旧東海道編

日本橋をスタートして、旧東海道をポタリング。

品川宿など旧所・名跡を巡りつつ、江戸の味に舌鼓を打ったり、江戸百景を訪れたりと

まさに大江戸じてんしゃ三昧!

大江戸じてんしゃ三昧「旧東海道 篇」

開催日:2010年3 月13日(土)

集合時間:9時 30分

集合場所:日本橋三越向かいのスターバックス前

解散場所:東横線・ 中目黒駅付近

企画・コース設定:てっちゃん、コミューター

参加者:てっちゃん、陽ちゃん、りまちゃん、ダイクーさん、すーさん、しんさん、K部長、戸塚のさくまさん、akaneさん(途中離 脱)、みゆちゃん、ひかちゃん、でっちーさん、しんすけさん、こがわらさん、まいちゃん、花岡さん、、コミューター(17名)

江戸百景(今昔)

日本橋江戸ばし

日本橋が初めて架けられたのは、徳川家康が幕府を開いた1603年。

江戸時代、諸国への行程は日本橋を起点としていたが

今もここは道路元標があり、日本の道路網の始点となっている。

京橋・竹がし

京橋の東側は「竹河岸」とも呼ばれた地域で、

竹材を商う問屋が多くあった。手前の船は竹細工を運んでいる。

日本橋通り一丁目(現・日本橋コレド)

江戸時代、ここは商業のメインストリートだった。

日傘をさした若い女性たちは買い物や

見物を楽しみながら歩いているようだ。今と変わらない。

芝神明・増上寺

手前にいるのは田舎から出てきた旅人衆の一団。

増上寺の参拝を終え、その荘厳さに圧倒された表情が面白い。

増上寺は、1945年の空襲でほとんどが焼失した。

残っていれば世界遺産とも言われる。

金杉橋・芝浦

江戸時代はここまでが海だった。

左手奥には築地本願寺が描かれている。

現代の金杉橋は屋形船が係留され、高速道路さえなければ

広重が描いた風景とにているのかもしれない。

品川・御殿やま

海側から描いた御殿山。広重が絵筆をとっていた場所は

今ではJRの線路になっている。

はねたのわたし・弁天の社(現・羽田六丁目)

江戸時代、羽田村から川崎大使河原村までの乗合船「羽田の渡し」があった。

対岸までは80メートルほどで、呼べば声が聞こえたという。

現在は埋め立てられ羽田空港となっている。

走ったルート

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文・写真:コミューター 2010年3月22日