって本当に助かった. 何度も言うがそれ相応のコストはかかっているが, それは仕方が無いと割り切っている. スイスでの生活では物価が高いこともあり, どうしても節約しなければ経済的に厳しいが, このようなサポートのコストはケチって自分一人でトラブルを抱えてしまうことに比べたらマシだと思う. (別にトレッソンヌさんの宣伝ではないが, 思ったことを書いただけだ.)
どの分野の研究室でも週に一回(or 2週間に一回)程度はミーティングがあったりして, そのときに, 各自(主に学生さん)の発表もあったりする. 内容は, 自分の研究進捗状況やトラブル, これ(買って)欲しい!というお願い, この論文読んで面白かったから紹介する, などなど多種多様である. 日本で研究室運営をしている際には, 全学生が順番に当たるように週毎に担当を決めて, それぞれが先ほど言った内容の話をみんなの前で発表する. (残念ながら, みなさん自分の進捗だけしか発表しないので, もっと色んな話をしてほしいところだが...). 大抵, 学生さんにとって, この発表は準備が大変なので, 半ば"順番"という強制力が働くことでやっと発表するというのが, どこの研究室でも現状であろう. 実際, 私も自分が学生のときはそうであった.
一方, 現在所属するドラゴン先生の研究室では, この週一回のミーティング時の発表は立候補制である. 時間も限られているので週一回のミーティングで1名だけしか発表できない. 「俺が次に発表したい!」, 「今度試験があるから練習がてら俺に発表させてくれ」, 「面白い結果が出たから発表したい」, 「新しい研究ネタを(話すからみんなで)吟味したい」などなど, みんなミーティングでの発表権利を自ら主張して獲得している. 非常にアクティブな雰囲気だ. (もちろん雇用の関係もあるので, 結果を出したり, またそれを知らしめる必要があるということも日本の研究室とは異なる環境ではあるが.)
このような雰囲気なので, ほぼ一年滞在していたにも関わらず, 私はまだ自分の発表をしていなかった. ちょうど先週のミーティング時に「次は誰がする?」ってことになったとき, たまたま誰も立候補が無かったので, 立候補してみた. そのため特に誰からも異論なく私の発表が決まった.
そして, 今日は私の発表だ. 前半は今更ながらの自己紹介と"KOSEN"という日本独自の教育システム, さらに私の研究テーマ全般の紹介をした. 後半は先日のミーティング(20Y8年12月06日を参照)でも報告した掲載が決定した論文の詳細について発表した. 前半の"KOSEN"についても色々と興味を持たれたので, 「どう進学するのがベターなんだ?」とか「一年しか研究しなくてどうやって成果を出すのだ?」とか色々と気になるところを聞かれた. また後半のメインの研究テーマについても, なかなか鋭い質問が多く, (私が話した)内容を良く理解してもらえた上での濃いディスカッションができて嬉しかった. Nottinghamでの発表でもそうだったが, やはり自分の研究テーマを聞いてもらって, 色々と意見やコメントをもらえるのは非常に刺激的で新しい観点も得られて有意義である. このスタイルがあるので, 研究室での発表は立候補制でも充分にみんな自分から発表を申し出るのであろう.
一番最後に, 私の帰国の話(いつのフライトか?研究室にはいつまで来れるのか?)になり, 「Masataka, Farewell party(送別会)の日程を決めてくれ, サテライト(学内のバー)でbeer harvesting(*)だ!」と, そのまま自分主催の送別会の日程まで確定した.
(*)私の研究テーマをご存知の方はドラゴン先生が言ったネタが分かってくれるだろう.
1月中旬にやっと再開することができた, こちらの研究が帰国間際になって, 好調に進んでいる. ニコンと二人で実験して, ちゃんと設計した通りの動作も確認できたし, (専門の内容だが)スイッチングの波形もかなり綺麗である. 好調な結果にテンションの上がったニコンは「Hey, Masataka, 来週はこのネタでミーティングで発表するかい?」などと軽口をたたいている. まあ実際に結構いい感じなので, 来週発表することもやぶさかではないが, すでに「発表したい!」って言っている学生さんもいるので遠慮しておくことにした. 今日やろうと言っていた実験を終えて片付けモードの中, たまたまドラゴン先生が実験室を見回っていた. ニコンと私は即興で今の実験状況を説明して, その場でディスカッションとなった. 普段は資料等をまとめて, 何を(英語で)言うかを事前に考えてから(ドラゴン先生と)ディスカッションするが, 今回は急なことであったが, そこそこちゃんと話せた(これは英語の成長か?)と思う. 一通り立ち話でのディスカッションを終えて, ドラゴン先生は「そろそろClass(授業)に戻るよ」と言って, 行ってしまった. え?いま授業中やったの??(確かに普段来てないジャケットも着てるし...) たぶん演習か何かの途中だったんだろうけれど, ふらーと自分の研究室に戻ってくるなんて... 何て自由なんだ!! (羨ましい)
私は関与していないが, いま私が住んでいる部屋を次に使う人の募集を, トレッソンヌ チズさんと不動産屋さんとが(両者別々に)それぞれ動いている. トレッソンヌ チズさんから連絡があり, 部屋の見学希望者がいるみたいだから, 部屋の鍵を管理人さんに預かってもらってくれと連絡を受けた. まだ見学日は決まっていないが, 決まったら管理人さんから電話で連絡するとのことだった. いや, 管理人さんはフランス語しか話せないのでは??と不安に思ったが仕方が無い. 早速, 管理人さんに部屋の鍵を渡しておいた.
