本ページは, スイスに旅立つまでの経緯や準備について書いたページである.
何度も書いておくが, あくまで私自身の経験を参考にしているものの, 本ページの内容は全てフィクションである. 大きな誇張表現や不正確または不適切な情報が含まれており, 登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものであることに注意して頂きたい.
Facebookでウィッキーから連絡が来た. ウィッキーはイギリス ノッティンガム大学時代の友達だ. どうやらウィッキーが日本(ガンオタ先生のところ)に来るということで, セミナー合宿をするらしい. 「近いだろ?来いよ!」みたいな感じだった. 確かにイギリスから比べたら神戸-福岡は近いかもしれない. これも良いきっかけだろう. ガンオタ先生に詳細を教えてもらって, 福岡に行くことにした. 福岡でガンオタ先生と再会し, 色んな話をした. その中でも海外研修(サバティカル)について相談する. ガンオタ先生の所属する大学では, サバティカル制度がかなりしっかりして, 利用する先生も大勢いるらしい. 1年のような長期のものから数ヶ月や1ヶ月といった短期のものまであるという. ガンオタ先生に, 科研費(科学研究費補助金)があるときに行った方が良いとアドバイスを受ける. 科研費とは, 文部科学省や日本学術振興会が日本の研究者または研究グループに研究費を提供している予算のことである. この予算を獲得するには, 申請書を提出して採択されて初めて支給される. ちょうど, 私は20Y6年度~20Y8年度の3年間, 研究費を頂いているので, 20Y8年度の最終年度に併せて海外研修(サバティカル)に行くことがやはり良さそうだと思う.
学内で20Y8年度からの三年以内に海外研修(サバティカル)を希望する方は, 学科で候補を出すように連絡が全教員にあった. 学科内で私の次に若手の雷神先生に聞いてみたら, 行く希望はないとのことだった. さらに他にも学科内で希望がなかったので, 私が候補として選ばれた. 所属する電気工学科でこの制度を利用した先生が結構前(私の着任よりも前)になるので, 私が学内で選ばれる可能性は十分にあると思った. もし他の候補者とかち合っても, 次選くらいにはなるかなと高をくくっていた.
私生活では, この日に区役所に婚姻届けを提出し, 晴れて妻と夫婦になった. 独身時代から, 数年後に海外研修(サバティカル)に行きたいと思っていると妻には話していたので, 付き合っていた頃から, もし結婚したら海外までついてきてくれ, と話していた. 第0.5章でも述べたように, 私個人としては海外での生活などはしたくない. 一方, 妻は私と違い, 海外に行くことに抵抗はなく, 自身の海外経験もあるので, 非常に頼もしい存在である. 4月に引っ越しを終え, 新生活をスタートした. そして, かなり早いタイミング(6月)で妻が妊娠したことが分かった. 私たちは新しい命を授かった. そして, 予定日が20Y8年1月21日と分かった. さて, 子供が生まれた後, 海外どうするか?妻に聞いてみたら, 子供も一緒に連れて行くと即答. さすが. やはり心強い妻であった.
研究打ち合わせの都合で, オレンジ先生に会う機会があり, 海外研修(サバティカル)について伺う. オレンジ先生は左京大学時代の研究室の先生で, 当時1年間オランダに海外研修(サバティカル)に行っていた経験がある. そこで, 海外滞在研究の助成制度を利用した方が良いとアドバイスを頂く. しかしまだ, 学内で選ばれたわけでもなく, そのため行き先もまだ決めていない. 当然, 受け入れ許可書(招聘状)も受け取っていない. どの助成制度の申請にも, 受け入れ許可書(招聘状)やそれに相当する事前の打ち合わせ実績(メールのやり取りなど)を提出する必要がある. 出遅れた... たいていは海外研修(サバティカル)に行く1年前くらいから学内で決定し, 先方と連絡を取り合う.しかし現状では学内の決定すらまだの状態であった. 結局, 受け入れ許可書(招聘状)などの準備が間に合わなかったこともあり, 申請しようと思っていた助成制度の締め切りはどんどん過ぎていく...
さすがにそろそろ行き先を決めなくてはいけないと焦り始める. 学内で海外研修(サバティカル)の取り纏めをしている副校長には学科から候補者を提出した1月から半年経ち, いつ選抜されるのか, 早くして決めてほしいとお願いしているが, 一向に話が進まない. オレンジ先生にアドバイス頂いた助成制度にも応募できずに, どんどん数ある助成制度の締め切りが過ぎる. もう先に受け入れてもらえるところを探して, 話を進めた方がいいのでは?そう思い始めた.
海外の研究室に訪問する場合, 短期や長期に関わらず, 知り合いの先生にお願いする or 見ず知らずの先生にお願いする の2通りが考えられる. 前者の知り合いの先生であれば, 受け入れお願いの連絡をして話を聞いてもらうことはできる. 一方で, 後者の場合は, よほどのこと(例えば, メール文面など)がなければ見ず知らずの日本人なんて受け入れてもらえない. 逆の立場に立ったら分かりやすいだろう. 見ず知らずの海外の学生が, 私のところに行きたい!or 雇ってくれ!と言われても困ってしまう...現に全く検討はずれのメールを受け取ったこともある. さて話は戻して, 自分の場合だ. 直接の知り合いと言えばイギリス ノッティンガム大学のアル先生だ. アル先生には博士後期課程の学生時代に2ヶ月弱ほど受け入れて頂いた. 生活するにしても多少不便であるが, 見知った土地である. しかし心の中で, 師匠先生の顔が思い浮かぶ. 楽なこと, 同じことをするだけではせっかくの機会なのに意味がない. 新しいことをせよ. 心の中で言われた気がした. 多分, 話したら, そう言われそうだな. よし!別のところにしよう!そう思うものの誰も伝手(つて)がない. 学生時代に国際学会で知り合った方とはちょっと専門が離れすぎている. こういう場合, 知り合いに知り合いの先生を紹介してもらうということがよくあるらしい. ガンオタ先生の書籍でもそういうことが書いてあったなと思い出す. すぐに永田先生にお願いしにいく.
永田先生と埼玉先生とは講座のような感じで研究グループとして活動しており, 普段からお世話になっている方々だ. ここで講座制と1人1研究室制(名称は呼称です, 正しくないかもしれません)についてざっくりと説明しておく. (もちろん厳密ではないので悪しからず.) 講座制とはスタッフが教授, 准教授, 講師, 助教と居て, 一つの研究グループとして研究室が成り立っており, 教授がその講座の運営責任者になる. 言わば, 大きな城の主と言ったところだろうか. 一方, 1人1研究室制とは教員の職位(教授, 准教授, 講師, 助教)に関係なく, 1人で1つの研究室を運営するというものである. そのため, 助教だろうが教授だろうが問わず, 自分がその研究室の運営責任者になる. こじんまりとした小さな小さな城の主だ. それぞれにメリットとデメリットがある. (ここでは割愛する. ) さて, 三宮高専では1人1研究室制を取っているのであるが, 研究分野の近い永田先生と埼玉先生と私の三人で擬似的に講座のような関係を築いている. ちょうど, 着任1年目は, 永田先生が教授, 埼玉先生が准教授, 私が助教だったので, まさしく講座のような形をしていた.
その永田先生に海外研修(サバティカル)において知り合いの先生を紹介してほしいとお願いにいったところ, どこに行きたい?と永田先生から聞かれる. ざっくり分けて, アメリカ or ヨーロッパか. アメリカは行ったことがなかったが, 新大統領のことや銃社会であるという危険があったので, ヨーロッパがいいと答える. 永田先生は知り合いの合気道先生にその場で電話をして私を紹介してくれる研究者はいないかと聞いてくれた. 合気道先生は同じ近畿圏で教員をされている方で, 合気道先生は私とも学会や学会の仕事で面識がある方だ. そのときに合気道先生からは, 「自分はアメリカの研究者に知り合いが多い. ヨーロッパだったら, 二輪先生の方が伝手は一杯あるんじゃないか」と教えてくれた. 二輪先生は埼玉先生の大学時代の先生で, いまは千葉の大学で教授をされている. 二輪先生には私とも面識がある. 今度は永田先生から二輪先生に電話してみるが通じず, 後日に連絡(電話)することとなった. しかし, 多忙過ぎる永田先生は, 二輪先生に電話することを忘れてしまっていた...
埼玉先生から, 二輪先生に海外研修(サバティカル)の受け入れてもらう研究者を紹介してほしいと言ったか?と問われて, 永田先生から連絡がいっていないことを知る. そのとき, 埼玉先生から二輪先生に連絡をしてもらう. そしてその直後, 夜中の20時にも関わらず, 研究室に電話がかかってきた. 二輪先生からだった. 夜遅くにもかかわらず, 1時間もの間, ヨーロッパの紹介できる研究者について教えてもらった. その中には以前, お世話になったイギリス ノッティンガム大学のアル先生も名前が挙がった. 一人一人に対して, 研究分野や出身大学, さらには親日かどうかまで多くのことを教えて頂き, 感謝感激である. そして, 一旦, 電話しながら取ったメモを整理し直し, 家に帰って妻と相談したり, 翌日に埼玉先生と相談したりしてスイスのドラゴン先生のところに行きたいと決めた. そして, 二輪先生に連絡をして紹介して下さいとお願いすると, 新潟の若竹先生の方がその先生と親密だと伺う.