携帯電話会社Saltからメール(添付ファイル付きで)が来た. 解約にともなう一時金の返金フォーム(同社のウェブサイト)に行って, 必要事項を入力して, その添付ファイルに書いたものを送るようにとのことだった. いやいや, すでに銀行口座を手紙に書いて指定しているやろう!!また書くのか... しかもそのファイルがドイツ語やし... 仕方なく, そのファイルに銀行口座の情報等を書き込んだが, これでいいのか?確認のため大学近くにあるSaltショップに向かって聞いてみた.
携帯を解約したくて, これまでした手続きを説明して今日このメールが届いたんやけど, これで合ってますか?みたいなことを伝えた. すると店員さんは電話番号から私のアカウント情報を見てくれた. その情報には直近数ヶ月(9月から現在まで)の支払い状況が記載されていた. 奇妙に思っていたことが今分かった. 9月から1月までの支払いが一時金で支払われており, 1月分の支払いの余りが2月上旬に請求されていた. 確かに, それまでは支払い請求のメールにもこの期間はCHF0.00って書いていたような気がする(これがこれまで奇妙に思っていたこと). そして店員さんに「いま(DebitとCreditの)BalanceがCHF0.00になっているから受け取るお金ないよ, それにちゃんと3/23付けで解約になってるよ」と言われた. ちゃんと解約手続きがされていて良かった. 「もう何もしなくていいのか?」と尋ねて大丈夫だと言われたので, 一安心. やっとこれで終わりかな?
Saltショップを後にしてから, ふと気になった. 2月分(2/11-3/10)の支払いはどうなるのだろうか?いつもなら次の月の11日にメールで支払い請求が来るが, もうそのときには帰国していて, 支払えないぞ?これはまたSaltショップに行って聞く必要がありそうだ... なかなか帰る手続きだけでも一苦労だ...
3月に行く学会(札幌とアナハイム)の出張関係の書類を以前から書きかけていたが, PC故障により全て飛んでしまったので, また一から書き直している. どちらも三宮高専からは1円も出張旅費を出してくれないのに, 何でこんなに書かないといけないのだろう... おまけに海外研修(サバティカル)の途中に行く出張なので, その理由書とやらも色々と書かなければならず, 本当に面倒くさい. そんな愚痴を言っていると, 妻には「秘書さんでも雇ったら?」と冗談を言われたが, そんな予算はない. (そこまでの予算があったら装置買ったり, 学生さんの出張旅費にあてたりしている...) そんなことをグチグチ良いながら粛々と書類を埋めている...
出勤時に, 大学最寄りmétroの高架下で(おそらく)学生さん同士の交通事故直後に遭遇した. 自転車とキックボード. どちらも高架下に向かう際に下り坂でスピードが出たのであろう. パッと見では外傷がなさそうだが, 女子学生の方は仰向けに寝転んだまま苦しそうにしていた... すぐに学内の救急隊が駆けつけて, 二人を搬送していった. 最近は試験が終わって新しいセメスター(学期?)に入ったところなので, 学内には学生がたくさん居るので気をつけなければ... 交通事故も決して他人事ではないので, 帰国まで安全に暮らしていきたい.