若竹先生は新潟技術科学大学の先生で, 数年前から知り合いになった. そのきっかけは, 三機関連携プロジェクトである. もともと新潟技術科学大学と名古屋技術科学大学は高専生の編入先の受け皿として設立された国立大学である. 高専は若い技術者を育てる学校(つまり卒業後は企業で即戦力として活躍する人材を育てる学校)であるが, およそ40年前から, 企業に就職するのではなく, 大学3年次への編入を希望する学生が増えてきた. やっと最近, どこの国立大学も編入が出来始めたが, 希望する高専の学生に対して国立大学の受け入れ数には限りがあった. そこで, およそ30年前に高専生を定員の半数以上受け入れる新構想大学が2つ設立された. それが新潟技術科学大学と名古屋技術科学大学である. その2つの技科大と全国の高専が連携するプロジェクト(三機関連携プロジェクト)があり, 私の分野の取り纏め(リーダー)となる先生が若竹先生である. その頃から色々と交流があり, さらには私の研究室を卒業した学生の受け入れ(編入して研究室に配属)もしてもらい, お世話になっている.
若竹先生にスイスのドラゴン先生のところに海外研修(サバティカル)に行きたいので, 紹介をお願いすると, すぐにメールを送ってもらえた. その後, ドラゴン先生に私から自己紹介メールを送る. ほぼ二つ返事で, ドラゴン先生の受け入れOKの連絡を頂く. こんなにスムーズにいくとは!!おそらく, 見ず知らずの日本人という位置づけの私が, 若竹先生が紹介した日本人という位置づけに変わり, 一気に距離が近まったのであろう. 若竹先生にはいつもいつも感謝である. 今度, 灘の酒を手土産に持って行こう. 若竹先生は日本酒が大好物だ. (ネーミングもそこから取った. ) メールのやり取りをして知ったが, 若竹先生の研究室の学生がドラゴン先生のところへ9月から行く予定らしい. 日本人の受け入れに慣れているのは安心だ.
8月上旬, やっと学内の連絡が来た. 海外研修(サバティカル)計画書を8月末までに出すようにとのことだった. これでやっと学内選考してもらえる. そう思った. もしかして, 前期のテストが終わったから時間が出来たのか?それまで忘れられていたか?と思うほど, 対応が遅かった. 連絡を受けて, すぐに海外研修(サバティカル)計画書を作成する. この計画書を元に最終決定してもらえるとのことだったのに... 9月に続く.
毎年参加している夏の電気学会@函館の前日に若竹先生にお会いした. もともとこの学会に併せて, (同じ分野の)新潟技科大と全国の高専の先生との研究打ち合わせがあったので, もともと会う予定にはしていた. 若竹先生に直接お会いして, ドラゴン先生を紹介してもらったお礼を言う. プロジェクトの打ち合わせの後は, 決まって意見交換会(いわるゆ飲み会)がある. 若竹先生と飲み交わし, 気付けばフラフラになるほど日本酒を飲んでしまっていた. 0次会から始まり2次会ではあちこちの先生が一升瓶を片手に飲み明かした. 次の日の学会初日, 学生を引率する立場であるが, 私は二日酔いで非常にグロッキーだった. 函館の路面電車に揺られながら, 気持ち悪くて仕方なかった...
9月下旬に海外研修(サバティカル)の学内選考のためにプレゼンをしてほしいと言われる. え??まだ決まらないの? 行けるかどうか決まらないと先方に受け入れ許可書(招聘状)を出してもらうことも出来ず, そして, 滞在研究の助成制度にも応募できない. 実際, 8月末時点で多くの助成制度の締め切りが終わっており, 金銭面での問題が出てきた. もう独身時代に貯めておいた貯金を切り崩すしかない. そう思い始めた.
そして10月上旬, 学内で校長, 副校長3名, 事務部長の5人の前でプレゼンをする. 自分が海外研修(サバティカル)に行って, 何をしてくるのか?復帰してから, 学校に, 学生に, 自分に, どれだけ良い貢献ができるかをまとめて話をする. この最終選考の結果, 翌日に海外研修(サバティカル)に行けることが最終的に決まった. やったーー!!最終決戦のもう一人の相手は表向き知らないことになっているが, 教員が高々90名程度の学校なので, すでに(1月の段階で)お互いに知っていた. その先生とは普段から仲良くしてもらってるので, 気が引けたが, その先生とは後日, 何事もなかったように明るく振る舞ってくれた. 麦炭酸同好会(という学内の秘密組織)で行なわれる会合(麦炭酸を嗜む会)で, その先生から, 「(最終決戦の結果は)上が決めたことだから気にしないで, 頑張ってきて下さい」とエールを送ってもらった. よーし!この先生の分まで頑張らなければ!麦炭酸をたらふく飲みながら決心した.
やっと来年度に海外研修(サバティカル)に行けることが決まり, ドラゴン先生にも連絡する. これから手続きが必要だそうだ. 大学以外でやるべきことは, 家探しだ. どうもスイスは物価は高いし, 賃貸契約にも色々と難しいということがネットには書いてある. 結婚当初から家族3人(生まれてくる子供含めて)で住むつもりであったので, 家族用物件(1DK, 1LDK)を探す. だいたいCHF2500以上が相場みたいだ. 日本円で言うと月30万円以上もする. 高い!!高すぎる!確かに日本に比べて3倍の物価だ. 一人暮らし用物件でも相場でCHF1500以上(18万円以上)もするみたいだ. しかも賃貸契約には家賃の3倍の給料を証明する書類が必要だそうだ. いや, 月90万円も貰ってません... しかし, よくよく考えると納得がいく. 日本でも家探しをするときは月給の1/3が目安だと言われる. 実際, 私もその程度で探した経験がある. それで残りの月給が生活費などなどになる. 言い方を変えれば, 家賃の3倍の月給が普通に生活できる目安である. さらにスイスでは, "住むこと"に非常にきっちりとした条件がある. おそらく, 不法労働者や不法滞在者を住まわせないためであろう. 加えて, その家賃の支払い能力がなければ, 踏み倒されてしまう危険がある. 勝手な予想だが, スイスの人は慎重なのだろう. 3倍の月給がなければ, 家賃の支払い能力(貯金)があることを示す必要があるみたいだ. ちょっとズルいが, 結婚式や披露宴の支払い前に銀行口座の残高証明を取ることにした. 少しでも高く見せたい. ただの悪あがきだが...
色々調べていると, トレッソンヌという日本人の方が経営する会社があることを知った. どのサイト(ブログなど)をみても非常に高評価だ. この会社では賃貸のことや生活のサポートをしてくれるらしい. 早速, 連絡してみる. 日本人のチズさんから連絡がきて, やり取りが始まった. 希望としては家族3人で住みたいと話したが, やはり家賃と生活のことを考えて, 単身で住むことを勧められた. 妻とも色々相談した. 妻は絶対に家族は離れたくない, 3人で住みたいと譲らない. しかし, 現実を考えてみて, 結局, 私一人の単身でスイスに行くことにした. 妻は非常に残念がっていたが, 絶対に子供を連れて訪問すると意気込んでいる. さすがだ. チズさんとやり取りをしてようやく住む家が見つかった. チズさんには生活サポートも依頼した. お金はかかるが仕方がない. 何も分からずに手続きの多いスイスに一人ではやっていけない. この生活サポートは頼むべきだと思った. 後にお世話になる加奈子さんが担当してくれることとなった. そして実際に非常にお世話になった. ケチらずに生活サポートをお願いしておいて良かったと思う.
海外研修(サバティカル)に行くことが決まってから, ドラゴン先生の研究室の秘書マリーさんからやり取りが始まった. 主に大学に滞在するための手続きに必要な書類を送るようにとのことだ. いくつもあったが, 覚えているものとその対応を列挙しておく. あくまでこの段階の書類だけだ.
履歴書
まず, 自前で作ったCV(curriculum vitae)を送ったが, 大学用のフォーマットがあると言われ, それが送られてくる. しかし全部フランス語だ. 読めない. 百歩譲ってGoogle翻訳で読めても, 書けない. これは無理だー英語版はないの?とマリーさんに問い合わせてみる. フランス語しかないと一蹴され, 呆然としていた. しばらくして, 英語のもあったよーと連絡が来た. いやあるんかい!来たメールにその場で声に出てしまった. もちろんメールには書かない.
在職証明
自分で英文で書いて校長の署名を貰う
給与証明
三宮高専の事務職員さん経由で, 給与関係を取りまとめる神戸市役所給与課(?)に問い合わせてもらって, 英文は出せないから自分で英文を書いたら署名をすると聞いた. そこで, 自分で英文で給与証明書を書いたものの, 結局駄目だと言われる. 何でやねん!!署名してくれるっていったやん!!しかも今年度分の日本語版しか出せず, 来年度分は出せないと回答される...
パスポート
これは手元にある自分のパスポートをスキャンして送る. 何も問題ない.
ドラゴン先生から滞在研究の成果における知的財産権などの権利に関する取り決め(契約書)を交わさないといけないと連絡を受ける. 学内で副校長に相談し, 契約書を書き署名し, スキャンして返送する. (20Y7年11月02日)その直後に, ドラゴン先生が署名をしたものを送ってもらう. その際, これで準備は整ったから学部長に移るよ!と言われた. 受け入れ許可書(招聘状)まで先が見えてきた.