最近, 日本への帰り支度をしているので調味料がどんどんなくなり(買い足さないので), 質素な食事になってきた. そこで, 先日(20Y9年02月05日を参照)一緒に飲みに行った賢士くんと浩志くんに声をかけて, 中華を食べにいくことにした. (LINEのグループに「中華が食べたい!」って送ったことが今日の飲み会のきっかけ). Lausanne中心部にはいくつか中華のお店があり, 年末にはFacebookのローザンヌ日本人研究者の会で忘年会した(20Y8年12月13日を参照)場所もある. 色々調べて, Riponne広場の近くにあるChez Xuという中華屋さんに行った. ここは年末に忘年会したお店の系列店で, 駅前のところよりこちらの方が美味しいと評判のところだ. とはいえ, どちらも美味しかったのでそんなに差は感じなかった. 三人でいつものようにワイワイと楽しんで, 久し振りの中華に舌鼓を打った. 二件目は前回同様, 私の家で宅飲みをして, 深夜まで盛り上がった. そのとき賢士くんから, この滞在記の話題になり, 帰国関係の手続き等についてはあまり他のサイトで見かけないから, ぜひ書いてほしいと要望があった. 特に, 出国届についてはほとんど情報がないみたいだ. 確かに私も自分が提出する前に調べたが, (日本語では)全くと言っていいほど情報がない. そういうわけなので, 自分の手続きの経験を覚えている範囲で書き残していこう.
リクエストにお応えして, 出国届について覚えていることを書いておくことにする. 提出のことは20Y9年02月11日にすでに書いているので, そちらを参照してもらえればと思う. もちろん, 自身の状況(独身なのか家族が居るのか, 学生なのか社会人なのか)やCanton(州), さらには対応する窓口の人によっても異なることもある. 万が一, 本サイトに記載された情報に伴うトラブルが発生した場合, 本サイト管理者は一切の責任を負いませんので, 悪しからず. あくまで私の経験した一例として書き残すことにする.
Contrôle des habitants(直訳すると住民管理局, 日本で言う市役所みたいな感じ)では, 入国や出国の際には入国届や出国届を提出するところであり, 滞在許可証の申請もここで行なった. また, 聞くところによるとスイス内の引っ越しにもその届けが必要である. 日本で言うところの住民票を管理している市役所と言ったところだ. Contrôle des habitantsで1階(日本で言う2階)にpermit Bの人向けの受付があり, その手前には入国届, 出国届, その他諸々の書類が置いてある. 出国届は以下の写真のようなDEPARTと書いた黄色い紙である.
大きく分けて, 左上「Époux ou personne seule(夫または独身者)」, 右上「Épouse(妻)」, 真ん中「(出国に含まれる子供など)」,その表の下「(住所等)」, の4つである. 私は既婚者で妻も娘も居るが, この出国には関係ないので, 右上「Épouse(妻)」, 真ん中「(出国に含まれる子供など)」は空白のままにした. 左上には自分の名前, 生年月日, 性別, 国, 配偶者の有無(ここは空白にした)を書く. 性別は何と書くのが正しいのか分からない. フランス語で男性は, Hommeであるが, 記入する場所のスペースを考えて, Mと書いた. 英語だけど大丈夫か?と心配であったが, 手元にある滞在許可証の裏面にMと書いているので, 多分大丈夫であろう. 国はJapon(フランス語)で記載した. これも滞在許可証の裏面に書いてあったので同じように書いた. 次に, 真ん中下である. Adresse actuelle(現住所)はスイスの現住所を記載し, Date de départには出国日を書いた. この出国日の一ヶ月前から受け付けてくれるみたいだ. Nouvelle adresse compléte(新しいアドレス)は日本の住所を書いたらOK. 最後にその下に提出日と署名(サイン)をして提出する. 受付では, 一緒にパスポート, 滞在許可証の確認が求められ, 確認が済んだら, 出国届のサインの右となりにContrôle des habitantsのハンコが押され, 担当者のサインをする. そして, それを担当者がスキャンして, 原本は手元に返ってくる. この書類が出国届を提出した証明書になるので, コピーやスキャンをして色々な契約(携帯, 保険, 銀行口座, 賃貸, etc)の解約に必要になってくる. この出国届の提出とその証明書が, 出国手続きの大きな第一歩と言えよう.
ASSURA(健康保険)から書類が届いていた. いつも通りGoogle翻訳でフランス語を読んでいると, (ざっくり訳すと)「Contrôle des habitantsの書類にしたがい, 出国日を期限に解約しました」との通知であった. ただそれにしては文章が長かったので, 一応全部訳してみると, どうやら出発日の変更があった場合やその他諸々の注意事項(警告に近い?)が書いていた. 特に問題なさそうなので無事にようやく保険の解約が完了した.
先日会ったところだが, Nottinghamのアル先生がドラゴン先生のところに来訪された. メインの目的は, 大学の講義で, いわゆるリレー講義形式で毎週外部の先生が来訪されて講演するというものらしい. そして, それぞれ招聘してくる先生を担当する先生(Host professor)がいるみたいだ. もちろんアル先生のホストはドラゴン先生だ. アル先生の1時間の講演が終わり, その後の活発な質疑は次から次へと挙手があり止まらなかった. 残念ながらドラゴン先生は次に講義が入っていたらしく, 質疑を途中で終わらせて後は個別にどうぞというスタイルだった.