ドラゴン先生の研究室の秘書マリーさんから月収を証明できるもの(書類)を送るようにと言われる. 前にも伝えたはずだが, 事務手続き上, 英文かつ来年度分を出せないと伝える. せめて今年度はこれくらいですと答える. こういうやり取りをしていて, 神戸市に言いたい. 「国際都市神戸」とか「世界の中での神戸」とか言うんだったら, 神戸市関係の英文の書類を出してくれー!!もちろん市長には届かないので, ただの愚痴にしか過ぎない..
マリーさんからのメールで月収と年収を勘違いしまった. 間違えて年収を送ったら, ちょっと多くない?スイスの教授でもそんなにCHF****くらいだよとマリーさんから問い合わされる. 確かに月収と年収間違えた. そして, スイスの物価も高いが給料も高いんだな, いいなー.
秘書マリーさんから再び連絡が来た. 大学の人事部から給与証明を出すようにと言われたとのこと... 所属機関では, 日本語版しかも今年度分しか出せないよーと拙い英語メールで泣きつく. 仕方なく, 正式書類ではないが, 正式な日本語書類に自分で翻訳した書類を送ることにする. (20Y7年11月22日)
さらに, 出生証明書(英文), パスポート, 家族書(英文)を送るようにマリーさんに言われる. 出生証明書と家族書とは?と疑問に思って調べてみる. どうやら戸籍謄本のことだと分かった. 確かに戸籍謄本を見てみるといつ出生届がどこに出されたのかも記載されているし, 家族全員の情報が載っている. そしてその戸籍謄本を自分で英文に翻訳し, 公正役場に行って自分で翻訳したものが正式な物であると証明を貰う必要があるらしい.
同日, チズさんから不動産の契約関係で,
・パスポートのコピー
・大学からの受け入れ許可書(招聘状)
・1年間労働しなくても生活できる経済的証明
・滞在許可証申請の控え
を送るように言われる. パスポートのコピーはすでにあったので, 問題なし. 滞在許可証の申請の控えって言われても滞在許可証は入国してから申請するのでは??よくわからない... 1年間労働しなくても生活できる経済的証明は, 銀行などの残高証明(英文)を準備していたので, コピーを送る. (20Y7年11月22日)
書類関係でかなりバタバタしているが, 一方の私生活でも月1回くらい結婚式場や披露宴会場との打ち合わせがあり, 神戸-京都の往復が続いた. 妊娠している妻はこの移動にかなり苦しそうだが, 私一人で打ち合わせに言ってもあまり戦力にならないので, 必ず妻と二人で京都まで向かった. そんな日々が続き, ついにこの日, 結婚式と披露宴を挙行した. 多くの方に見守られ, 祝福された. 師匠先生や高校のときの担任の先生に身に余るほどのご祝辞を頂いた. 職場からは私と妻を引き合わせてくれた永田先生にも参列してもらった. さらに同僚のバンドマン達(もちろん本業は教員)に余興をしてもらい, 妻が歌ったり, 私と妻が踊ったりと大いに盛り上がった式となった. このとき, スイスに海外研修(サバティカル)に行くことも参列して頂いた皆さんに伝えた.
まだ書類が揃っていないのにドラゴン先生から受け入れ許可書(招聘状)を送ってもらう. なぜ?と疑問に思うが, 結果オーライ. これでスイス行きに少し近づいた. すぐにチズさんに受け入れ許可書(招聘状)のコピーを送る.
神戸大丸の近くにある公正役場に出向き, 書類を揃える. 役場の担当者は非常に愛想が悪かった. なぜこういう書類関係の人たちは愛想が悪いのだろうか?つまらないのか?申請に来た人を不安にしかさせない... さて, それをスキャンして12月08日にスイスの大学の人事部に送る. しかし, 「この書類は大学には要らないよ, でもスイスに滞在する上では市役所(?)に出す必要があるから持っておいたら良いよ」と返事が来る. なぜだー!! 要るって言ってたやん...でも何か足りていませんと言われるよりかはマシか, そう自分に言い聞かせた.
スイスに1年行くことになったら, 今住んでいる三宮の家は空き家の状態で家賃を払い続けなければならない. しかも妻は出産のために実家にしばらく帰省する予定である. それなら, 妻が帰省するタイミングで私も妻の実家に居候になればいいのでは??このアイディアは妻の妹(私からしたら義妹さん)のものだった. 確かに!!結婚式前からこの話は両家で話してもらっていて, 結婚式後に妻の実家にお世話になることにした. そして, 結婚式後に結婚休暇を2週間ほど申請しており, 旅行など行かずに引っ越し準備にあてていた. この日が引っ越し日である. 12月から私はマスオさん生活になった. 通勤時間が50分が2時間に変わった. 冷蔵庫や洗濯機などの大物は私の実家に一時的に(2年くらい?)預かってもらうことにした. 色んな方にお世話になり, やっと生活が出来たと実感している.
調べてみると, Facebookにローザンヌ日本人会という非公開グループがあった. 参加申請し, すぐに参加を認めてもらった. 結構, ローザンヌに日本人いるんだな. 参加してすぐに自己紹介がてらコメントするといろんな方から連絡があった. みんな親切だ. その一人に, 木下さんがいた. 木下さんは若竹先生のところで博士号を取り, いまは若竹先生のもとでポスドクをされている方だ. 夏の函館でも最初から最後まで飲んでいた仲だ. (確か年齢は3歳年下かな?) 木下さんは博士後期課程の学生のときに同じくスイスのドラゴン先生のもとに行った経験があるとのことだ. 何とも頼もしい!何かあったらすぐに聞こう. 色んな縁が繋がっているんだなと実感した.
いろんな方から滞在許可証の申請を大学経由でやってもらったらいいよとアドバイスを受ける. そこで, 大学のマリーさんにお願いメールを送る. すると, 今大学はバケーションだから人事部は1月にならないと作業しないよと返事か来る. vacation like meって書いていたけれど返信くれて有り難う, マリーさん.
ついに待望の第一子が誕生した. 火曜日の16日の午後に妻から知らせがあり, テンパりながら, 研究室の学生にあれこれ指示して病院に向かうことを告げる. 急いで帰り, 夕方妻とともに病院に向かう. 夜から深夜にかけてピークが来て, 元気に娘が誕生した. 妻も娘もよく頑張った. (一時的だが)この3人でスイスで生活することになる. 生まれてすぐに帰国子女になるのか, それかアルプスの少女ハイジかな?妻とそんなたわいもない会話をした.
スイスの賃貸でお世話になっているチズさんに3月分の家賃と保証金を振り込むように言われていた. 娘の誕生ですっかりバタバタして遅れてしまっていた. 郵便局で送金できると聞くが, 地方では心配なので, 義母に梅田まで行ってもらい, 海外送金をお願いしていた. 平日は私は仕事なので, 義母に任せた. するとトラブルが続いた.
1回目:チズさんが請求書の振込先に銀行名が書いてなくて振り込みが出来なかった. チズさん!!
2回目:義母と私は他人なので, 海外送金には委任状がいるみたいだ. 1回目のときに言ってくれ, 郵便局!!
3回目:銀行の窓口で, スイス国内で銀行間の手数料がかかるどうか分からない, それを聞いてくれと言われた. いやそれも始めから言ってくれよ, 郵便局!!
義母に何度も梅田までの往復をしてもらうのが申し訳なくなり, 私が有給休暇を取って, 梅田まで行くことにした. 義母が何度も梅田の郵便局に行ったので, 最後(2,3回目)は中のちょっと偉い人が対応してくれたそうだ. その際, 名刺を受け取って, 次来るときはこの方を出してもらうようにと伝えられた. これは話が早い. 早速, 窓口に着くなり, 名刺のこの方出して下さい, と言った. しかし全く相手にされず, その方は出てこなかった. なぜ?たまたま休み?それならそー言ってくれよ!!イライラが増してくる. 以前の問題3つはクリアしている. かなり時間がかかったが, 手続きは完了したと思っていた. しかし, 翌日, 郵便局から電話がかかってきた. どうやら送金先の住所の最後の数字が住所に関係するのか電話番号なのか分からない, 確認しろとのことだった. 確かに長い数字だ...チズさんに聞くこともなくトレッソンヌのページを見ると, 電話番号とその数字が一致していた. さらに翌日折り返し郵便局に電話をかけた. その数字は電話番号で, 住所じゃなかったです, スイマセンと. しかし電話を対応した郵便局の方は, それで何をすればいいのでしょうか?と言われた. いやいやいや確認しろってそっちが言ったから確認したんやん!!なんで内部で連携できてへんねん!!担当者に伝えて下さいといって電話を切った. 日本ですらこの対応ならスイスに行って似たやり取りがあったら大丈夫なのだろうか...今から不安になってきた.
マリーさんからメールが来た. 03月20日からの3ヶ月スイスに住んでよいという許可証を送ってもらった. そのメールには, スイスに着いたら8日以内に役所に行って申請しないといけないとか. 何をどう申請するの?よく分からない. 40OASA証明書(なんだこれは?)と家族書を持って申請しに行きなさいと言われた. 家族書はすでにあるが, 40OASAとはなんだ??さらにメールを読み進めると, 申請したら滞在許可証が3ヶ月くらいで受け取れるとのことだった. つまりこの3ヶ月の居住許可証が滞在許可証を受け取るまでのつなぎだということか. なかなか手続きが難しいな...