夕方, アル先生とのディナーに混ぜてもらうことになっていたので, ドラゴン先生の車で向かうことにした. アル先生は現地集合みたいなので, ドラゴン先生の車の助手席に乗ろうとしたら, 「I'm a driver」と笑いながらドラゴン先生に指摘された. そうか, 忘れていた. スイスは(というかヨーロッパは)右側通行の左ハンドルだった. スイスに居ているときにほとんど車に乗る機会がなく, 最後に乗ったのはNottinghamでアル先生の車だった. UKと日本は左側通行の右ハンドルなので, 無意識に助手席の方向は合っていた. しかしスイスは逆だった. 運転席の方に乗り込もうとしてしまった...
レストランに着いて, てっきり私は, アル先生含めて3人だと思ったら, 5人の予約席だった. 誰が一緒に来るのだろう?するとアル先生は, 一緒によく見かけるおじいちゃん先生と若手研究者がやってきた. あとで調べたら(同じ分野の)名誉教授だったので, ドラゴン先生の前任者だったのかもしれない. 若手研究者はその名誉教授のところで博士を取った企業研究者だった. アル先生が, 「(彼らと)どこで初めて会って意気投合したと思う?北九州やで!!そのあと, 三人で阿蘇山までボルケーノ(Volcano; 火山)を見に行って, 温泉(多分, 別府かな?)に行ってきたわ.」と楽しげに話してくれた. どうやら3人とも日本が好きらしい. それは良かった. それにしても学会の合間にアクティブなことだ. weekendの2日間を使ったそうだ. その後も話題は尽きること無く, 学会や博士学生の話, 教員ポストや各国(の大学)の研究事情やら, 延々と話し続けた夜だった.
Zurichに滞在している若竹研の高知くんがLausanneにやってきた. 彼はあと残り3ヶ月スイスに滞在予定なので, 私が使わなくなった物をあげようということで来てもらった. せっかく来てもらったのでLausanneを少し案内しつつ, お昼を取ることにした. 私もそうだが, 一人で滞在していると物価の高いスイスでわざわざレストランに行くことは皆無なので, 高知くんのリクエストはスイスっぽいものということで, チーズフォンデュのお店に行った. やはり本場のチーズフォンデュ. 美味しくてずっと食べていられると二人で話しながら最後まで(鍋のチーズがなくなるまで)食べ続けた. 昼食後に軽くLausanne旧市街地を歩き, 私の家で色々と引き取ってもらい, 高知くんはZurichに帰っていった. 次に会うのは国際会議のGenovaだろう. ちなみに私の研究室の卒業生 塩屋くんを直属で見てくれているのが, 高知くんだそうで, 卒業生の活躍も聞けて嬉しかった.
先日, トレッソンヌ チズさんと相談して決めた最終立ち会いの日. 18時と言っていたので, 約束の時間まで家でゆっくりしていたら, 17:30に部屋のベルが鳴った. あれ?前はチズさんマンションの外にいたような気がするのだが... どうやら同じマンション内の別契約の部屋に用事がありそのまま来たいうことらしい. (というか早過ぎ...) 大したチェックはなく, 最後の手続き確認とサイン, 鍵の受け渡しだけして10分前後で終わった.
この滞在記中でも何度か紹介したように、自分主役の会(誕生日や送別会や試験打ち上げ)は自分が主催するという文化がある。毎週月曜日はWeekly meetingがあるので、みんな研究室に居るだろうと踏んで、この日に自分の送別会を設定した。ただ、一緒にプロジェクトに取り組んできたニコンは、先週から早めのバケーションでいなかったのでちょっと残念。いつも通り、学内のバーに17時過ぎからボチボチ集まり、18時には授業終わりのドラゴン先生も合流した。こちらの文化では珍しいことだが、ドラゴン先生から私宛にプレゼントを送ってくれた。中身は大学のロゴの入ったTシャツとパーカーだった。ちょうど欲しかったのでとても嬉しい。そして、ひたすらビールを浴びるように飲み、だんだん帰る人もパラパラでだして、気付けばいつものように、セルビアン達だけ+私のメンバが残っていた。ほぼ初対面(以前同じバーで会った程度)のセルビア人からは「そろそろセルビア語を覚えたかー?」とか言われたが、英語で精一杯。。。言語も分からずに楽しく飲み続けた。
最後の晩餐は家の近所のレストランで取ろうと思っていたので, ...
ついにLausanneを出て, スイスを離れる日が....
最終更新日 2019年03月29日