さすがに非常に機密事項なので書けないが, 緊急事態が発生した. ここから14日まで生きた心地がしなかった. この約1週間はスイス行きの準備もまともにできなかった. 13日から行く予定だった学会にも参加できず, 各方面の方々に迷惑をかけてしまった. 若竹先生主催のプロジェクトの打ち合わせもあったのに若竹先生にも迷惑をかけてしまった. スイスに行く前にもう一度お礼が言いたかったのに...
若竹先生の研究室に送り込んだ卒業生の建木くんが訪問してくれた. 彼は毎年2回ほど顔を見せてくれる. そして, 後輩達に新潟技術科学大学の話もしてくれる兄貴肌の学生だ. 建木くんが嬉しいことに新潟県の日本酒を一升瓶で持って帰ってきてくれた. スイスでは日本食も日本酒も恋しくなると思いまして, と言ってプレゼントしてくれた. 有り難い, スーツケースには入らないから後から郵送しよう. 今からスイスで日本酒が届くのが待ち遠しくなった.
先日, パワーエレクトロニクス動画コンテストで特別賞を頂いたことを受け, その応募動機や学生指導について夏の学会で講演してほしいという依頼が来た. 毎年, その学会には参加しており, 自分の発表および学生さんの発表をしている. しかし, 来年度に限ってはそうも行かない. その時期はスイスにいる. そこで, すぐさま永田先生と埼玉先生にどう返事するか相談する. 日程次第かもしれないが, 私の代理で永田先生と埼玉先生のどちらかに行ってもらうことにした.
ついに3年間担任をしたクラスが卒業する. 最近, 涙腺が弱く涙もろいが, 感極まって泣かないように心がけた. 卒業式序盤, 担任の先生がクラス全員の名前をフルネームで呼ぶ. 決して絶対というわけではないが, 先生方の中で, 「若手教員は全員の名前を暗唱する」というローカルルールがあった. 同期の黒阪先生(機械工学科担任)と流戸先生(応用化学科担任)と私(電気工学科担任)はそれを聞いていたので, 必死になって覚え, 卒業生の名前を呼んだ. 黒阪先生は一瞬手元を見てしまったが, 三人とも暗唱を無事終えた. 卒業式の後は昼食の時間に保護者主催の祝賀会があり, 夜には学生主催の謝恩会がある. さらにそのあと, 永田先生と埼玉先生と雷神先生の4人で私の壮行会をしてもらった.
午前中に娘の予防接種を受け, 午後は京都に向かった. 今日は左京大学時代からの友達(3人)が壮行会をしてくれるということで京都で飲むことになった. 卒業してからもちょくちょくと会うメンツであり, 11月の結婚式にも来てもらっている. 無線通信, 半導体デバイス, 電力変換などの話から, 一人先に結婚と子育てを始めた私の話やらこれからどうすれば結婚ができるか, 企業の株や無線規格などの話まで幅広く, 楽しい時間を過ごした. 最後に彼らに会えてよかった. 勇気をもらった気がする.
せっかくの日曜日だというのに, 昼まで寝てしまった. そして, 昼食後にまた昼寝をしてしまい, 夕食の時間に... 8日の緊急事態から16日の卒業式までぶっ続けで疲れていたのだろう. またそのせいで, スイス行きの準備(荷造り)が全然進んでいない. 妻に毎日せっつかれている. そろそろ準備をしないといけない.
当初の計画では, 日本で実施される国際学会のために5月中旬に帰国し, その学会に参加,その後, スイスに戻り, 翌年3月に帰国しようと考えていた. そのために, 5月末スイス行き3月日本帰国の航空券を買いに行く. さらに, 妻と娘, そして義母も私がスイス滞在中に訪問してくれるというので合わせて旅行会社の窓口に行った. 文章で書いても分かりにくいので, 当初の予定をまとめる.
1往復目(購入済み)
私: 3月22日スイス行き-----5月中旬帰国, 国際学会に参加
2往復目(この日に購入予定であった)
私: 5月末スイス行き------------------------------------------------------------------------------------------3月中旬帰国
妻: 5月末スイス行き------------------------7月中旬帰国
母: -------------------7月上旬スイス行き---7月中旬帰国
妻は娘と一緒に動くため, 私か義母が一緒に付き添うことにした. 上記の予定で航空券をお願いすると, 330日後までの航空券しか取れないと言われた. 仮の日程として20Y9年02月上旬に設定すると, 何と私の航空券が約49万円に!!3月の分はさらに高くかもとのこと...一方, 妻と義母の航空券はどちらも24〜27万円前後. ん?これは2往復した方がちょい高いけれども, 日本での仕事と航空券の購入の面でいいのでは?そう思い, その場で一時帰国をもう一度することにした. 結果, 次のような計画に変更した.
1往復目(購入済み)
私: 3月22日スイス行き-----5月中旬帰国, 国際学会に参加
2往復目(この日の購入)
私: 5月末スイス行き---------------------------------------------8月中旬帰国, 国内学会に参加
妻: 5月末スイス行き------------------------7月中旬帰国
母: -------------------7月上旬スイス行き--7月中旬帰国
3往復目(未購入)
私: 9月上旬スイス行き--------------------------------------------------------------------------------------3月中旬帰国
というわけで, 5月と8月に帰国する. 8月の学会ではすでに講演依頼(20Y8年03月14日)があったので, 自分で行けることになった.
帰宅してから, 研究室の学生とFaceTimeを試すことにした. スイスに行っている間, 日本にいる学生とディスカッションをする予定にしていた. そのため, 第1案がFaceTimeだ. 研究室にMacBookがあり, 私もMacBookを持っている. はじめからインストールされているFaceTimeが便利だろうと思っていた. いざ繋いでみると上手く行かない. 学生に私の同期である流戸先生に教えてもらうように言う. それでもどうやら繋がらない. ネットワークに詳しい流戸先生によると学内のネットワークの関係で繋がらないみたいだ. (詳しくはネットワークのセキュリティの都合で書かないことにする.) 仕方なく別の手段が必要だ. そこで, Skypeを試したみた. 研究室のパソコンにはすでにインストールされていたが, マイクとカメラがない. 結局, 研究室のMacBookと私のMacBookに新たにSkypeをインストールして繋いでみることにした. 無事に繋がった. これでスイスに居ても研究室の学生とディスカッションができる.
スイスでお世話になるチズさんと加奈子さん, さらに受け入れて頂くドラゴン先生へのお土産がないことに前夜にして気付く. 娘を義母に託し, 妻と二人で梅田に繰り出す. もともとこの日は妻と二人で梅田に行く予定であった. 加えて, 5月〜3月の家賃を後日振り込むために大金を銀行から引き出す.
まず, いわゆるデパ地下でお土産を選ぶ. 次が今日のメイン. 結婚(ほぼ)一周年記念に妻とランチをした. 結婚は03月30日だが, その頃には私がスイスに行ってしまっている. そこで早めの記念日デートであった. 日本にいるときにしか食べられそうにないものをということで寿司にした. 普段は食べることのできたない高級寿司に妻と二人で舌鼓を打つ. アルコールなしにも関わらず二人で諭吉先生が一人居なくなったが, 美味しかった. 日本に帰ってきたら, また寿司が食べたい!そう思った.
梅田から帰宅後, 普段使用している腕時計が, 海外対応だったことを思い出し, 取扱説明書を読み返す. スイスという指定はなかったが, パリ時間(+1)に設定する. サマータイムも勝手に考えてくれるなんて, 何て有能なのだろう.
荷造りの最中に, 妻がKLMの「通常の無料受託手荷物許容量」を再度調べてくれた. すると, 例外が記載されていた. 「目的地を問わず、日本発であり、航空券を日本で購入された場合、23 kgの手荷物を2個(最大158 cm)まで無料でお預けいただけます 。」何と!! 23kgのスーツケースは2個預けられるなんて知らなかった. すぐに別のスーツケースを準備し, そちらにも荷物を詰める.
義父に関西空港行きのシャトルバス乗り場まで車で送ってもらい, シャトルバスで関西国際空港へ行く. 手荷物を預けるところで, 座席指定(窓側や通路側)ができた. トイレに行きやすいように, 通路側に変更してもらう. これと同じ会話を帰りのジュネーブ空港で出来るであろうか...自信がない. その後, 見送りにきてくれた妻とラウンジ比叡へ行く. 妻はラウンジが初めてとのこと. 次回, 妻と娘を連れてくるとき, 待ち時間を過ごす場所の下見と言ったところか.
時間が迫り, 妻と別れて保安検査場に入り, 出国審査を受ける. すぐに搭乗口に向かう. 途中にラウンジ金剛があったので入ってみる. しかしお客さんがいっぱいで, たまたまかもしれないがマナーが悪い人が多い...全然寛げないので, 早々に出て行く. 搭乗口付近で待ち, zone1,2,3,4の順番に呼ばれる. ついに出国, まずはオランダ アムステルダムのスキポール空港まで10時間以上の旅である.
第2章 春 へ続く
最終更新日 2019年01月06日